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腹だし大作戦

 私は基本的に暑がりなのでもうこの時期から寝る時にはタオルケット一枚なのだが昨夜は雨でヒンヤリと肌寒かったので布団を押し入れから引っ張り出して寝た。

 夏布団なのでそんなに暑くも無くて心地よくウトウトし始めた。

 そんな時にふと思い出したのが小学生の頃の自分の間抜けな行動だった。

 私は運動神経を母親のお腹に置き忘れてきたと言われるくらい運動音痴である。

 跳び箱は四段までしか飛べなかったし逆上がりも全くできず放課後に居残り練習をさせられたものである。

 私のほかにも鉄棒が苦手な子が何人かいたがそのうちにコツをつかんでくるりと逆上がりに成功した時の嬉しそうな顔を見て非常に焦ったものである。

 熱血教師が担任だったので全員が出来るまで帰してもらう事が出来ず私が最後の一人になったのは言うまでもない。

 クラスメートのガンバレ、出来る出来る、もっと強く地面をけって!という励ましも空しく私の身体は中途半端なところまでしか上がらずぺたんと地面にお尻を着く始末。
 
 そのうちに日も傾いてきてみんなの声援も無くなり、こいつドンくせぇという視線を浴びながら半泣きで鉄棒を握ってジタバタした。

 最終的には担任が諦めて、よし今日はここまでにしようと言って解放してもらった時には心の底からホッとしたものである。

 ちなみに逆上がりは近所の公園で祖父と猛特訓をして数日間かけてようやく出来るようになった。

 担任に先生逆上がりできるようになったよ!と自信満々に報告したがその時の反応はとても薄かったように記憶している。

 そんな運動音痴の私の最大の苦手イベントが学校行事であった大縄跳び大会である。

 大体本番の一か月前くらいから練習が始まる。

 大縄跳びはセンスと持久力が求められる競技で運動神経のいい子が先に縄に飛び込んでいく。

 そしてだんだん運動が苦手な子がおっかなびっくり加わっていく。
 
 私はもちろん最後尾だった。

 大繩が回っている時のどのタイミングで入っていいものかさっぱりわからず躊躇していると早く入れ!とガキ大将にどやされるのでええいままよと縄に突入するのだが私の足にすぐに縄が引っかかってしまい記録が途絶えるのであった。

 その瞬間のいたたまれなさときたら思い出すだけで胃の辺りに鉛のような重さを感じる事が出来る。

 練習で失敗続きだったのでクラスの中でもこいつさえいなければという空気をひしひしと体中で感じて針のむしろだった。

 そして迎えた本番前日、追い詰められた私はお風呂場で水シャワーを延々と浴びて身体をキンキンに冷やして寝る前に冷たい水をゴブゴブと大量に飲んでパジャマの上着からお腹を出して布団をかぶらずに寝た。

 どうにか風邪をひいて本番を回避したいという非常に姑息な作戦だった。

 ところがそういう時というのは残酷なもので翌朝はどこも調子が悪くなくむしろさっぱりと目が覚めるのであった。

 沈んだ気分で集団登校をしていざ大縄跳びの本番である。

 学年ごとに競技が行われやがて私たちの番になった。

 クラスには何とも言えない微妙なムードが漂っていたが私も本当ならばこの場にはいたくないという気持ちでいっぱいだった。

 やがて競技開始のピストルがパンと鳴らされて縄がグルングルンと大きく回りだす。

 最初の方の子たちはいとも簡単にほいっと縄の中に入っていった。
  
 そして順調にみんな加わっていき私の前の女の子が縄に飛び込んでいった。

 するとタイミングが合わなかったのかその子が他の子とぶつかって足に縄をひっかけて競技終了となった。

 その瞬間何とも言えない気持ちになった、安堵感とも違うし正直自分じゃなかったことにホッとした部分もあったがそれは人として卑怯にも程があるのでその考えはすぐに打ち消した。

 記録を途絶えさせた女の子はまさかの失敗に泣きじゃくっており友達たちが慰めていた。

 当然私に関心を払うような子は一人もいなかった。

 こうして胃に穴があきそうになるほどのプレッシャーを感じていた大会はあっけなく幕を閉じた。

 今考えてみるとたかが体育の延長の大縄跳び大会に何でそこまで追い詰められていたんだろうと思う。

 もちろん一切手を抜かずに大真面目に練習もしたし本番でもどうにでもなれという覚悟は出来ていた。

 結果的に私一人が吊し上げにあう事はなかったがみんな真剣に競技に取り組んでいた。

 とはいえ体育は自分でも何で出来ないのか理解できていない事ばかりだったので正直いい思い出はあまりない。

 それ以来学校で気が乗らないイベントや行事がある時は風邪を引けば休めるとあれこれ策を弄したものだが効果は一切なかった。

 やっぱりズルは駄目なんだなぁとその時に学んだ。

 とにかく小学生時代の私は何事にも消極的でぼんやりした子どもだった。

 担任もどう発破をかけても着火しない私のナメクジ根性にさぞかし手を焼いた事だろう。
  
 とはいえ嫌な事から逃げ出さなかったあの頃の私はそれなりに健気だったと思う。

 子どもの頃の無邪気さと真面目さをいつまでも持っていたいなと最近よく思う。

 まあ、お腹を出して寝る事はもうありませんがね。

 

 

 

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