棒倒しと僕と、時々ボカン。
九月も半ばを過ぎたが日中はまだまだ暑い日もある。
この時期と言えば体育祭の時期である。
小学校の運動会は十月になってから行われていたが、中学の体育祭は二学期に入ってから割とすぐに実施されていた。
体育祭で思い出深い競技は棒倒しと組体操である。
棒倒しはその名の通り相手が守っている棒を倒したら勝ちというシンプルな競技で攻め手と守り手の人数のバランスも重要だった。
とはいえ攻めに行くのは血の気の多い子たちばかりで守るのは気の弱い子で決まっていた。
私はもちろん守り手に決まっていた。
いざ競技が始まると攻め手が猛然とした勢いで棒に迫ってくる。
そして棒を支えている子に容赦なく飛び蹴りをくらわしてくる。。
その後も殴る蹴るの暴力は当たり前だった。
一応事故にならないように体育教師が近くで見守っているのだが集団で暴れる中学生には明らかに多勢に無勢で手が付けれらない様子だった。
そんな無法地帯で私も何発も殴られながら必死で棒を守っていた。
というのも同じ組の先輩たちからもし負けたらリンチだぞと脅されていたのでそれを避けるために必死にならざるとえなかったからである。
怒号の飛び交う中早く終われとそればかり思っていた。
どちらかの棒が引き倒されるとパーンとピストルの音が鳴ってそこでようやく気を抜くことが出来た。
競技が終了しても興奮している生徒同士での小競り合いがいたるところで起っており、ああもう棒倒し大嫌いと思ったものである。
私も一度因縁をつけられて放課後に呼び出しを受けたことがあるがおっかなかったので無視した。
それからしばらくはどこかで襲われるかもと非常に精神的に良くないスリリングな学生生活を送ったものである。
もう一つ印象深いのは組体操だ。
二人や三人くらいでやる簡単なものならば体に負担が少ないが大人数でやるピラミッドは苦手だった。
あれは下の方が何と言っても辛い。
ご察しの通り私は一番下だった。
なぜか裸足に上半身裸というスタイルが決まりだったので靴を履くことも許されなかった。
ピラミッドはだんだん自分の上に人が載っていくたびに膝や脛に砂利や小石が食い込んできて激痛が走った。
最大で八段の組体操だったので体にかかる負荷は相当なものである。
まるで江戸時代の拷問の石抱きを受けているような気持ちになりながら必死に耐えた。
笛の合図でピラミッドが崩れると内臓が飛び出るような衝撃を受けたものだ。
棒倒しも組体操も軍隊時代の名残の競技だが、平成の初めごろにはモーレツ教師のいき過ぎた指導も当たり前にあった。
その度にああ、小学校の運動会はのどかで良かったなぁとしみじみ思ったものである。
今はもうそんな危険な競技はしない方向になっているのは何よりだと思う。
体育祭は健全で安全であるべきである。
そんな昔を少しほろ苦く思い出しながら昨日の晩御飯のお話しを。
昨日はお昼が遅かったので軽めの物を作った。
焼き豆腐を八等分に切り分けてキッチンペーパーで水を切る。
片栗粉をまぶして油を敷いたフライパンで両面を焼く。
そこに醤油、砂糖、塩、みりんを混ぜたタレを回しかける。
全体にとろみがついたらみたらし焼き豆腐の完成。
次はメインを作る。
ウインナーを輪切りに。
ピーマンと玉ねぎを細切り、ニンニクを潰してみじん切り。
スパゲティをたっぷりのお湯で茹でる。
その間に具を作る。
ウインナーと野菜をフライパンに入れて炒める。
軽く塩コショウをしてそこにコンソメ顆粒を振り入れる。
スパゲティを指定の茹で時間より気持ち早めに上げてフライパンに移す。
ゆで汁を少し加えて水分を飛ばしながら和える。
そこにケチャップとウスターソース、隠し味に醤油を入れる。
ザックリ混ぜたらお手軽ナポリタンの完成。
昨日の晩御飯はこの二品で勝負。
お酒は休肝日。
妻と頂きますをして食べる。
まずは焼き豆腐から、トロっとした餡にこんがり焼き豆腐が香ばしくてなかなかイケル。
みたらしダレは味の薄いものと合わせると抜群の効果を発揮する。
ちょっと田楽っぽくてパクパクと食が進んだ。
次にナポリタンを食べる。
麺の茹で加減が丁度良くてシンプルなケチャップ味が懐かしい。
何だか土曜日のお昼ご飯に母が作ってくれた味によく似ていた。
そうか、醤油が決め手なんだなと気が付かされた。
妻はスパゲティが好きなのでツルツルと気分よくすすっていた。
お酒を飲まないのであっという間に食べ終わった。
少し少なめの晩御飯だったがこれ位でも満足した。
ササッと片づけをして早めに就寝。
体育祭の思い出を語ってみたが、皆さんの地元でこんな競技があったなぁなんてありますか?
そういえばパン食い競争って一度もしたことがありません。
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