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人間の思考について。もしくは気づき、創造のようなものについて

人間の思考について。もしくは気づき、創造のようなものについて考えたい。
最近思考が先走りすぎて、文章にならない。
違う言い方をすると、全体としての情報を捉えているけど、全体像が大きすぎて順を追って文字にしようと考えると途方に暮れる。
途方に暮れるので、圧縮ファイルとして短い言葉にすると、抽象的で伝わらない。
言葉にすることをやめて現実に形として表そうとするも、時間がかかりすぎるし、現実の制約の中で変化していく。
どうしようもないので、短い言葉で抽象的に書いてみよう。

思考はカンブリア期の生き物たちのよう。
生命として形を持とうとする。全体の印象、形。詳細で具体的な構造。循環器系。
生まれようとして消えていく無数の思考のまとまり。

もしくは火のよう。
構造ではなくて現象。突如として着火して現れる。形はゆらめきながら捉えることができる。鎮火したら形は残らない。

思考には火が必要。火があることで思考はまとまりを持って、躍動感を持って、広大な地平を進む。
火のない思考はことばあそび、反応、思考のループ、構造物としての遅い思考でしかない。
火とはなんだろう。

一つの観察点として人が存在して、創造と気づきの間で振動している。
それぞれの視点で世界を見立てる。広大な自分と世界に気づいていく。
見えないものは見えない。見えるものは見えている。
形になっていない違和感が、世界を広げていく。
全てを知っている感覚が、自分を方向づけていく。

見えているものと見えていないものの間のことを火という形で現象として捉える。
火は、自分自身も捉えていない広大な自分自身への信頼の上に着火する。
もしくは、広大な自分への道標として着火する。
火のない人はいない。火に気づかない人はいるかもしれない。

火は現象だから、過去の火を追い求めてもそれは過去の火でしかない。
過去の火では暖まることはできない。
今起こっている火に目を向ける必要がある。

火と自分を限りなく近づけて、火の中で生きることもできる。
火の中に生きることはいわゆる情熱的に生きるとかそういうことではなくて、瞬間に広大な気づきの中にあり続けることなのではないだろうか。

火のある思考は光よりも早い。瞬間ごとに宇宙全てを創造している。

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