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0007_お茶

最近、友達の家に遊びに行った時のこと。
その友達がローズマリーのお茶を出してくれた。ドイツでは病院に行くと、お茶が普通に処方されるらしく、お茶の捉え方が日本とは少し違うということをよく聞く。確かに日本でのお茶はどちらかというと嗜好品としての側面が強く、そのお茶が持つ効能や性質にフォーカスが当たることは少ないように感じる。実際、僕の母親は中国茶にはまっていて、茶器なども集めながらお茶を嗜んでいる。専門のお店に行ったり、ネットで注文してお茶を買い、その時もどちらかというと、お茶が持つ効能ではなく、中国茶が持つ豊かな香りを楽しんでいた。
一方、ベルリンでは、スーパーマーケットだけでなく、薬局的なところにも様々な種類のお茶が置いてある。僕のシェアメイトもお茶について結構詳しい。状況に合わせて、お茶を選び、よく飲んでいる。例えば、寝る前はあのお茶。お腹の調子が悪い時はこのお茶。といった具合である。
もちろん、ローズマリーのお茶も普通に売っていて、買うことができる。
友達の家に行ったらローズマリーのお茶が出てきた。
ここまではいい。

その友達が出してくれたローズマリーのお茶は、通常のお茶とは少し違っていて、植木鉢に生えている生のローズマリーをちぎり取り、それにお湯をかけて飲むというものだった。友達はその工程を説明してくれた。僕の頭の中には、お茶は乾燥した葉っぱにお湯を注ぐというイメージがあったので、とてもびっくりした。生の植物にお湯をかけてお茶を作る。単純にそういう発想が無かった。
「あ~なるほど。こういう風にお茶を作っても良いのか」と感動した。
生の植物にお湯をかけてお茶を作る。
ここまでもいい。新たな発見だった。

感動した僕はその友達にお茶に関しての質問をした。
いつもはどういうお茶を飲むのか。どのお茶が好きなのか。そのお茶にどういう効能があるのか。友達は自分の体験を交えながら、お茶に関しての知識を披露してくれた。そして僕は、こんな質問もした。
他にどういうお茶を生の植物から入れているのか?
友達はナチュラルにこう言った。

「ブロッコリー」

「ブロッコリ?」

びっくりしてブロッコリーをちゃんと言えない。
確かにブロッコリーは植物だし、お茶を出すものになりうる。なりうる?
ブロッコリーを茹で、その茹でたお湯を飲む。通常僕らはそれをブロッコリーの茹で汁として認識している。でもよくよく考えると、確かに、それをお茶として認識して飲むことも十分可能なのである。

ここまで来た段階でお茶という概念は僕の中で拡張するところまで拡張した。ここから先の人生、すべての茹で汁がお茶として認識可能だ。

人間はあらゆるものにテキトーな名前をつけて、その概念を定義する。
名前を付けると便利だ。一度説明をしてしまえば、その後はその説明を省き、名前を使えばいい。しかし、時にはその名前と定義の関係を考え直してみるのも良いのかもしれない。自分の中にあった、当たり前の事柄が少し違った視点で見えてくる。

今度、時間がある時、ひっそりと茶会を開こうと思う。

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