感覚の研ぎ澄まし方 bタイプ

感覚の研ぎ澄まし方には、二つのタイプがある。
足し算的なaタイプと、割り算的なbタイプである。
二つのタイプが生み出す作品には明確にではないが、気がつけるような違いがある。
その二つはまったく違う道筋を通りながら、同じ一つの目的に到達しようとする。
だから、同じような作品でも、その奥に存在する作者の姿はまるで違う。
野犬と犬の違いを感じる。
aタイプを読んでから読むとさらに理解できると思うので、ぜひ読んでほしい。

昨日のノートにあがっています。

https://note.com/0010312310/n/na438e9b78e92

では、おかえりなさい。

bタイプは割り算的な感性である。
一つであるとされているものを二つに分けることでそこにできた割れ目に感性を発揮する。
そこに美しく咲いている儚い花を愛しているのである。
谷間に橋をかけて行くaタイプが見つけられなかった、谷底の花に彼らは心躍らせる。aタイプが谷の向こうに美しさを発見する頃、bタイプは谷底にわざと落ちていってしまうのだ。

そこで見つけた花の美しさを、これでもかと書き記す。
どんな芸術でも書き記すという性質はある。自らの中で再構成するのだ。
aタイプの人たちは、谷の両方のものを自らで再構成し、bタイプの人たちは、谷底の花を自らの中で再構成するのだ。

aタイプの壺の中は実は様々なものが入り混じっている。けれども、bタイプは壺があってもそこに入れなかったり、その中に入ってなかったり、言うなれば無の中に生まれた有として芸術を構成し、それを美しいと思う。
aタイプに華やかさは劣るかもしれないが、そこに生まれた洗練はいつまでも人の心に残り続ける。
aタイプが新しく新しくして進めて行く芸術の、瞬間の美しさを永遠にするのだ。
そのどちらが正しいかなんてわからない。
けれども、一つじゃないことでどちらも生き残っている。

bタイプの感性の磨き方は、誰も見向きしないものを見ることである。
僕は缶コーヒーの缶を集めて、意味もなく、本棚の上に並べているが、それを時たま見ると、何故かそこに美しさを感じる。
種類が揃っているわけでも、綺麗に積まれているわけでもないのに。美しく見える。
bタイプの感性には、最も大事な才能として、一つに見えるものを二つに分解できる。という才能がいる。
一つに見えるものを二つに分け、そこに生まれる狭間に落ちていかなければならない。
数学がやけに芸術に似ているのは、それが分けることを本質としているからであろう。
数学というのは、ゼロでプラスとマイナスを分けたことでそのどちらもが輝き出したように、分けることでそのどちらも美しくする性質がある。
それは、ヤコブソンが言語学の二項対立性を様々な分野に持ち出したときのように、様々なものをまた別のものへと変えたような性質である。
美しさというのは、分裂と合成が交互に生まれるもののことである。
bタイプは分裂の美しさを信じるのである。

bタイプが磨くべきなのは、分裂させることと、その分裂した狭間にある美しさを守ることである。
aタイプが二つのものを新しくし、そこに進歩性のような美しさを見つけるのとは違い、その進歩性に忘れ去られてしまう過去性に美しさを見つけるのだ。

二つのタイプがどちらもいなければならない。優れた芸術家はどちらの人間も自らのうちに飼っている。
分裂と合成が美しさ、感性を磨く。
キラキラに磨かれた感性は、切ることもできるし、切り刻んで混ぜることもできる。
それを一層豊かなものにするのがより高次の自らなのである。
壺のような自分は、美しさを生み出し、美しさを守る。そして、取り出された時に、その人物に見たこともない美しさを覚えさせるのだ。

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