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『先生の白い嘘』原作の感想と映画化について

映画化にあたっての監督のインタビューが話題になってたので5年以上ぶりに最後の8巻まで読み返した。Kindleの購入履歴をみたら1巻買ったのが2015年の4月で9年前(!)ということにびっくりしたわ……
性暴力描写がかなり生々しくて重苦しい内容だったという印象はよく覚えている。
自分のなかでは当時に比べると色々と解像度があがってきて以前とはちょっと感じ方が変わったかもしれない。

(以下、原作のキャラクターに対するネタバレありの考察です。原作のネタバレを知りたくない方は目次から「映画化について」に飛んでください)



感想

新妻くん高校生だよね……いくら美鈴が性暴力被害者とはいえ相手がちょっと高校生相手はまずいんじゃないのかな。美鈴は人生経験とか年齢とか立場とか権力勾配的に感情をぶつけやすい相手に向かってしまったのでは。
最後、冒頭から2年経ってる(=新妻くんは高校を卒業している)からまぁギリオッケーなのかなと思ったけど男女逆転して考えたらやっぱりちょっとうーん。
美鈴は新妻君にカウンセラー役を背負わせてしまっているような気がする。相手はまだ子どもなのに。 新妻くん自身も性被害者だし高校生には荷が重すぎるだろうよ。

妊娠した以降の美奈子に対する美鈴の目線には母性を神格化しているようなニュアンスがあると思う。作中での美奈子は「愛で乗り越える強い母」みたいなイメージだけど、現実として考えると早藤が育った家庭のような機能不全家族を再生産してしまいそう……
てか美奈子は早藤が自首した時点で養子に出しそう。美鈴に土下座して謝ってたのはどういう気持ちだったんだろう。全部知ってたのに美鈴とも関係を続けられる神経がよく分からない。

最後のほうで出てきた、美奈子が早藤への気持ちを綴るノートに

「もうずっと前から 私の親友の美鈴とも 関係を持っていたよね?」
「携帯の中に あなたがお守りみたいに大事にしまっていた 彼女の体の一部も 最初見たときは一体なに⁈と驚きましたが よく考えると 自分の体の一部も こんなふうになっているのかなぁ なんて全然知らなかったことに素直にびっくりしたくらい(笑)

『先生の白い噓』8巻48話

って書いた文末の(笑)って何。自分の彼氏(後に婚約者)が親友の性器の写真をスマホに保存してるんだぞ。サイコパスか……?
結局のところは早藤と美奈子は似た者同士なのではないか……?

この作品の明確なヴィランである早藤は、まぁここまで酷くなくても女を人間扱いしない処女廚のリトル早藤のような価値観の男性って結構存在するよね。現実では自分の子どもができたからって他人事だろうし、自首なんかしないし堂々と出世しそう。胸糞。作中ではきっかり拘置所に入ってたのだけが救い。

ミサカナは兄との関係をもうちょっと描写してほしかったかも。兄はミサカナに「ゴメン 佳奈」って謝ってた(7巻の最後)けどどういう気持ちの変化で謝ってたんだろう。
ミサカナはどこか自分の兄に雰囲気が似ている新妻くんに救ってほしくて執着していたようにみえた。

和田島は屈託のないヤリチンキャラでこの作品の中では数少ないムードメーカーだった気がするけど、それは『先生の白い嘘』が男性誌に連載されてたから主なターゲットであろう男性読者が感情移入しやすいようにだろうか。ミサカナ相手にでも寸止めできるのすごいね。この作品での高校生の振る舞いは大人びているけど、特に和田島は高校生とは思えない。色々経験してきた30代みたいな余裕と落ち着き。和田島の過去にいったい何が。

緑川椿は「自分の体が自分を苦しめるなんて考え 狂ってる」(2巻9話)といって高校生ながら水着グラビアに出たりしてて、いかにも性の自由を謳歌するリベフェミっぽい考え方だな~と思った。 でも芸能界入りした後にツイッターで下着を脱いだ画像をアップして炎上してる描写(8巻48話)があったりもしてて、大丈夫じゃなさそう。


映画化について

こういう感じの性暴力を扱って性被害者の内面にも関わる部分に触れる内容を映画化するのに、

監督みずからがインタビューで

「奈緒さん側からは『インティマシー・コーディネーター(性描写などの身体的な接触シーンで演者の心をケアするスタッフ)を入れて欲しい』と言われました。すごく考えた末に、入れない方法論を考えました。間に人を入れたくなかったんです。ただ、理解しあってやりたかったので、奈緒さんには、女性として傷つく部分があったら、すぐに言って欲しいとお願いしましたし、描写にも細かく提案させてもらいました。性描写をえぐいものにしたくなかったし、もう少し深い部分が大事だと思っていました」

https://encount.press/archives/644934/

って言ってたのはマジかよ……って思うわ。インタビューでいうってことは全然問題とは思ってないってことでしょ。
もう少し深い部分が大事だからこそ専門家が必要とされるじゃないんかい。でもインティマシー・コーディネーターを監督が拒否したという理由でこの映画を全否定してしまうのは、(おそらく)消耗しながら演じた俳優の努力が報われないようで、それはそれでつらい。

女性視点の性差別というテーマには惹かれた部分でもあったが、同時に男性の自分には理解できているのか、という思いもあったという。

https://encount.press/archives/644934/

っていうくらいなら女性の視点で女性の監督が映像化したほうが良かったのでは……

本作は、男女間の性の格差をメインテーマとし、女性の秘められた性の快楽も描いたコミックの映画化。
(中略)
美鈴は二面性のある早藤に嫌悪しながら、どこか引かれており、ズルズルと体の関係を続けている。

https://encount.press/archives/644934/

原作は明らかに性暴力に対する怒りと性被害者が自己を取り戻す過程を描いているので「秘められた性の快楽」というのは主題ではないのだけれども、このように煽情的に紹介されてしまうと性被害がポルノ的な文脈で消費されるのではないかという懸念があるし、性被害者に対する二次加害にならないように配慮されているのかが心配。

【追記】原作者コメント

その後、原作者のコメントが記載された記事が発表されたので追記する。

漫画が映像化することは、基本的には光栄なことだ。それでも自分は自分の描いた作品に無責任すぎたのかもしれないと思う。作品は作品で描いた人、撮った人、演じた人の個人とは無関係に評価されるべきか。そういう性質なものもあっていいと思う。ただ、自分はこの漫画を描くとき、確かに憤っていたのだ。一人の人間として、一人の友人として、隣人として、何かできることはないかと強い感情を持って描いたのだ。それがある意味特別で、貴重な動機づけだった。今あんな情動を持てない。

性被害に対し、何を言えるのか。私たちはどんな立場なのか。どんな状況でもそれを明らかにできる場合にしか明け渡してはいけない作品だったと思う。こんな原作がなんぼのもんじゃと言われるかもしれないが、なんぼのもんじゃと私だけは言ってはいけなかったと思う。自分だけは、自分のかつての若い”生もの”の憤りを守り倒さねばならなかった。

撮影に際して、参加する役者さんからスタッフにいたるまで、この物語が表現しようとしているすべてに、個人的な恐怖心や圧力を感じることはないかどうか、性的シーン、暴力シーンが続く中で、彼ら全員が抑圧される箇所がないかどうか。漫画で線と文字で表現する以上の壮絶さがともなうはずだったことに、私は原作者としてノータッチの姿勢を貫いてしまった。原作者として丸投げしてしまったこの責任を強く感じるにいたり、反省した。

後だしで大変恐縮ではあったが、センシティブなシーンの撮影についても、事細かに説明を求め、おろしてもらった。説明を聞き、一応のところ安心はしたものの、やはりあらゆる意味で遅すぎたし甘かったと思う。わかりようがないとはいえ、もっともっと強く懸念して、念入りに共通確認をとりながら繊細に進めなくてはいけない。そういう原作だった。

これは昨年、私が記した所信です。御社 文章(※後に訂正)は公開はしませんでしたが、去年の時点での私の考えでした。今公開を迎えるにあたり、このたびの発言がよくない意味で注目されていることを私は何とも心苦しく思っている。なぜなら、何かこの作品で誰かに嫌な気持ちを起こすようなことがあれば、私にもその責任があると、すでにこのように去年の私は記していたからです。こういう場合、みな一様に”言葉には気をつけなければならなかった””本当に配慮が足りなかった””配慮に欠けていた”と反省されます。

ただ、私が感じる問題はそうではない。問題は最初から信念を強く持ち合わせていなかったことではないでしょうか。私も出版社も含め、製作した者たちがあらゆる忖度に負けない信念を、首尾一貫して強く持たなかったことを反省すべきだったのではないか。このことを私が今、私自身に痛感しています。

冒頭で言ったように、最大限の配慮や共通理解を徹底して作るべき作品であること。それを映画製作側へ、都度働きかけることを私が途中で諦めてしまったことを猛省したのは、主演の奈緒さんの態度に心を打たれたからです。個人的な感想ですが、この映画製作において、一番強かったのは奈緒さんです。彼女はこの騒動で誰よりも先駆けて私に謝罪をされました。現場で一番厳しい場面と素晴らしい場面に誠実に対峙した、奈緒さんが、です。心遣いに感心したと同時に謝罪なんて必要ないよと心から申し訳なく思いました。

何より、映画の中の主人公としての演技が素晴らしかったのです。現実でも虚構でも、彼女は誠実そのものでした。感謝していますし、彼女が望むなら、たくさんの人にその素晴らしさを見てもらいわかっていただければ私自身反省をしたもので、これ以上のことはありません。

https://www.cinemacafe.net/article/2024/07/05/92440.html
※「御社は公開はしませんでしたが」→「文章は公開はしませんでしたが」の訂正があった

原作における性暴行の描写を知っていればセンシティブな描写で俳優に配慮が必要であろうことは容易に想像ができる。

どんな脚本かは不明だけれども、インティマシー・コーディネーターを監督が断ってしかもそれが通ってしまうような現場だからこそインティマシー・コーディネーターが必要とされているということが逆説的に証明されているように思う。

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