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人生のリセットボタン

「最後に何を思い出す?」

と聞かれた時に、私は何を思い出すのだろう。

そのセリフは、海風を感じる鎌倉で生きる、4人の姉妹を描いた映画の1コマ。

そして続けて「縁側かな」といった、長女のあの子の気持ちが私には分かる。

柔らかく、あたたかい縁側は、木のぬくもりを感じるだろう。

日々を彩る庭を前に、五感を全て投じて季節を感じることが出来る縁側。なんて幸せな。

では、私は?


幸せの象徴

1番真っ先に浮かぶのは家族であり、姉妹であり、親友だった真っ白な犬「もも」のこと。

一人っ子の私にいつも寄り添い、ふわふわの毛をこれでもかというほどよく撫でた。
真っ黒の鼻は年齢を重ねる毎にピンクになり、大きな目はいつも私を追いかけていた。

夕焼けに包まれた部屋で本を読み、そよそよと揺れる薄いカーテンを鬱陶しくも感じながら、両親が仕事から帰ってくるのを2人で待った。
本のページも夕焼け色に染まり、照らされたももの身体も、まるで夕焼けに包まれているかのようだった。

何にもない穏やかな時間にいつも一緒にいてくれた彼女が、幸せの象徴のように思い出のなかで光り輝く。

覚悟の詰まったネックレス

その次に思い出すのは、一人暮らしの部屋のあの日。

それは20歳の誕生日を目前にした、真っ暗な夜。

距離が近いと衝突ばかりしていた母と、物理的な意味で離れるしかないと思って始めた一人暮らし。
アルバイト代と奨学金で、学費と生活費を捻出した1年間はあっという間で、あの部屋のことはあまりよく覚えていない。

数時間眠るためだけに借りたといってもいい部屋には、「時計じかけのオレンジみたいで可愛い」といって買ったオレンジのカーテンがかかっていた。

フリーターのように働いていた学生といえば、苦労ばかりのように感じるが、あの頃は睡眠時間をギリギリまで削り、遊ぶ時間は確保して、朝陽の眩しさを何とも思わず、大学に通った。

そんな私の睡眠を、毒々しいオレンジ色の遮光カーテンがいつも守ってくれていたのだ。

忙しない毎日を過ぎ、いつものようにバイトから帰ると、真っ暗な部屋の中央に白い紙袋が置いてあるのが見えた。
誰が置いたのかは、考えなくてもわかる。合い鍵を持つ両親だ。

キッチンにある備え付けの蛍光灯に手を伸ばし、頼りない紐を引っ張ると、すぐに小さく灯りが灯る。紙袋を覗くと、手紙と黒い箱が入っていた。

手紙には

「私がもらった婚約指輪を、20歳の記念にネックレスにして贈ります。」

と母の字で書かれていた。

袋に手を入れ、そっと箱を取り出して、開ける。手紙を読む前と後では、紙袋の重さが違うように感じられた。

黒い箱の中には、小さく光るダイヤのついたネックレスが入っていた。

ネックレスは暗い部屋のなかでも、安っぽい蛍光灯の光を十分に集め、若くして結婚した2人の覚悟のおかげで、強く強く光っているように見えたのだ。

3歳児神話が唱えられていた時代に、共働きで育った私の子育てを、本当にこれでいいのかと手探りでやってきた2人。

20年間の気持ちがたっぷりつまったネックレスは、煌々と反射して、その美しさを、あの毒々しいオレンジのカーテンに痛々しいほど突き刺していた。
わたしはその夜の、キラキラしたネックレスのことも思い出すだろう。

迎え入れる朝

そして、今の部屋の大きな窓から、降り注ぐような朝陽。家具に当たり影を作り、その境目を、友人にもらった私の足に馴染んだ革のスリッパで歩く。

花瓶に入った水が、光に照らされて影がゆらゆらと揺れると、じっと見つめる好奇心たっぷりの愛猫の影も加わるのだ。

「一人暮らしは散歩するのが大変だから」といって猫を飼い始めた私だが、誰も待っていてくれない部屋に帰るのは寂しい。

いつも、ももが待っていてくれたように、迎えてくれる誰かがいて、「ただいま」と言える家に帰るという思い出を、私は捨てることができなかった。


朝陽のなかにコーヒーの湯気が加わり、眠気覚ましの音楽が色を付けていく。窓を開ければ、遠くで鳥が鳴き、風がその声をのせて部屋中を駆け抜ける。

そうやって始まる毎日を、積み重ねて積み重ねて、と言えば聞こえがいいが、実際は積み重ねている余裕などないほどに、あっという間に1日がすぎる。

昨日の反省もできぬまま、今日はやってくるのだ。


こうやって考えてみると、私が最後に思い出すのは、「光」なんだと思う。

眩しすぎるほどの光が、私の頭の中に残る。毎日どこかしらで見る、生活のあらゆる光が、何度も何度も今日を、毎日を、人生をリセットするかのように気持ちを始点に戻してくれる。



あの映画で末っ子の言った「たくさんあるよ」というセリフもよくわかる。

毎日はそれだけではない。光によって影が出来るように、そういうことも含めて「最後に思い出す」のだろう。

あまりにも眩しすぎる思い出に、目がくらみそうになりながら、私はその最後を迎えるに違いない。

「幸せだった」と思いながら、最後まで思い出の光に包まれて逝くのだ、いつか。

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