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瞑想(マインドフルネス)で得た知見を共有したいと思っています 西洋哲学、歴史、心理学、…

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瞑想(マインドフルネス)で得た知見を共有したいと思っています 西洋哲学、歴史、心理学、文学など様々なジャンルを学んだので独自の角度から語れたらいいな 勉強がとにかく大好きなASDです 仏教徒

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何が全てを台無しにするのか? 哲学、芸術、笑い、資本主義について

 一言で言えば「自意識」である。  哲学、芸術を例にとる。  哲学を台無しにしたのは、ニーチェである。哲学に自意識が芽生えたと言ってもいい。ニーチェは根本的な疑義を呈する。「なぜ真理を求めるのか?」これほど反哲学的で、哲学的な疑問はない。  「哲学についての哲学」が生まれる。ニーチェの系譜学的方法を正統に受け継いだのはフーコーだと思うが、フーコーは学問が歴史的にどのように規定されているのかを示した。「メタ学問」だ。もうこうなると死ぬ。「真理とは何か?」「いかに生きるべきか

    • 近代の帰結は孤独死 

       「普通に家庭を持つのがこれほど大変だとは知らなかった、普通が一番難しい」とよく聞く。恐らくこれは世代間ギャップなのではないかと思う。  吉本隆明の著作を何冊か読んだ。Amazonによると8年前に買っていて、当時は難しすぎて読めなかったけど「これは大変なことを言っている」という直観があった。今なら読めるようになったので、読んでみると確かに凄く良かった。    吉本隆明の用語で言うと「共同幻想」「対幻想」「個人幻想」となるのだが、分かりやすく「国家」「家庭」「個人」と言い換え

      • 誠実さについて 謙虚さについて 傲慢について

         近代の最大の道徳価値は「誠実さ」であるが、それに到達した哲学者は一人もいなかった。キルケゴールやニーチェが誠実さの問いを提出してから、サルトルが自己欺瞞や対他意識の問題を鋭く考察したが、時代は「主体の壊乱」の方へ向かい、「戯れ」という言葉が流行った。  それでも、僕は誠実さという徳が一番大切なように思う。理由は分からない。性癖だと思う。  僕は、傲慢である。僕は傲慢であるという主張の対人的な意味は「僕は自分が傲慢だと認められるぐらい謙虚なんです」となる。神仏に告白する場合

        • 仏教における「疑い」について 瞑想のある種の困難さ

           最近、唯識仏教の勉強をしているんだけれど、「根本煩悩」の中に「疑」がある。僕も思い当たる節がある。瞑想についての疑いが深い時期があった。  まずどの方法が正しいのか全く分からなかった。〇〇式というのが6個ぐらいあるし、どれも「自分達が本物」と言って憚らないので、混乱した。瞑想をしていても「これでいいんだろうか」という疑いが消えなかった。  更に「悟り」というのも胡散臭い。古代人の妄想じゃないか?と思った。  紆余曲折あって瞑想に対する疑いがなくなったのだけれど、本当に紆余

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          フェミニズムは戦争の顔をしている

          「フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学」「ジェンダートラブル」「女嫌い」「家父長制と資本制」「世界一やさしいフェミニズム入門 早わかり200年史」「愛について アイデンティティと欲望の政治学」「大衆の狂気 ジェンダー・人種・アイデンティティ」「図解雑学 ジェンダー」「フェミニズムの害毒」「男らしさの終焉」「LGBTを読みとく ─クィア・スタディーズ入門」「ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか」  このあたりを読んだが、全部忘れた。  ジェンダーに興味を持って、結構

          フェミニズムは戦争の顔をしている

          虚無主義を徹底化する

          一番端的に虚無主義を表している言葉はこれだと思う。  シオランという作家は冷めたところがある。ニーチェはニヒリズムの曙を見て「超人」に夢を託したが、シオランはもうそんなものは信じていない。ニーチェって物凄い頭が良いのに、なんで超人なんていう妄想を抱いていたんだろう?人間は死ぬのだから、徹底的になんの意味もない。  弱いニヒリズムというのは「人生に意味はない」とうなだれている人で、強いニヒリズムというのは「人生に意味はないけど、OK!」と大地を踏みしめて生きている人らしい。バ

          虚無主義を徹底化する

          理性は死んでいる 合理的なコミュニケーションをする方法

           「啓蒙2.0」という本が凄く面白かったので、関連してるっぽい書籍を読んでみた。「社会はなぜ右と左に分かれるのか」「ファスト&スロー」「認知バイアスの教科書」「影響力の武器」「社会心理学講義」などを読んだ。基本的に実験をしてそのデータを解釈するような本ばっかりで、読むのが疲れた。まだまだ研究中の分野だが、結果的に「人間の理性はほぼ働いていない」ということになりそう。僕の印象だと「人間は習慣と偏見と感情と少しの理性を持つ動物である」という感じだ。  なんか今まで抱いていた疑問

          理性は死んでいる 合理的なコミュニケーションをする方法

          ヴィパッサナー瞑想と只管打坐の比較 方法とは何か

           只管打坐をしていたことがある。その流派では徹底的に「ただ坐る」ということが強調されていて、「元々解脱しているのだから、坐るだけ」と指導された。「正しく坐れているか」というのが悟れるかの境目になるので、正しく坐れているかどうかのチェックを定期的に受けていた。「正しく坐れているか」は老師にしか分からないので、自分が正しく坐れているのかは悟れるまで分からないので不安だった。  只管打坐の人は、瞑想を嫌うことが多い。禅の人には只管打坐は「テクニックなしで坐ること」であり、瞑想とは

          ヴィパッサナー瞑想と只管打坐の比較 方法とは何か

          最近フォロワーが増えてきた まなざし

           僕は人より自意識過剰なので人より余計に気にしてしまうが、フォロワーが増えると書きたいことが書けなくなる。よく「客は全員野菜だと思え」とか言われるが、やっぱり数字が大きくなると気にしてしまう。人前に立って話すのが何より苦手だった。  同じような悩みを抱えている人は多いっぽい。Twitterのフォロワーが1万人を超えているような人は、まず「身内垢」とか「サブ垢」とかを持っている。そして本垢は動かさなくなる。サブ垢のフォロワー数の方が多い人も見たことがある。  「評価されるのが

          最近フォロワーが増えてきた まなざし

          仏教徒の考える一神教

           フォイエルバッハは、神を人間の本質の対象化とした。そして人間の本質とは愛であるから、神は人間の「愛」を純粋にしたものとなる。神は人間が自分を投影した幻影であるから、その投影を取り戻すのがフォイエルバッハの唯物論である。  僕も「神が自分に似せて人間を創った」のではなく「人間が自分に似せて神を創った」のだと思っている。特に一神教の神はそうだ。けれど、「人間の本質」というのは「愛」ではなく「自我」だと思う。そして自我というのは「判断」だ。人間の場合「判断」というが、神の場合は

          仏教徒の考える一神教

          逃走不可能性の原理

           哲学をどこから始めようかなあと考えていたが、逃走不可能という場所から始めようと思う。なにからの逃走かというと「このこれ」なのだが、このこれではよく分からないので「今ここ」にしたい。不可疑性があるからだ。疑うことができない。認めざるを得ない。  今ここというのはスピリチュアル界隈で手垢が付きまくっているし、アスリートなども「今を生きろ」とか言うのでわけが分からなくなっている。良い表現を考えていたが、「逃走不可能性」でいいかな。  過去に行くことはできないし、未来に行くことも

          逃走不可能性の原理

          筋を通して生きる 動く墓場

           中国史が死ぬほど面白い。十八史略という歴史書を6巻の小説にしたシリーズを読んでいるのだけれど、今まで読んだどの物語よりも面白い。カラマーゾフの兄弟よりも進撃の巨人よりも面白い。  項伯というあまり目立たない人物がいるのだが、その人物は以前に張良という人物にかくまってもらったことがあった。その張良のピンチが迫っている。今は互いに敵同士の軍に所属しているのだが、項伯は「張良だけは救わなければならない、そうでなければ俺は人間でなくなってしまう」と思い、敵軍と密通する。張良に脱走

          筋を通して生きる 動く墓場

          仏教の布教とかあれこれ

           仏教が広まればいいと思う。社会の底辺掲示板に11年間生息しているので余計そう思うだけだと思うが、若者のメンタルヘルスが終わっている。友人は4人自殺した。みんな10代だった。全員をケアすることは、物理的にも精神的にも不可能だ。全員に魚を配ることはできないが、魚釣りの方法を教えることはできる。仏教でなくてもマインドフルネスだけでもいいと思うが、資本主義アンチっぽい仏教の思想も同時に摂取することで効果が高まると思う。  結構障壁がある。 ①抹香臭い。お葬式の時の宗教だと思われて

          仏教の布教とかあれこれ

          これを知っておけばOKなこと

          「足る」を知ると良いらしい。  知足という言葉は老子にもあるし、仏典にもあるらしい。ただ、老子は「今の分限で満足していなさい」という道徳訓なのに対し、仏者の言う「知足」は全く意味が違う。仏教の「知足」は「足りていると知れ」だ。今までも、これからも、ずっと満ち足りている。  今以外の時間にはどう頑張っても行けない。ここ以外の場所にはどう頑張っても行けない。この「絶対性」って何に例えたらいいのかなあと考えたけれど「刑罰」とかかもしれない。「今」とか「ここ」から脱走しようとして

          これを知っておけばOKなこと

          苦しいのは自分がいると思っているから

           瞑想しながら散歩していた。思考が湧いてきて、ふと「なぜ苦しむのだろうか」と考えると「自分がいると思っているから」と返ってきた。こういうのを理解とか洞察と言うんだろうけれど「恋人のことが不安なのは自分がいると思っているから」「父親との関係がぎくしゃくするのは自分がいると思っているから」「死が怖いのが自分がいると思っているから」「人に見られると怖いのは自分がいると思っているから」、と「苦しみ」に様々なものを代入していっても、全て「自分がいると思っているから」だった。勉強に焦燥感

          苦しいのは自分がいると思っているから

          仏教徒になるということ

           僕は自分を「仏教徒」と名乗っている。僕は幼少期から科学教育を受けた影響と、西洋哲学の勉強を行ったこと、日本の新興宗教が未曾有のテロ行為を行ったことから、宗教というものに警戒感や懐疑を抱いている。今もである。  輪廻や業などの前近代的概念は信じていない。観音菩薩が実在するとも思っていないし、文献学的に言って釈迦の言行がそのまま残っているとも考えていない。    仏教に惹かれたのは、信仰を行わずに「死の問題」を解決できる唯一の解法だと思ったから。けれど、別に仏教徒になる必要はな

          仏教徒になるということ