マガジンのカバー画像

山と神性

9
合同会社アラハラスヤッホという林業の小さな会社を経営しながら、神性や無縁性を山をフックにして日々模索しています。その中で考えていることをまとめています。
運営しているクリエイター

記事一覧

アジールと国家を読みながら

アジールと国家を読みながら

アジール三昧な日々でございます。
湘南のt-siteで網野善彦氏の本と一緒に買った伊藤正敏氏のアジールと国家。
どうやら2020年に発行されたばかりの本らしい。
アジールなんて1、2ヶ月前に知ったばかりの言葉だけど、今の時代と強く相似性のある刺激的な概念、歴史事象だと思う。コロナとペストくらいどんぴしゃりな感じ。
令和の時代にアジールの本なんて書いてくれるだけでありがたい、心から感謝だ。

まだア

もっとみる
バギー考

バギー考

公道から山道へスムーズに移動できて、ある程度の重さの木材などを、山から引っ張ってくる移動手段__

文字にするとたったの50字弱で済んでしまうもの。だけど現実に現すのはとても難しい。
山にはいろんな面白いものが落ちている。木、石、草、花、枯れ木、苔。素材の宝庫だ。だけど人間の力は限られていて、丸太の一本運び出そうとすることすらとても大変な作業だ。
今の林業のトレンドは、道を作って木材を搬出する方法

もっとみる
すべてのひとに石がひつよう 展へ

すべてのひとに石がひつよう 展へ

今日は2人でヴァンジ彫刻庭園美術館へ。
「すべての ひとに 石が ひつよう」が3/29まで開催されており、開催前から週に一回はこの展示のことが頭をよぎっていた。

僕は普段から山仕事のために山に入っているんだけど、夕日を毎日美しいと思っているように、山にいる存在たちの、特にテクスチャに、気を抜くと仕事をしていることを忘れるくらい心を動かされる美しさを感じる。
巨大な岩が傾斜地で静止している姿は抗え

もっとみる
伊勢神宮に行きました。

伊勢神宮に行きました。

 突発的に思い立って、土曜の夜9時にパートナーと三島を出発、ホテルでのんびりしすぎつつ外宮と内宮に行って、日曜夜11時半ごろ車飛ばして帰ってきた。
 学生よろしくの無計画かつ無理のある日程。しかも帰りの夕食は大戸屋にしかありつけず、なんでここまでして大戸屋?という不満と寝不足もあって、2人して黙々と食べるという、反省すべき愛すべき旅行だった。

 初参拝ということもあり、事前知識を持ちすぎるのはあ

もっとみる
自分の中の深くて遠い世界

自分の中の深くて遠い世界

今日は朝から瞑想の時間を作ることができた。
いつもなんとなく気にしながらもやったりやらなかったりやらなかったり、主にやっていなかったのだけれど、今日の体験は今後も続けるのに値するような体験だった。

最近腰の調子が悪くて、ぎっくり腰の手前のような状態がつらつらと続いている。今日も朝起きて腰回りが固まっていたので、太陽礼拝と股割りと簡単なストレッチをした。
10代の終わりの頃、ヤマト宅急便で手押し車

もっとみる
安心をポータブルする。

安心をポータブルする。

ここ最近は何を考えて過ごしていただろう。
瞑想も、書くことも二の次にして何をしていたかといえば、オフィスを作っていた。
オフィスという名の、軽トラの荷台の上の構造物に御執心だった。

僕らの意識は広大な宇宙を飛び回っている。
そこからあるまとまりを持ってイメージが飛来する。
それがなんなのか、自分自身も把握できない。
本質の光と自由の風がそこに吹き込んでいる。
意図とエネルギーが集中する。そこから

もっとみる
人間の思考について。もしくは気づき、創造のようなものについて

人間の思考について。もしくは気づき、創造のようなものについて

人間の思考について。もしくは気づき、創造のようなものについて考えたい。
最近思考が先走りすぎて、文章にならない。
違う言い方をすると、全体としての情報を捉えているけど、全体像が大きすぎて順を追って文字にしようと考えると途方に暮れる。
途方に暮れるので、圧縮ファイルとして短い言葉にすると、抽象的で伝わらない。
言葉にすることをやめて現実に形として表そうとするも、時間がかかりすぎるし、現実の制約の中で

もっとみる
自分を構成するもの。

自分を構成するもの。

大きな神社がある街の、川が交わるところに建つ3階建ての集合住宅の3階に住み、(アパートとマンションの間にあるような建物をなんといえばいいのかずっと悩んでいたけど、集合住宅といえばいいことに今気づく。)物は多くないけど気に入ったものに囲まれて暮らしている。
ホーローのミルクパン、山で拾った瓶、好みのキッチン用品たち、石、2m50cmの流木、マキタの掃除機、バルミューダの空気清浄機。
これらがある空間

もっとみる
無縁、公界、楽を読む

無縁、公界、楽を読む

今回は網野善彦さんの「無縁、公界、楽」を読みつつ考えたことを徒然。

駆け込み寺に櫛を投げ入れれば追手から逃れられる。
子供の遊びのような話だけれど、女性から離婚ができない時代においての数少ない女性がとれる行動の一つだった。
女性にとって不遇の時代だったんだなということも思いつつ、駆け込み寺の治外法権っぷりにおののく。制度を超える存在として無縁があった。

本を読んだ後、無縁について眺めている。

もっとみる