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白線の内側までお下がりください


行きつく先が地獄だったとして、私はそれでも構わないのにね。

と、ぼんやり思いながら貴方の横顔をちらりと覗く。
間に合ってよかった、と最終電車の時刻が光る掲示板を見上げて息を吐く貴方とは目が合わない。

白線の内側をのろのろと歩く。
時折りわざと外側にはみ出してみる。
危ないよ、だなんて私の肩を抱き寄せないでよ。

一緒にはみ出してよ。
なんてね。


正しく生きている貴方が大好きで、大嫌いだよ。

《白線の内側までお下がりください》とでも言うように、貴方はとても綺麗な人。


今ホームに滑り込んで来るのが、地獄ゆきの電車だったとして、繋いだ手を振り解いて、ふっと乗り込んだなら、貴方は躊躇わずに一緒に乗り込んでくれますか?
なんて、あり得ない想像をしてみる。
地獄ゆきの電車も、一緒に乗ってくれることも、あり得ない。
眉を下げて、ダメだよ、なんてたしなめる白線の内側の貴方が頭に浮かんでは消えた。


結局いつも、私も彼と同じようにおとなしく白線の内側に立って最終電車を待っている。
時刻通りに電車がホームにするりと流れ込む。
電車からまばらに人が降りてきて、ゆっくりと乗り込む私。その後に続く彼。

発車ベルが鳴る。

繋いだ手を解いて、
ふっ、と電車から降りてみる。



白線の内側。だろうか?
電車側から見たら、ここは外側だろうか。


最終電車の、白線の外側で、振り返ると彼は当然ながら驚いた顔をしている。

もうすぐ発車ベルが鳴り終わる。

貴方も白線の外側にはみ出して来てよと願う反面、どうかずっと綺麗なままでいてよ、と惜しむ私もいて、おかしくてつい笑ってしまう。


発車ベルが止む。
ゆっくりと目をとじる。
プシューと音を立ててドアが閉まる。
電車が動き出す音がして、ゆっくりと目を開ける。


今度は私が、驚いた顔をしていただろう。
だって目の前に彼。
電車の光がするすると遠ざかってゆく。

「なに、してんの」
という彼の問いかけに差し出す言葉の一つも用意していなかった。あまりに予想もしないことだったから。
「どうして?」とぽろりと溢れそうになったが、なんとなく飲み込んだ。これがあなたの答えでしょう?と思うことにした。


「地獄へ、ようこそ」
悪戯におどけてみせる。
この言葉の意味が、貴方に伝わるだろうか。
伝わらなくても、貴方がただ慌てて咄嗟に降りて来てしまっただけだとしても、もうなんでもいいや。今、目の前に貴方がいる。貴方と、目が合っている。

事態を把握しきれていない様子の彼の頭の中にはきっと「どうしたの?」とか「終電だったのにどうするつもり?」とか無数の言葉が駆け巡っていることだろう。
三つほど瞬きをして少し思案している様子だったけど、


「行こうか」
彼は私の肩を抱き寄せて歩き出した。


ここが白線の内側か外側か、もう分からなかった。
ここは貴方と初めて歩く、地獄の入り口。




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ぼくらは昔、言葉を持たぬ生き物だった。 ぼくらは昔、幸福だった。 --- 最後までお読みいただきありがとうございます。 非会員の方でもスキ(ハート)を押すことができるので、スキをいただけるとものすごく嬉しいです。 スキやフォロー、とても励みになります!