見出し画像

評価が文化をつくるとしたら

1226文字

会社組織において、

誰かが誰かを評価して、その人の価値が決められていきます。

ですが、その評価が「自分が思ったものと違った」場合、何が起きるでしょうか?

要するに、自分が会社に提供できている価値の評価に対して、「自己評価」のほうが上回っている場合ということですね

自分がやってきた成果、取り組んできた結果などが、「自分が思った以上に評価をされていない」と感じた場合、どんなことが起こるのか?

それが何人もの人、何十人もの人が、【 自己評価  > 実際の評価 】と感じる評価だった場合、組織は崩壊や腐敗を招く恐れがあります。

そして、会社の成長は鈍化し、衰退に向かうことになっていくと思います。

ですので評価者は、とても慎重に1人1人をよく観察し、評価をしてあげなければならないということです。

働く人にとって、多くの人は当然、会社に貢献するために日々、取り組んでいるものです。

#じぶんのためもある

そういう人は特に、会社のことを考え、どんなに辛い時でも、しんどい時でも、歯を食いしばって「あと1つだけ作ってから帰ろう」とか「あと1件だけ回ってから戻ろう」とか「あと1個売れるまで…」といったように粘り強く、仕事をしていたりします。

この「粘り強さ」こそが、会社を支えるものであり、会社を成長させていく推進力だったりします。

この「粘り強さ」がなくなってしまう時というのが、まさに「正当な評価を得られなかった時」ということになるのではないかと考えられます。

そして、正当な評価を得られなかったと感じた場合、先ほどの「粘り強さ」は一気に失われていくと思います。

評価されていないと感じた人たちは、

「どうせやってもやらなくても評価されないし」
「もういいや、今日はこの辺で」
「ま、明日やればいっか」

といったように、粘り強く100%でやってきた仕事を、少しゆるめて80~90%くらいの力でやるようになるでしょう。

多くの社員がそうであった(評価されていないと感じた)場合、毎日少しづつマイナスの変化が現れ、その積み重ねが大きな損失となっていくのではないかと思います。

一方、正当な評価により、自己評価と差がない場合には、自分から「今よりもっと頑張らなければいけないんだ」とポジティブに思えたり、「もっとやればもっと良い評価してくれるならやってやろう」となってきます。

なので、「評価が企業の文化をつくっていく」1つの要因になっているということがいえます。

評価される側は、評価者に対して自分の成果を臆さずにしっかりとPRすることが大事なことだと思いますし、
評価する側は、全員を客観的な目を持って正しく評価しなくてはいけないということを肝に銘じておかなければなりません。

「たかが1つの評価」でも、会社にとっても、一個人にとっても、1つ間違えれば何かが大きく変わってしまうものだ、という認識を常に持っていなければいけないですね。

全く粘り強さのない、あっさりとした、私から共有いたします。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?