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アジアさすらいの日々ー中国編⑧(最後の判断:信頼と疑念)

<前回までの旅>
…船で大阪から上海まで来て3日目にしてようやく一人旅が始まった。蘇州行きの電車の中で、僕が出会ったのは同い年くらいの男の子。色々話す中で彼の家に泊まらせてもらうという流れとなったのだが、彼が保有する美容院で彼の妹たちと楽しい時間を過ごしたのも束の間、次に連れてこられたのは彼が経営しているという風俗店。日も暮れ始めていて、僕の中には恐怖心が芽生え始めていた。

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9月24日(土)

時刻はそろそろ午後6時になるというところ、空はもう夕焼け色に染まっていて、あと1時間もすれば辺りは夕闇に包まれるだろう。だがそんな情緒あふれる空の色とは対照的に、彼が所持する店の薄汚れたピンクのネオンはあやしく光っていて、その人工的な色合いが僕の不安感を一層増幅させていた。

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タクシーから降りた李くんは僕の手を取り、店の方に向かっていく。彼の店は一見すると田舎のモーテルのようで、ベッドが一つ置かれただけの5畳ほどの部屋が横に10室くらい並んでいる場所だった。それだけなら宿泊用の汚い旅館のようにも聞こえるが、実際の光景としてはその周りには露出度の高い服を身にまとった女性たちが暇そうに座っていて、いわゆる連れ込み宿の特徴をはっきりと捉えていた。

彼は僕を店の女の子たちに軽く紹介したが、昼間出会った彼の妹たちとは違い、誰一人僕に興味を示さなかった。彼もその雰囲気を察したのだろう、そんな彼女たちを背に僕を部屋まで案内し、優しくこう言った。
「ここが今晩僕たちが泊まる部屋だ。きれいだろ?」
「僕たち?」
言語的に正しくコミュニケーションをとれなかったことが理由かもしれない。だがジェスチャーで僕と自身を指さし、「スリープ」と言いながら手のひらを合わせて耳の横に置く仕草は、二人で寝ること以外に何を表すのか。あるいはそれは比喩的な表現で、実際には隣の部屋で寝るのかもしれない。しかしその部屋は鍵がついておらず、治安がいいとは到底思えないこの地域においてそれはどちらにせよ非常にリスキーな選択のように感じていた。

僕の不安感はどんどんと高まっていく。李くんは今のところ僕に対してとても親切に接していて、いつも笑顔で話してくれている。タクシー代も食事代も彼がすべてお金を払ってくれ、まさに至れり尽くせりである。ただ思い起こしてみれば、彼は僕以外に対してそれほど笑顔でいるわけではなかった。昼食のあと美容院の前で休憩している時、少し離れた木陰で妹に対し真剣な表情で怒っている彼の姿を僕は目撃していた。

彼は不自然なほどに僕と他の人に対する態度が違っていた。

そんな状況の中で、僕はどのような選択を取るのか。現地の生活を生で感じたいというのなら、これはまたとないチャンスだろう。同年代の若者たちと一夜を共にして色々なことを語り合え、彼の妹ともまた楽しく話せるかもしれない。だがしかし、僕の理解が間違っていなければ今晩僕は彼と一緒に寝ることになる。さらに言えば、今日は一人で旅を始めてまだ第1日目なのだ。財布の中にはアメリカドルと中国元、そして日本円を合わせて10万円ほどのキャッシュが入っている。2か月目くらいならまだしも、3日日で全て失うのは惨めすぎる。いやお金だけならまだいい。命の危険はどうだろうか。まだこの地域に入ってから一度も警察を見かけていない。僕の身に何かあってもどこにも保証はないのだ。

考えれば考えるほど不安になってきている。そういえばこれに似た絵本があったのを思い出した。確か『きつねのおきゃくさま』という題名だ。この話の序盤では一匹のキツネがひよこを太らせてから食べようとしていた。ただ最終的にキツネがそのひよこに情が移り、オオカミからひよこを守って死んでいくという結末だ。李くんはキツネと同じ目的で僕に近づいたのだろうか、そうだとしたら最後も同じような感動的なエンディングになるのだろうか。それとも初めから純粋な気持ちで僕に話しかけてくれた…?

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そんなことを考えているうちにもう辺りは暗くなりかけていて、その店で働いていた李くんと彼の友人は僕を連れてゲームセンターへと向かった。ゲームセンターといってもそこは倉庫のような場所で、正規ルートで運ばれたとは到底思えない日本の古いゲーム機が10台ほど並んでいた。この場所も彼が所有しているのだろうか、他に客はおらず、故障のためか5台ほどしか電源が入っていなかった。僕はしばらくゲームに集中している李くんとその友達の後ろで見ていたが、特に僕にプレイさせてくれる様子もなかったため、そのゲームセンターの中をぐるっと一周して見回り、そのまま外に出ることにした。外はもう夜になっていて、周囲を見ると人影はほとんどなく、風俗店の従業員も誰も外には出ていない様子だった。そしてじっくり考えてみた、もしかしたらこれがこの場を去る最後のチャンスになるかもしれないと…。(写真はイメージ。実際はこれよりももっと薄暗い空間で、李くんと彼の友人は僕のことを気にかけられないほどゲームに熱中していた。)

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僕はあたかも散歩している雰囲気を出しながら道路の方に歩き始め、ゲームセンターや風俗店の方に誰もいないことを厳重に確認しながら、道の向こうからそれが来るのを待っていた。そしてその車影が僕の目に入ったと同時に僕は走り出した。走って、走って、何とかその車が来る前に道路にたどり着き、その車に向かって手を上げた。そして急いでドアを開けて車に乗り込み、運転手にこう言った。
「駅、駅、ステーション、ステーション。」
彼は何のことか全くわかっていない様子だったが、冷静に前後左右の安全を確認すると、静かにその「的士/TAXI」と書かれた黄色い車を発進させた。僕はしばらくの間、後ろを振り返ることはできなかった。もしかしたら彼らに見られていたかもしれないという不安もあったし、とても丁重にもてなしてくれた「友達」から逃げるという後ろめたさもあったと思う。ただ彼らの風俗店や美容院がもう見えなくなった辺りで後ろを振り返り、誰も追ってこないことを確認すると、僕はこれ以上ないほどの安堵感に包まれるのだった。

駅に着くとそこにはまだ多くの人が列車を待っていて、僕は7時過ぎの今からでも行けるくらいの近い町はどこかと尋ねた。すると窓口の女性は予想通りの無表情でこう答えた。
「じゃあ無錫行きだね、2時間くらい待たないといけないけど。」
もし僕の心に余裕があったのならバス乗り場を探したり、別の町へ行くなど、他の選択肢も頭をよぎったかもしれない。ただ中国という異境で、ついさっきまで危機感を感じていたその状況は僕に最も無難な選択をさせた。
「それで大丈夫。オーケー、オーケー。」
僕はそう言いながら15元をそっと支払いトレーに置いた。

駅で列車が来るのを待っている時間は正直彼らが追ってこないかという不安感がまだ残っていて、僕はあまり人目につかないような建物の陰に身を小さくして隠れていた。そしてそのまま駅に着いてから2時間が過ぎたが、結局彼らは追ってこなかった。

僕は列車に乗り込むとようやく心が落ち着きはじめ、発車するまでの間、今頃彼らは何をしてるだろうかと考えていた。もしかしたら日本から来た「友達」が急にいなくなったことで心配して近くを探し回っているかもしれないし、利用しようとしていた「客」に逃げられてくやしがっているかもしれない。実際のところ、彼らは純粋に僕と「友達」になりたかったのだろうか、それとも僕に何らかの危害を加えようとしていたのだろうか?
結局僕は一生解決されることのないこの疑問を残したまま蘇州を去ることになる。
ただまた将来、もう一度同じ場面に直面したとしたら、僕は同じ判断をするだろうか。それともこの旅の中で自分の中での価値観や判断基準は変わることはあるのだろうか。

列車は動き始めた。何とも言えない疲労感と寂寥感だけが残っている。

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15年が過ぎた現在、彼らや彼らが住んでいた地域に関して残っている情報は日記に書いた数行の文章だけで、現実的に考えれば彼らに再会することは絶対にない。彼らがどんな理由で僕を彼らの空間に招待したのかという疑問は永遠に解決されることはない。

果たしてあの場所から逃げたのは本当に正しい行動だったのだろうか。人は誰でも他人を信用したいし、信用されたい。相手がどんな人だったとしても、根本的に人は他者を信じたい気持ちがあると僕は考えている。ただ僕は彼らを完全には信用することができなかった。たぶんそれは彼らが外国人だったという理由もあるし、風俗のような仕事をしていたということも理由なんだろう。僕は子供のころからいたって普通の日本人として、比較的裕福な家庭環境で育てられていた。ただ高校やアルバイトなどで交友関係が広がり、それからは外国人や雀荘店員のような、決して社会的地位が高いとは言えない人たちの中で生きていくようになった。そしてそれ以降は社会的背景で人を判断しないように自分に言い聞かせていたし、モウちゃんとの出会いは、「出身国に関わらず誰とでも友達になれる」という希望を僕に与えてくれた。それにも関わらず、彼女の故郷である蘇州で出会った男の子との「友情」を僕は自らの手で打ち砕いた。

たぶんこの話をするとほとんどの人が「それは正しい選択だ。もしかしたら強盗にあっていたかもしれないのだから。」と言うだろう。中国人でさえそう言うと思う。ただ僕は自分のその選択が、まるで自分の器の限界を突き付けられたように思えてならない。

実際それから今まで、数多くの中国人に出会ってきて、彼らの中には初対面でも気軽に食事をご馳走したり部屋に招待する人がいることがわかったし、僕自身がそうすることもあった。結局のところ、李くんが僕を騙そうとしていた証拠なんてどこにもないし、結果として残った事実といえば僕が初対面の外国人に色々もてなされた末に勝手に恐怖心を感じて逃げたことだけなのだ。

それから15年が過ぎて、僕は36歳という完全に「大人」と呼ばれる年齢になった。例えば今、また同じ状況に直面したら僕は逃げずに向き合うことができるだろうか。たぶんできないと思う。それが大人になるということなのだ。ただそれでも、あのような修羅場に飛び込む勇気や、心のどこかで他人を信頼しきれる器をいつか僕も持てるのではないかという夢を僕はまだ見ている。しかしそれがまだ達成されていない今、あの時の疲労感と寂寥感は僕の心に依然としてべっとりと貼り付いている。

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