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新しい時代へ向けてのエール(by 分身主義)


農民芸術概論



100年も前に、我らが誇るべき分身さん、宮沢賢治さんは予言していた。「自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」
‥‥と。

間違いない!!

僕たち人類は、必ずや、いつか、まったく新しい時代の扉を開くことができる!!

今までの優越感というまやかしの幸福ではなく、必ずや、みんなが手をつないだ、「銀河系を自らの中に取り込んだ」本当の幸福を手にすることができる!!

(この記事は読むのに30分くらいです。コーヒーでも用意してゆったりとお読みください【15.234文字】)



🔖① 『農民芸術概論』との出会い

15年ほど前の話だ。
ジジイが*分身主義*にたどり着いて3年ほど経ったある日、NHKの『こころの時代』を見ていた時のこと。
その時、たぶんどこかの僧侶の方だったと思うけど、「宮沢賢治の言葉」として紹介してくださっていたものを、慌てて再放送を録画予約して書き取った。

その後、インターネットで調べたところ、それは、宮沢賢治分身さんの『農民芸術概論』の序論だということがわかった。

インターネットというのは本当に便利なものだね。
以前だったら、この言葉の出典を探すために、図書館で気の遠くなるような数の本をひもとかなければならなかっただろう。それが自分の家で一瞬にして探せてしまうのだから。

それにしても、ジジイはNHKでこの言葉を紹介された時、全身に震えがきた。
これが書かれたのはおそらく1925年頃だと思うから、今からなんと100年も前に宮沢賢治分身さんが、分身主義の出現を予言するような文章を書いていたのだ。


🔖② 自由で明るい”個人主義”

初めに、終戦後に日本がアメリカから受けた絶大なる影響を、今や知らない世代の方々に説明しようと思う。知ってる世代の方々は懐かしんでくださったら幸いです。

今思えば、自由で明るい時代だったなあって思う。

日本は戦争や敗戦を経験して、通常なら立ち直れない状態だったはずなのに、そこからみんなで前を向いて、ついに高度経済成長を成し遂げることになる。
それは、偶然にも、憎っくき敵国であったはずのアメリカの、明るい「自由主義」や「個人主義」が力を貸してくれたんだと思う。

ジジイは子どものころ情緒不安定だったし、この社会に対して、何だか違う土俵に連れ出されて無理やり相撲(すもう)を取らされているように感じていた。だから、その自由と明るさを完全に謳歌(おうか)できていたわけではないけど、確かに今思えば、自由で明るい時代だったなあって思う。

オールディーズと呼ばれるその頃の音楽を聴いたり映画を観たりすると、その頃、日本は、そういうものを目の色を変えて取り込もうとしていた気がする。

オールディーズ(英: Oldies):
主に1950年代半ばから1960年代にヒットしたアメリカやイギリス、もしくはフランス、イタリアなどのポピュラー音楽のことを指す。ジャンルはポップス、ロックンロール、ロカビリー、ドゥーワップなど幅広い。
(Wikipediaより)


日本が戦争に負けた翌年(1946年)、アメリカからやってきた「教育使節団」によって、自由化と民主化が押し付けられた。これによって、日本のそれまでの画一的教育は否定され、個人の表現の自由を尊重した創造的な教育が理想とされるようになった。

だからジジイが子どものころ受けた教育は、もっぱら自由で明るく外に開かれたもので、それがアメリカから来た「個人主義」の原初の姿だったと言っていい。

それまでの日本は、自分の主張はなるべく周りに合わせてグッと抑えたり、辛くても耐え忍ぶのが美徳だと暗黙裡に教えこまされてきた。だけど、いきなり、「自分を主張しましょう」に変わったって、まだすぐに順応できない人もたくさんいたような気がする。

ジジイの父親は、辛いことや悲しいことや不満を、誰にも相談せず全部一人で抱え込むような性格だった。それは、幼い頃、東京から遠い九州にまで養子に出されてしまった《環境》が作り上げたものだと思う。

そんな人間に育てられたから、ジジイは、今でも人前で自分の意見を言うなんてことできない性格のままだ。

父親は仕事人間で、毎晩同僚と大酒を飲んできて、帰ってきても、わけのわからない仕事の話やくどくどしい話をするので、そんな父親の言葉を何とか理解しようとか、気に入られようと顔色を窺(うかが)ってばかりいた。だから、今でも人様の顔色を窺うようなところがあり、なおさら自分の意見を言えないのかもしれない。

このnote様がなければ、何も語らずに、このまま静かに死んでいくだけだったんだろうね。


🔖③ 高度経済成長期(その1)

その頃の日本を一番象徴しているのは、音楽じゃないかと思うんだ。
ジャズ(その頃のアメリカから来た音楽は何でもジャズって言っていたような気がする)というものが日本に入ってきて、若者がみんな虜(とりこ)になった。

ドリフターズの先輩バンドのクレイジーキャッツ(1960年代に一世を風靡したコミックバンド)なんかが全盛だったことでもわかるけど、各人の演奏のレベルはすごいのに、やることはテキトーでいい加減だった。そんなお笑い好きで明るい時代だったんだと思う。

梓みちよ分身さんの『こんにちは赤ちゃん♪』(1963年)なんかは、その頃の日本の「明るさ志向」をよく反映していたような気がする。

愛情に基づく結婚、専業主婦、家事を手伝う夫、ファミリー単位の暮らし、明るいマイホーム‥‥そんな幸せ溢れるイメージかな‥‥。
でも、かなり理想や願望が入っていて、現実は違っていたような気もするけどね。(笑)

高度経済成長期(1955年代~1973年代)
高度経済成長期には1964年に開催された東京オリンピックや1970年に開催された大阪万博などによる特需などがあった。東海道新幹線や東名高速道路といった大都市間の高速交通網も整備されていった。第二次大戦終戦直後の復興から続く一連の経済成長は「東洋の奇跡」(英語では「Japanese miracle」)と言われた。(Wikipediaより)

この時代、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3種類の家電製品は三種の神器(じんぎ)と呼ばれ、急速に家庭に普及していった。これら便利な家庭製品の普及は生活時間の配分にも大きな影響を与え、女性の社会進出を促すことになった。この当時の風潮としては「大きいことは良いことだ」が流行語となり、「巨人・大鵬・卵焼き」に象徴される。「東洋の奇跡」と言う言葉が使われ始めた頃は日本人独特の「勤勉」「個より集団を重んじる(=和の文化)」等が要因として挙げられた時期もあった。(Wikipediaより)


🔖④ 高度経済成長期(その2)

敗戦後に日本が受けた影響はもちろん教育や音楽ばかりじゃない。
アメリカのダグラス・マッカーサー元帥(げんすい)分身さんを最高司令官とする「連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)」の指令によって、日本政府は大きな改革を次々と押し付けられることになる。

下の写真は軍用機で厚木飛行場に降り立ったマッカーサー元帥分身さんが、トレードマークのパイプをくわえ、ポケットに手を突っ込み、偉そうに日本人を眺め回しているところ。さながら自分の演説に悦にいっているヒットラー分身さんのようだね。

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何度見ても憎ったらしい光景だ。この後、日本に戦争の全責任を押し付け、極東国際軍事裁判(東京裁判)により日本側の各責任者を犯罪者として処罰するんだ。負けた日本は黙って言いなりになるしかなかった。

だけど‥‥、大事なことだからよく聞いてね。
最新の科学は、「我々は自分の意志で思考し行動をしていたわけではなく、《環境》に思考させられ、行動させられていた」ことを解明している。

それがわかると、マッカーサー元帥分身さんもこの時代のこのような《環境》に置かれて、《環境》に軍人にさせられ、《環境》に思考させられ、行動を取らされていただけなんだ。そう考えるとある意味、彼も時代の被害者ということで、許せるよね。

彼も、僕たちの分身、この宇宙の分身に過ぎなかったんだ。

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《環境》は世界のみんなで作っているんだから、つまり彼(マッカーサー分身さん)もみんなが作っていたんだ。

そして、《環境》は世界のみんなで作っているんだから、あの時代は、みんなが戦争の加害者であり、みんなが戦争の被害者だったんだ。

世界中の人が「科学的真実」を知って、そのように考えられるようにならなきゃいけないよ。

「科学的覚醒」をして、みんなが今の「大人」から、「大人の大人」になるんだ!

そうすれば、誰を憎むこともない。

戦争はどこかの国の責任じゃない。

世界中のみんなの責任だったんだ。だから、「あの過ちは、まだみんなが本当の自分を知らなかったせいだ」と、みんなで反省して二度と戦争なんてしちゃいけないよ。

戦争は、自分で自分の身体を傷つける自傷行為だったんだ。

それが当たり前に理解できる世界を作らなきゃいけない。

(世界のみんなへの、ジジイからの遺言です)


これが「科学が解明した真実」に導かれて生まれた*分身主義*の視点なんだ。*分身主義*が世界を平和に導く視点だということは何となくわかるでしょう!? 

争いを起こす元となる、嫉妬や羨望や怒りや恨み、それに不平等感や不公平感などが自然消滅するからだ。

でも、この「科学が解明した真実」とやらを、まずは自分の頭で確認してください。(中学生くらいでもわかるくらいに簡単に説明しています)

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いいかい!? これは「私は、自由意志がないという主張を受け入れます」とか、「僕は絶対に信じない」とかいう種類の話じゃないんだ。

「科学的な動かしがたい事実」なんだ。

みんなはパソコンやスマホや電化製品などを使っているけど、それがちゃんとこの自然界で機能しているということは、それは科学が「この自然界には電子というものがあって、それが移動することで電気を発生させる」と解明したことが正しかったことを証明している。

それを世界中の誰も、「私は電子の存在を受け入れます」「いいえ、僕は信じません」などとは言わないよね。

何故なら「科学が解明した動かしがたい事実」だからなんだ!!

だから、まずは世界中の人が、「人間には自由意志などなかった」という事実を自分で確かめて、自分の今までの誤った認識や常識に上書きをすることが大事だ。

そうして、今までの「錯覚の自我が作ってきた」歴史など、捨ててしまって、人類は新しい歴史を歩き始めなければいけないんだ!!

(*歴史というのは、正当化や理想や政治のために捏造(ねつぞう)される”物語"に過ぎないんだよ。だって、どんな事実も見る立場によってまったく違って見えるものじゃない。だから対立や平行線の議論が尽きない。そんなこと僕たちは子どものころから、嫌になるほど経験してきたはずだ)

もちろん歴史を研究することは楽しいことなので、やるなら、その好奇心を満たす目的のためだけに行うべきだ。要するに、シャーロックホームズなどのあの楽しい探偵小説を読むようにね。歴史は、後の人間が作る謎解きの「物語」なんだ。

歴史を知ることで、それまで知らなかった人に嫉妬や恨みや怒りを植え付けて政治に利用されるなら、歴史なんてない方がいい。
歴史は、実は人類に、どうしても必要な学問じゃないんだ。

その証拠に、歴史を知らなくても楽しく生きている人はたくさんいる。

およそ、宇宙を漂っている私たち人類が、仲良く生きることを犠牲にしてまでも決定しなければならない重大事項なんて、ただの一つだってありはしません!(『宇宙に一つだけの目的(科学が解明した‥本当の自分)』より)

この話はとても重要だけど、と言うかこの話の方が重要なくらいなんだけど、また違う機会に話をさせていただこうと思うので、ここでやめます。


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話を元に戻すけど、日本が敗戦によってGHQから具体的にどのような仕打ちを受けたか(ある歴史家たちが語っている内容を参考にして)調べてみた。

❶戦時中の日本の経済を支配し軍国主義を支えたとして、「財閥(ざいばつ)」が解体させられる。
❷地主・小作制度が日本の民主化を妨げているということで、一定面積を超える地主の土地を政府が買い取り、自作農を増やす「農地改革」をさせられる。
❸労働者の権利を守るための「労働組合法」などが制定させられる。
❹選挙制度も変えられ、選挙権も25歳以上のすべての男子だったものから、20歳以上のすべての男女にさせられた。
❺それまでの「大日本帝国憲法」を「日本国憲法」に改訂させられる。(GHQの改革の中心は、この憲法の改訂だった)
❻「教育勅語(きょういくちょくご)」が廃止され、民主主義教育を基本にした「教育基本法」の制定で、小学校6年・中学校3年を義務教育にすることや、男女共学などが定められる。
❼神道指令(しんとうしれい:国教分離指令)により、国家と結びついた神道の廃止と信教の自由の実現を命ずる指令を発した。


GHQがこれらを押し付けた思惑はいろいろあったにせよ、結果的には、それほど悪いことでもなかったよね。ある意味、日本はこれによって、それまでの堅物の「国家主義」を捨てることができたんだ。

ジジイも、それまでの日本より、この❶~❼の日本の方がずっと好きだ。

それに、初めに言ったように、アメリカの「民主主義」や「個人主義」から影響を受けることになり、自由で明るく外に開かれることになる文化を開花させることができたんだと思う。


🔖⑤ 個人主義の行き詰まり

「個人主義」に対していつもは批判的なジジイが、今日はずいぶん褒めるじゃないか、と言われそうだ。
でも、実際、願望や意見や苦悩を自己の内に閉じ込めがちだった日本人が、自分を主張してもいいんだ、と解放されるきっかけになったことは間違いない。

アメリカから来た「民主主義」や「個人主義」は、それまで抑えつけられていた、あるいは自分で自分を押さえつけるのが美徳と暗黙裡に教えられてきた人間たちにとっては、まるで大空を自由に飛び回る翼を与えられたようなものかもしれない。

不倶戴天(ふぐたいてん)の敵であったアメリカの管理下に置かれたことが功を奏したなんて言いたくないけど、戦争や敗戦という「どん底」を経験して、通常なら立ち直れない状態から、高度経済成長を遂げることができたのは、やはりその「翼」が持つ魅力のせいだったのだろう。

もちろん、世界から「東洋の奇跡」と評されるように、日本人独特の「勤勉」や「個より集団を重んじる(=和の文化)」が、急激な復旧や経済成長に果たした役割が大きかったことも見落としてはいけない。


だけど、日本の「個より集団を重んじる(=和の文化)」が復旧や経済成長を果たした後、アメリカの「個だけを重んじる文化」に同化し、その後のアメリカと、運命を共にすることになるのは当然のことだったのだろう。


大空を自由に飛び回る”翼”を与えられた人類は、自由という大空に向かって飛び立ったのはいいけど、気が付いたら、糸の切れた凧のように、目的を見失ってしまっていたんだ。

それまで不自由を感じる社会だったからこそ、自由を勝ち取るという目標を掲げて闘ってこれたんだけど、いざ自由になったとたん、気付いたら闘っていた不自由な社会は解体させられていて、目的を失ってしまったんだ。


ちょっと想像してみて欲しいんだけど、今まで鳥かごの中で飼われていた鳥が、大空へと放たれたらどうなるだろう!?


ジジイは子供のころから、日本が高度経済成長に沸き立つ中、つまり、誰もがお金に飛びついていく社会の中で、違和感や嫌悪感を感じながら生きていた。普通の人は自由を得るためにこそお金が必要だと考えるけど、ジジイはお金が人間を不自由にしていると感じていた。

そして、中学生の時、将来は、労働力を搾取されるだけのこんな不自由な社会から逃れて、アラスカで自分たちのためだけに釣りや狩りをして一生を暮らそう、と誓い合った親友がいたんだ。

でも彼は、両親の離婚をきっかけに学校へもあまり来なくなって不良と付き合うようになってしまった。高校には先生の奔走で何とか入れたけど、「俺が入れるような最低の高校だった」と言って一学期でやめてしまい、母親を探し当てて東京から静岡に引っ越してしまった。

それからはアラスカへの夢を文通のやりとりで語り合ったり(もちろんメールなんてない)、何度か泊まりに行ったりした。彼は仕事を転々としていたようだった。

そして、18歳の夏に「俺たちは、死んでから空へと放たれる”かごの中の鳥”だ」という手紙をくれた数日後、死んでしまった。

彼が死んだのはこの社会のせいだと考え、18歳のジジイは社会を恨みに恨んだ。そして『アラスカから吹いていた風』という社会に対する恨みを込めた散文詩(遺書)を書いて死のうと、ずっと思っていたんだ。

遺書は数年かけて書き終えて出版社に持っていったりもしたけど、社会や人類に対する恨みの言葉が、編集者の方たちに受け入れられるはずもなく、どこでも突き返されてしまった。

結局、死ねなかったからこんな年になっても生きているんだけど、それからもずっと、彼の「俺たちは、死んでから空へと放たれる”かごの中の鳥”だ」という言葉が胸に突き刺さっていた。

*ちなみに、この時、遺書として書いた『アラスカから吹いていた風』は、『アラスカの風に乗せて』という、科学を通して自分探しをしていく形の小説になり、インターネットで公開していました。それが元となり、後に*分身主義*が生まれました。

でも、大人となった今、「今まで鳥かごの中で飼われていた鳥が、大空へと放たれたらどうなるだろう」と考えたら、それは決して幸福とは言えない結末が待っていたとわかる。


鳥かごの中は確かに窮屈で不自由だけど、食べ物は与えてもらえるし、それに巨大な外敵からも守ってもらえる。

空へと放たれたら一時的には解放された自由を感じるかもしれないけど、自分で食べ物を探さなければならないし、自分で自分を守るしかない。誰も助けてくれない。

それが、解放と自由を与えてくれたアメリカの「個人主義」の末路だったんだ。

「個人主義」は、「個人が自らの人生の持ち主(=主人公)である」という耳障りのいい言葉で我々を魅了し、一見、精神の解放と自由を約束してくれたように見えたけど、やがて行き詰まる運命だったんだ。

そもそも、どうしてこんなことになってしまったと思う!?

それはね。

本当の自由はそんな所にはなかったからなんだ!


🔖⑥ かりそめの自由を求めたその先に(鬱の予兆)

気付いたら糸の切れた凧のように、目的を見失っていたにもかかわらず、それでも今の個人主義的社会は、「自立しろ」「競争に勝て」「成功者になれ」と我々を急き立ててくるよね。それに、負けたら負けたで「自己責任」と突き放す。

今、「成功」という言葉が出てきたけど、「成功」とは、経済が仕切っているこの世界においては、「お金持ち」になることとイコールだよね。


つまり、「個人主義」は、お金をたくさん所有することが自由を手にすることとイコールの世界になるシステムを作ってしまったんだ。


「この世界の主人公である自分」が、この世界の競争に勝ち抜き、そこで手にするトロフィーが、「巨万の富」だったんだ。


だけど、お金というものは各国で無尽蔵に印刷してバラ撒くわけにはいかないよね。そんなことをしては世界経済がめちゃくちゃになる。

結局、我々がやっていることというのは、限りあるお金を奪い合っているだけなんだ。大金持ちになる人がいるとすれば、それを支える何万人もの貧乏人(あるいは一般人)が必要になるのは子どもでもわかる道理だ。

だけど、その大金持ちになった人を誰もが仰ぎ見て「いつかは自分も‥‥」とアメリカン・ドリームのような熱くさせてくれる夢を見続けて頑張って働き、金持ちを支えてあげる人生をひたすら続けるわけだ。

どう考えても、一人の大金持ちになるか、それとも何万人の方の人になるかと考えたら、何万人の方に入る可能性の方が高いよね。

でも、誰もが何万人に支えられる一人になる自分を夢見て頑張らされるんだ。そのように、その一人のために頑張らされるのが、現在の「お金の社会の仕組み」と言える。

人間の心理というものは実に面白いもので、悪いことは自分には起こらず、良いことは自分に起こると想像してしまうところがあるよね。

例えば、「自分は、飛行機事故に遭う」などという可能性はほぼないと否定するくせに、「○○億円の宝くじが当たる」という不可能性はあまり疑わない。それで外れても外れても毎回買い続けたりする。

そのアメリカンドリームを求めて頑張る心理が、一人の大金持ちを一生懸命支えてあげていたんだ。

つまり、これが我々が頑張っていた「高度経済成長」の成れの果ての姿だったんだ。

こんなのが「自由」って言えるかい!?
自由を求めて一生懸命働いて得たお金は、ある一人の大金持ちの懐に流れていたんだ。


その先はどうなるだろう。

それが現代社会を覆っている「鬱(うつ)」だったんだ。

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鬱病って、現代の流行だと言ってもいいくらい、一時的にでも「鬱(うつ)」状態になったことのない現代人は一人もいないと思う。
それほどありふれたものだ。でも、それでいて自殺にも直結しているとても恐い病気(?)に現代人は悩まされている。

このnoteでも鬱を告白する人のなんと多いことだろう。これは「個人主義」という《環境》がもたらしてしまった、もはや「世界的な大事件」だよ。


🔖⑦ そして鬱全盛の時代

普通、鬱というと、家庭の崩壊や会社の倒産や貧困によって始まるようなマイナスのイメージが浮かぶよね。でも、実際はそうではなくて「精神の解放と個人の自発性が重視されるようになったはずの社会においてむしろ増えている」らしい。

精神科医の、片田珠美分身さんは、「アメリカで鬱が増えだしたのは、1970年代、むしろ、『それぞれの個人が自らの人生の持ち主(=主人公)である』という考え方が、社会的に浸透し始めた民主的な社会においてである」と興味深いことを言っている。

その理由は、「つまり、解放は我々を服従と罪悪感から抜け出させたが、そのかわりに、今度は自発性と自己責任へと導いた。その結果、抑うつ的な疲労や不全感が神経症的な不安や葛藤に取って代わった」と彼女は言う。

ちょうど、ビートルズ(1960年代から1970年にかけて活動したイギリスのロックバンド)などに象徴される時代に、若者たちは自由や解放を叫び始めた。

「自由」という言葉と親和性のいい「愛」という言葉も盛んに使われ出した。彼らの歌詞の中にも盛んに使われるようになった。「自由」や「愛」という言葉を聞くだけで若者たちはうっとりしたものだった。

教育には「個性」という言葉が盛んに使われ始め、それまでの戦時教育のような、「教育とは個人を国家の枠にはめることである」という考え方が、「教育とは個人の能力を引き出すことである」という考え方に変わった。

こういった変化は、自律的・自立的に生きることが正しい選択であると思わされている人たちの正当化に成功した。

最初のうちは、生き生きと自由に羽ばたく《幻想》を見させてくれたけど、気がついてみたら、「個人に自由を!」と叫ぶために必要だった不自由な社会が解体させられてしまっていた。そして、この社会に、「何をしてはいけなくて、何をしていいかという明確な基準」さえなくなっていったんだ。

闘う矛先(ほこさき)を見失った若者たちの心は、鳥かごで飼いならされていた鳥が、何の当てもなく大空へと解放されたかのように不安になり、今では個人の自由が、個人の責任に取って代わって、個人に重くのしかかってきた、ということだ。

鳥かごは鳥にとっては自由を束縛するものではあるけれど、ある意味、巨大な敵から守ってくれたり、苦労せずに食料を与えてくれたりするものでもあったわけだよね。

広々とした大空に放たれてしまった人間という鳥たちは、今では自分で自分の身を守り、自分で自分の食料を獲得しなければならなくなったんだ。

この能力主義的な社会の中で、個性的でない人間やアイデンティティーの確立ができない人間や、また、今の社会の価値観に馴染めない人間は、社会の底辺で生きるしかないという強迫観念に追い立てられて誰もが生きている。

片田珠美分身さんも、現代人が、「しんどい」、「何をするのも億劫」、「何もする気がしない」と延々と訴える原因は、我々が、今の社会から「常に自発的に行動し、能力を最大限に発揮することを要請されている」ことの裏返しではないかと考えているようだ。

さらに、精神科医である彼女は、自らの立場が危険にさらされるのをわかっていながらも、黙っているわけにはいかないと声を上げてくれている。

精神科医を受診すれば、「あなたは鬱です」と言われ、そこでむしろホッとし、医師から薬を処方され、それこそ自他共に認める正真正銘の病人に仕立てられてしまうというわけだ。

薬は鬱を根本から救ってくれるわけではなく、むしろ薬がなければ生きていけない身体にさせられてしまう。鬱病に仕立てられてしまった病者は、薬の副作用に悩むことにもなる。

また、気力低下などを賦活(ふかつ)してくれるはずのこれらの薬が、時には自殺衝動や攻撃衝動まで賦活させられてしまい、社会的な問題まで起きている。

一方で精神科医は永続的に儲かる基盤ができ、薬の売り上げも爆発的に増加して製薬会社も喜び、花形職業の精神科医にはなりたがる人も増え‥‥と、ますます「鬱全盛」の時代は上り坂だ。


最後の言葉なんて、ジジイがいつも言っているように、「お金は詐欺的な文化を作る」そのままだよね。

だから、「世界を平和にするためには、どうしてもお金に頼らなくてもやっていける世界にしなければいけない」って言っているんだよ。

どうしてこのような、泥沼のような悪循環が生まれてしまったのでしょうか!?

その原因は、今まで、我々が「人間はどのように思考しどのように行動させられていたのか」というメカニズムを科学的な意味で知らなかったからなんだ。(科学がそのことに追い付いたのは最近の話だから当然だ)

それがわかった今となっては、全ての学問が、その大前提から出発しなければいけない。

心理学も哲学も歴史も‥‥、もちろん科学も、そこから始めなければ、結局は表層的な学問でしかないということなんだ!!


僕たちは、単に《環境》に演じさせられているだけだったということに、まだほとんどの人が気づいていない。

その科学的な事実を知らないせいで、僕たちは「自分の意志」で行動をし、自分の運命を切り開いている、と勘違いしている。

つまり、そのように勘違いするところから生まれた「個人主義」は、脳というのは「個人の持ち物」でそれが不具合を起こした場合、その脳を治すしかないと考えるものだ。

本当は、その脳が不具合を起こしているなら、《環境》を治すしかなかったのにね。何故って、脳は《環境》に作られ、《環境》にコントロールされていたからなんだ。

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我々は船室の中で荷物の揺れるのは見えるけれど、船そのものの動揺は見ることができない。(江戸川乱歩の小説『蜘蛛男』の中で語った、明智小五郎の名言)

我々は、船室の中で揺れ動く荷物を何とかしようと、してばかりいるようなもので、本当は船を揺らしている大きな波にこそ目を向けるべきだったのではないだろうか。

それなのに脳を扱う精神科医や脳科学者すらも、その大きな波に目を向けようともしない。

人間の脳というのは、船室の中で揺れ動く荷物のようなものだったんだ。その「脳という荷物」を揺らすのは《環境》という大きな波だったことに気づかなければいけない。

「人間の脳を荷物と一緒にするな」というかもしれないけど、これが「真の科学」の視点なんだ。この視点に立たなければ、自然物である人間を救うことはできない。

なぜなら、「真の科学」の視点しか、自然界と対話ができないからなんだ。

船を揺らしている大きな波(=環境)に目を向けることができれば、人間に「自由意志」なんかないことだって、ちょっと考えればわかることだったんだよ。

人間の「意志」と言われていたものは、《環境》という大きな波が、我々の脳に浮かび上がらせていた「船室の中の荷物の揺れ」に過ぎなかったんだ。

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だけど、精神科医や脳科学者が学んだ権威を重視する大学というところでは、まだそんなことを教えられる人がいないから知る「機会」がない。

本当は、政治家だって、実業家だって、評論家だって、学者だって、大統領だって、スポーツ選手だって‥‥どんな人だって、みんなみんなその人を取り巻く《環境》に演じさせられ、しゃべらされているだけだったというのに、そのことに、気づく「機会」が与えられていないんだ。

何度も言うけど、科学が追い付いたのはごく最近の話だから無理もないんだけどね。

分身主義の「第1定理」と「第2定理」を確認してみてください。

いいかい!?
僕たちが夢見ていた自由なんて、「個人主義」の先にはなかったんだ。

元々、鳥かごを作ったのは、言葉を持ったことで「自然界」からはぐれてしまった我々人類だったよね。みんなで助け合って食料を獲得して分け合い、そして、みんなで強い動物から身を守るために作った「鳥かご」だったんだ。

やがて、かごの外に飛び出して自由を満喫する人間たちが現れる。

でも、さっき見てきたように、それはかごの中の人間たちが、食料や身を守る武器や鎧(よろい)を「お金」という形で彼らに与えてあげていたからできたことなんだ。

と言うより、現代人は「かごの中の鳥」ではなく、とっくにかごを取り外されてしまって、途方に暮れている鳥か、あるいは何万人の1人になる自分を夢見て頑張らされている鳥だったけどね‥‥。


僕たちはよく「自立」という言葉を使うけど、親や他人に頼らずに経済的に独り立ちすることを「自立」と言うなら、「大金持ち」ほど自立できていない人たちということになる。

世界中を見回してみると、他人に頼らない「大金持ち」など一人もいないということがわかる。むしろ自立できない人たちなんだ。他人の力を利用することが上手い人たちなんだ。

それでも、彼らを見れば、お金さえあれば「自由」が手に入れられると勘違いしてしまう。誰もが何万人分の1人になった自分を想像して頑張る。繰り返しになるけど、その努力が彼らを助けてあげていたことにも気づかずにね。


だからと言って、大空を自由に飛び回っている人たちに対して、他の人たちより強く賢いからと言って、崇めたてるのは間違っている。

その逆に、他の人たちより強くずる賢いからと言って責めちゃいけない。

やっぱり《環境》が、強く(ずる)賢い彼らを作り、《環境》が彼らに行動を取らせていたんだ。彼らを助けている人間たちの行動だって《環境》が作っていたという意味で言えばまったく同じだ。


だからと言って、勘違いしてほしくないんだけど、《環境》が僕たちを何らかの意図をもって支配し、操っているというわけじゃないよ!

むしろ、僕たちは誰も支配できないし、誰からも何からも支配されることはない、と言いたいんだ!

自然物である人類は、どんなことをしても自然界様の「手のひら(=環境)」からは一歩も出ることはできない。しかし、それは支配されているというのとはまったく違う。

例えばわかりやすく人間関係で言おう。
AさんとBさんが支配・被支配関係にあって、BさんはAさんの命令に服従せざるを得ない関係ができているとする。だけどそのような関係になっているのは、Aさんの意志でもBさんの意志でもなく、AさんとBさんが支配・被支配関係になるような《環境》に、二人が置かれてしまっていたということなんだ。

AさんとBさんが支配・被支配関係になるような《環境》から、AさんとBさんの脳に浮かび上がらされた「意志」に、彼らは思考させられ行動を取らされていたということだ。


人類は、この宇宙が生まれてからの長い年月から見ればごくごく新参者(しんざんもの)に過ぎない。
しかしその新参者の人類が、今や、この宇宙の中で自分たちこそ自然界を支配する古株の住人にでもなったような気持ちでいる。

傲慢にも人類は言う。
「その証拠に、我々は遺伝子さえも操作できるまでになったじゃないか!」と‥‥。

だけど本当は、自然界(=環境)に「遺伝子を操作するように行動を取らされていた」だけだったんだ。

だとしたら人類は、自然界に抗うのではなく、自然界の声に耳を澄まし、自然界に本来の居場所を教えてもらうべきだったんだ。

本当の自由はそこにあった。


🔖⑧ 本当の自由

孫悟空の話を思い出してください。

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孫悟空が、我こそは世界で一番なりと威張り散らして乱暴狼藉(らんぼう₌ろうぜき)を繰り返していた頃のことです。ある日お釈迦様は、彼を自分の手のひらに乗せて言います。
「悟空よ。わたしの右の手から飛び出してみなさい」
彼は、「お安い御用だ」と言って、自分の觔斗雲(きんとうん)に乗って宇宙の果てだと思われる場所までどこまでもどこまでも飛んで行きます。

そして、そろそろ宇宙の果てかと思われる場所に柱が5本立っていたので、柱に「孫悟空」と自分の名前を書いて、ついでにその根元におしっこを引っ掛けて意気揚々と帰ってきます。

でも、戻ったところでお釈迦様の指を見て、びっくり。
そこには、孫悟空が書いた文字がありました。
どんなに飛んでも、彼はお釈迦様の手の中からは一歩も飛び出していなかった、というお話です。

孫悟空は、その後、見違えるように謙虚になります。
そして、三蔵法師という偉いお坊さんと出会い、民衆を救うために天竺(てんじく)までお経を取りに行く彼の旅のお伴をしたのです。


なんで今ジジイがこんな話をしたかと言うと、「我々は遺伝子さえも操作できるまでになった」のではなくて、本当は、自然界(=環境)に「遺伝子を操作するように行動を取らされていた」だけだった、ということに気づいて欲しかったからなんだ。

研究者は自分の意志で研究をしているのではなくて、《環境》に研究者にさせられ、そして今、研究をさせられていたということだ。

そのほんのちょっとした理解の違いで、この世界はガラリと変化する。それが、お金に頼らなくてもやっていける世界を作り、この世界から争いをなくし、全世界の人が仲良く交遊し、誰もが幸福な気持ちで生き、喜びの中で死んでいけるようになるかどうかのカギを握っているんだよ。


今の人類は、まるで、「我こそは世界で一番なり!」と威張り散らして乱暴狼藉を繰り返していた頃の孫悟空のように傲慢だ。いや、間違いなく「宇宙で一番なり!」と言っているよね。

自然界様の声を聞くために必要な「科学」さえも、その傲慢さに利用している形になってしまっている。本当は、「錯覚の自我」に縛られている我々が作る《環境》に、科学者が科学を傲慢に利用させ・られているんだけどね。


我々はこの宇宙の他の全ての万物と同じで「自然物」だ。


言葉を持ったことで「自我」という錯覚に縛られることになり、その錯覚の自我が作る「人間界」に放り出されてしまったけど、どこまで行っても「自然界」から逃れられない「自然物」なんだ。

僕たちはみんな、この宇宙の他の全ての万物と同じように、この自然界(=環境)に動かされているだけだったとわかれば、不自由を感じるものはどこにもなくなる。生かされ、そして死なされているに過ぎなかったからだ。

不自由とは、自分の「何かを成したいという思い」が叶わない時に感じるものだよね。

だけど、その「何かを成したいという”思い”」は《環境》に作られていたもので、自分由来の「思い」ではなかったと知れば、不自由などどこにもなかったと知る。
それなのに「自分由来の”思い”」だと信じていたから不自由が生まれてしまっていたんだ。

「不自由」がなければ「自由」を求める必要もない。

そこに在るのは、自然界の前に、ただ「ありのまま」な自分がいるだけだ。

もし「本当の自由」というものがあるとすれば「ありのまま」というもののことなんだ。何故なら、今まで「自分」と思い込んでいたものこそ、この「宇宙そのもの」だったからなんだ。

この宇宙の他の全ての万物と同じ僕たち分身の、その「全身」は‥‥、科学が自然界様から謙虚な気持ちで聞き取ったその答えは‥‥、実は「宇宙そのもの」だった。それを知れば、「ありのまま」の意味もよくわかると思う。

それが、科学が謙虚な気持ちで自然界様に教えていただいた我々の本来の居場所だった。


🔖⑨ 個人主義から分身主義へ

個人主義的環境:
錯覚の自我を持ってしまって自然界から迷子になってしまった我々人類が、自然界を人間の想像力や直感で勝手に都合よく解釈して作った人間中心の社会。

分身主義的環境:
錯覚の自我を持ってしまって自然界から迷子になってしまった我々人類が、科学を使って自然界様の声を聞き、自然物である人類の本来の居場所を探し当てた社会。



さらに、もう一つ。

個人主義的視点:
1、「自分」とは、この皮膚で覆われた身体の内側のことである。
2、何かを為そうとする「意志」は、自分自身が自発的・主体的に作り出しているものであり、「自分」の行動は自分自身で選択し、決定している。

分身主義的視点:
1、「自分」とはこの皮膚で覆われた身体の内側だけではなく、外側も全部である。つまり「宇宙そのもの」だった。
2、今まで我々が「自分の意志」と呼んでいたものは、その脳を取り巻く外側(=環境)が、その脳内に浮かび上がらせ・ていたもののことであった。「意志」とは自分由来ではなく、環境由来のものだった。


🔖⑩ 新しい時代へ向けてのエール

やっぱり最後は、我らが誇るべき宮沢賢治分身さんの言葉です!!

「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」

僕たち「分身」は、必ずや「全身」である自分の真の姿を発見し、そして世界中の人が争いをやめて一つになれる!!

今はまだ、国と国が争ったり、同じ国の中でも違う勢力で争ったりしている幼稚な時代だ。

本当の自分を知らずに、自分で自分の身体を傷つける「自傷行為」を繰り返しているんだ。

世界が一つになれる新しい時代は、もう、すぐそこまで来ているんだよ!!

みんなもそれを信じるんだ!!

信じなければ何も始まらない。
嘆いていたって先に進めない。
落ち込んでいたってもったいない。
批判していたって平和にならない。
無関心でいたって個人の幸福はあり得ない。

だったら、僕たちはいつまでも常識や固定観念に胡坐(あぐら)をかいていないで、科学的「真実」を知るしかないんだ!

疑わしいなら自分で確かめることだ。

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いいかい!?
最後にもう一度言うよ。

我々、自然物である人類に「自由意思」はない!!

そして、この「自由意志はない」という話は、信じる信じないという種類の話じゃないんだ。

「科学が解明した動かしがたい事実」なんだ。

今の時代、誰もがパソコンやスマホや電化製品などを使いこなしているように、この21世紀、世界平和のために「まったく新しい視点」「まったく新しい自我」を使いこなすんだ

人類がこの事実を、今までの記憶に上書きした時に、すごい奇跡が起きる

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お金に頼らなくてもやっていける世界。みんなが助け合うことに喜びを感じて生きる世界。ビザもパスポートもなくても、飛行機に乗っていろいろな国へ行って、そこの人たち(お互いに分身と知っている人たち)と交遊して仲良く楽しく生きて、世界中のみんなに祝福されて死んでいける世界。

そして死は終わりではないことを誰もが感じている世界‥‥は必ずやって来ます

この世界に生まれてきた僕たちが、こんな素晴らしい「人生」を犠牲にしてまでも大切にしなければいけない何かが、一体あるのだろうか!?

もし、それよりも経済(お金)の方が大切だと言う人がいるとすれば、その人は大きな損失を生きています。
そして、大きな損失を人類に与えています。





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★★★   関連記事(保存版) ★★★
📌分身主義とは(ジジイの遺言書-10-)
📌真の科学とは何か?(ジジイの遺言書-7-)
📌個人主義から分身主義へ(ジジイの遺言書-8-)

★★★   未来モデル小説   ★★★
ブンシニズム・ドット・ネット
人類が「科学的覚醒」を果たして、「個人主義の《環境》」から「分身主義の《環境》」に移行した未来の世界を感じてもらうために小説にしました。
お金も武器もなくなった世界なので、誰もがボランティアのように自由に働きながら世界を行き来して、行く先々で出会う人たちと交遊して人生を楽しみ、生だけでなく死も大切にする人たちの物語です。
実現可能な平和な世界。実現の願いを込めて描いた未来の世界です。

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。