げんにび

瞑想(マインドフルネス)で得た知見を共有したいと思っています 西洋哲学、歴史、心理学、…

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瞑想(マインドフルネス)で得た知見を共有したいと思っています 西洋哲学、歴史、心理学、文学など様々なジャンルを学んだので独自の角度から語れたらいいな 勉強がとにかく大好きなASDです 仏教徒

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記事一覧

仏教はイデオロギーか?

 イデオロギーというのは普通悪い意味で使われる。「思い込みが激しい」みたいなニュアンスがあると思う。で、僕のブログを見た人から「思想が強い」と言われて凹むことが…

げんにび
13時間前
10

祈りについて 慈悲の瞑想 合掌

 「祈り」という言葉が若者の間で使われている気がする。サブカル文学界隈に多そうだが、日本人のスピリチュアリティの悪あがきという感じがする。現世利益でも先祖供養で…

げんにび
1日前
15

認知行動療法と精神分析の架橋 瞑想 仏教

 マーク・ウィリアムズという人の「マインドフルネス認知療法」という本でうつ病が治った。おすすめです。  認知行動療法には昔から興味があって「いやな気分よさような…

げんにび
2日前
17

精神分析と仏教1

 斎藤先生がラカンと仏教を一緒にするなと書いてた気がするけど、どっちも臨床心理学だから似てくるのは仕方ないと思う。確かに仏教にはエディプスコンプレックスも性一元…

げんにび
3日前
16

仏教と政治 エンゲージド・ブディズム 微笑系

 最近、社会や政治に興味が出てきて、ボーヴォワールやフーコー、丸山眞男や吉本隆明などの本を読んでいた。「無職が政治をやると狂う」という持論があったので一切手を出…

げんにび
6日前
28

死ぬ前に成仏する 死ぬ技法

 実家は天台宗の檀家なのだが、お坊さんに「死んだ母親はどこにいるのですか」と聞くと「輪廻の中で仏道修行をしています」と言われた。そんなおとぎ話で誰が救われるんだ…

げんにび
6日前
23

自己とは焦点である 内なる他者

 恐らく、動物には自己がない。人間にはなぜ自己があるのだろうか?自己の礎を築いたデカルトは「言葉」に人間の根拠を置いたが、僕は「他者」であると思う。  「地下室…

げんにび
7日前
18

受け入れる 受容 海 聞くこと 縁

 20代前半の頃、「自由に生きる」という仏教書を読んでいて、その中の対談に「受容」という言葉が出てきた。受容か、と思って、なんか清々しい気持ちになり、近所の海へ…

げんにび
10日前
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恋人を分析する 罪と恥 瞑想の臨床心理学

 経験から得られた知が欲しい。恋人が瞑想やポリヴェーガル理論を実践しているので、パーソナリティや瞑想体験から何か導きたい。  恋人の性格で特筆すべき点は「恥」の…

げんにび
12日前
25

「私」の本質と異文化 近代の身体性

 部屋に本が散乱しているのだけれど、瞑想をしていると、散乱している本に同一化している自己があった。比喩的に言うと、本と自分が線で繋がれているような感じ。その線を…

げんにび
13日前
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家族とか性的なものとかについての試論

 あとから振り返って「自分ってこういう興味があったからこういう本を読んでいたんだ」と気づくことがある。最近吉本隆明や精神分析、ドゥルーズや儒教の本を読んでいたの…

げんにび
2週間前
27

合理化された身体と不合理な欲動 仏教の現代的意味

 僕は学校の机に座っているのが苦手だった。立ったら怒られるので座ってはいたが、絶えず貧乏ゆすりをしていた。授業を聞くのも退屈で、ずっと落書きをしていた。今思えば…

げんにび
2週間前
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最近考えていること 臨床知 精神分析

 「臨床の知」が好きだなあと最近思う。僕が使っている臨床の知というのは多分普通の意味とは違っていて、「メンタルの現場の主観的体験を理論化したもの」になる。身体の…

げんにび
2週間前
17

世界はずっと新しい 無常という鍵

 レディ・サヤドーという人の本がネットで無料で読めたので、昨日と今日と読んでいた。探せば読めるので気になる人は読んで欲しいが、「無常の生滅というのは個人的に体験…

げんにび
2週間前
26

仏教と否認の心理学

 「否認」で検索すると「事実として認めないこと。承認しないこと。」と出てきた。仏教の救いとは「事実を事実として認めること」だと思う。  瞑想を始めようと思ってい…

げんにび
2週間前
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自我の存在証明 なぜこんなに生きづらいのか

 「自我」というのは存在しない。脳科学者に聞いてもそう言うだろうし、社会心理学者に聞いてもそういうと思う。身体が自己なのか?思考が自己なのか?意志が自己なのか?…

げんにび
2週間前
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仏教はイデオロギーか?

 イデオロギーというのは普通悪い意味で使われる。「思い込みが激しい」みたいなニュアンスがあると思う。で、僕のブログを見た人から「思想が強い」と言われて凹むことがあるのだが、仏教はイデオロギーなんだろうか?

 イデオロギーを「あたかも〇〇のように行動する」と公式化する。
「1000円札なんかただの物質でしかない。が、あたかも不滅の価値を持っているかのように行動する」
「ユダヤ人も同じ人間だというこ

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祈りについて 慈悲の瞑想 合掌

 「祈り」という言葉が若者の間で使われている気がする。サブカル文学界隈に多そうだが、日本人のスピリチュアリティの悪あがきという感じがする。現世利益でも先祖供養でも真剣に祈る人はいなくなって、「エモ」のちょっとしたファッションになってしまった。

 「祈りの脳科学」という薄い本に、祈ると良い感じの物質が出ると書いてあった。オキシトシンとかセロトニンとか、多分その辺だった気がする。修道院の禁欲主義は、

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認知行動療法と精神分析の架橋 瞑想 仏教

 マーク・ウィリアムズという人の「マインドフルネス認知療法」という本でうつ病が治った。おすすめです。

 認知行動療法には昔から興味があって「いやな気分よさようなら」を読んだ時には、西洋で最高の思想だと思った。エビデンスがあり、ストア哲学があり、方法論があった。認知行動療法の本を読むと、ストア哲学が源流にあると書いてあることがあるが、その通りだと思う。

 「考え方の癖」を紙に書きだして、徐々に頭

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精神分析と仏教1

 斎藤先生がラカンと仏教を一緒にするなと書いてた気がするけど、どっちも臨床心理学だから似てくるのは仕方ないと思う。確かに仏教にはエディプスコンプレックスも性一元論も存在しないが、根幹が似ていると感じる。生物学的な傾向が強いフロイトよりも、言語学的アプローチをしているラカンの方が仏教に近いと思う。ラカニアンの人には概念操作が雑だと言われそうだが、使えそうな概念を借用するのは構わないと思う。というかこ

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仏教と政治 エンゲージド・ブディズム 微笑系

 最近、社会や政治に興味が出てきて、ボーヴォワールやフーコー、丸山眞男や吉本隆明などの本を読んでいた。「無職が政治をやると狂う」という持論があったので一切手を出さなかったが、僕のテーマは多分「生きづらさ」なので、勉強しないわけにはいかないと思う。家族などのテーマも気になる。
 
 政治については冷笑的な態度をとっていたが、微笑的な態度というのはあり得るのだろうか?最近SNSでは冷笑系が逆に叩かれて

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死ぬ前に成仏する 死ぬ技法

 実家は天台宗の檀家なのだが、お坊さんに「死んだ母親はどこにいるのですか」と聞くと「輪廻の中で仏道修行をしています」と言われた。そんなおとぎ話で誰が救われるんだと思った。

 日本では死んだ人を「仏」という。警察も遺体のことを「ホトケ」というらしい。仏教徒の人に「死んだら仏」と言えば「そんなわけがない、死ぬだけで仏になれるならお釈迦さまが修行する必要がどこにあったんだ」と言われるに違いない。が、「

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自己とは焦点である 内なる他者

 恐らく、動物には自己がない。人間にはなぜ自己があるのだろうか?自己の礎を築いたデカルトは「言葉」に人間の根拠を置いたが、僕は「他者」であると思う。

 「地下室の住人」は、誰にもなれなかったという。一人で地下室に籠って、二十年過ごす。その人はもう誰でもない人になる。

 一番「自己」を意識する時というのは、恐らく人前でスピーチをするときだと思う。僕は学芸会等が大嫌いだったが、人前で話したり、演技

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受け入れる 受容 海 聞くこと 縁

 20代前半の頃、「自由に生きる」という仏教書を読んでいて、その中の対談に「受容」という言葉が出てきた。受容か、と思って、なんか清々しい気持ちになり、近所の海へ行った。デカい海が自分の意識の中にすっぽりとおさまってるのが気持ちよかった。なんでも受け入れられるような気がした。うつ病はそこから快方へ向かった記憶がある。何かが腑に落ちたのだと思う。

 「何を話しても引かなそう、否定しなさそうだから話し

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恋人を分析する 罪と恥 瞑想の臨床心理学

 経験から得られた知が欲しい。恋人が瞑想やポリヴェーガル理論を実践しているので、パーソナリティや瞑想体験から何か導きたい。

 恋人の性格で特筆すべき点は「恥」の感覚が恐ろしく強いところだ。人見知りで、うまく社会生活に馴染めない。僕もシャイな性格だが、僕以上だ。人からどう見られているか、どう思われているかをずっと気にしているし、絶えず身体が緊張している。ビクビクしながら生きている。
 
 フロイト

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「私」の本質と異文化 近代の身体性

 部屋に本が散乱しているのだけれど、瞑想をしていると、散乱している本に同一化している自己があった。比喩的に言うと、本と自分が線で繋がれているような感じ。その線を断ち切るのは恐怖だったが、断ち切ると楽になった。
 「自己同一性」というのは「身体」にあるものではなく、「地位」「情報」「知識」などに「執着」する「運動」だ。自分が何に同一化しているのかは簡単に分かる。「失うことが怖い物」は「(広義の)自己

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家族とか性的なものとかについての試論

 あとから振り返って「自分ってこういう興味があったからこういう本を読んでいたんだ」と気づくことがある。最近吉本隆明や精神分析、ドゥルーズや儒教の本を読んでいたのだが「家族」という線で繋がれていた。

 近代というのは「国家」と「個人」が直接に結ばれる。その中間に共同体がないほうが管理しやすい。最近やたらとマイナンバーカードを推されるが、そりゃ管理しやすくなる。個人と国家が直通する。
 地縁的な共同

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合理化された身体と不合理な欲動 仏教の現代的意味

 僕は学校の机に座っているのが苦手だった。立ったら怒られるので座ってはいたが、絶えず貧乏ゆすりをしていた。授業を聞くのも退屈で、ずっと落書きをしていた。今思えばADHDの症状なんだなと思う。

 日本人は勤勉、というイメージがあるが、江戸時代の日本を見物したイギリス人は日本人は怠惰だともらしたという。おしゃべりをしながら手作業をしていて、とても「合理化」されていなかった。この身体の「合理化」と発展

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最近考えていること 臨床知 精神分析

 「臨床の知」が好きだなあと最近思う。僕が使っている臨床の知というのは多分普通の意味とは違っていて、「メンタルの現場の主観的体験を理論化したもの」になる。身体の現場も大事だけれど、僕は仏教に興味があるのでやはりメンタルの現場に興味がある。

 スマナサーラ長老の本に「ブッダの実践心理学」というシリーズがあるのだが、「アビダルマ」という仏教の心理学を懇切丁寧に解説している。残念ながらとても高価で3巻

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世界はずっと新しい 無常という鍵

 レディ・サヤドーという人の本がネットで無料で読めたので、昨日と今日と読んでいた。探せば読めるので気になる人は読んで欲しいが、「無常の生滅というのは個人的に体験しているようなもの」「映画で少しの動きに写真が何枚も必要なのと同じ」と書いてあった。
 
 毎日、同じ散歩コースを歩いているんだけれど、「全て無常で壊れていくものならば、全て新しいじゃないか」と気づいた。「昨日と今日の散歩コースは同じだ」と

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仏教と否認の心理学

 「否認」で検索すると「事実として認めないこと。承認しないこと。」と出てきた。仏教の救いとは「事実を事実として認めること」だと思う。

 瞑想を始めようと思っている友人に「自分には老いに対する恐怖があるが、その恐怖がなくなるのが怖い」と言われた。よく分からなかった。老いとは事実なのだから、「受け入れる」か「否認」するしかない。

 仏教の四聖諦の一つ目は「苦」だが、この「苦」という真理は「苦しみな

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自我の存在証明 なぜこんなに生きづらいのか

 「自我」というのは存在しない。脳科学者に聞いてもそう言うだろうし、社会心理学者に聞いてもそういうと思う。身体が自己なのか?思考が自己なのか?意志が自己なのか?と内観していっても、自我というのは見つからない。

 自我というのは存在しないのだけれど、それらしき運動は存在する。運動をする「主体」は存在しないのだけれど、運動、機能は存在する。時間と空間という軸で考えると分かりやすいと思った。過去に囚わ

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