●某月某日 映画を観た帰り、一人の男とすれ違った。あたしもその男も、お互いを一瞥しただけで通りすぎたけど、すれ違いざま、あたしはわずかに心地よいめまいを覚えた。男からわずかに漂い出ていたフェロモンに、女の本能が反応したのだ。 こんなことは初めてだ。いままでの三十年間、男を刺激することはあっても、男に刺激されることなど一度もなかった。 あの男はたしかにいい男だった。日本人ばなれした彫りの深いマスクといい、深く澄んだ目といい、あるのは好感だけで、いやらしさなどは全然なかっ
昨日(5月10日)の地元紙に「カラスの巣で停電被害」という見出しの記事が載っていた。そこで、記事を読んだり東電PG(パワーグリッド)のホームページを訪ねたりしてざっと調べてみた。 群馬県の地元紙だから群馬県内の状況が説明されていたが、程度の差こそあれ、たぶん全国的にも似通った状況なのだと思われる。 新聞は、県内の一部市街地域で、カラスが電柱に営巣したことによる停電が発生し、約1,300軒に影響があったと伝えている。 3月から5月ころの時期はカラスの繁殖期で、それに伴
〔解説〕 少しばかり入り組んだ解説なので、お茶でも飲みながら腰を据え、じっくりとお読みいただきたい。 あまり知られていないが、単に「世に憚る」ということわざがある。主語がないので何が憚るのか不明だが、たいしたものでないのは確かだろう。 とにかく、まずはこの「世に憚る」を解説しよう。 意味はふたつある。 ひとつは「他人などに気を遣って言動を控えたり遠慮したりする」という意味。たとえば、時代小説などでは「殿、憚りながら申しあげますが」などと使われたりする。 もうひ
スマホ(固定電話もそうだが)で電話をかけるとき、浮世の善人たちはどのくらいの時間呼びだし続けるのだろう。ときどきそう思うことがある。 固定電話の場合は、相手が電話のある部屋にいなかったり、趣味や仕事で手がふさがっていたりすることもあるうえ、電話の場所まで移動する時間も必要になる。 しかし、スマホなど携帯電話の場合は、手がふさがっている場合があるのは固定電話と同じだが、電話の場所はたいてい〝自分といっしょ〟だ。もちろん、自室や車内に置きっぱなしだったりすることはある。た
私は長い間、人体は60兆個の細胞でできていると思っていた。ところが、いつの頃からか、本などで「37兆個」という数字を目にするようになった。60兆個と思っていた私は、「この著者、37兆個だなんて、間違ってるぞ」などと思っていたのだが、その後も「37兆個」をあっちこっちで見かけるようになった。 これはいったい……まさか細胞の数が減ったわけではあるまい。いくら能天気な私でも気になりはじめた。 60兆個と37兆個では大違いだ。60歳と37歳だって大違いだし、60万円と37万円
〔解説〕 よく知られた「敵は本能寺にあり」は、「真の目的は表向きに言っていることではなく、別のところにある」ということを言ったものだ。人の目をあざむくために嘘の目的を表面に出し、本来の目的は隠してしまう。 明智光秀が織田信長の家来だったとき、光秀は備中の毛利氏を攻めるという名目で出陣した。ところが、途中で急に「わが敵は本能寺にあり」と言い放ち、京都の本能寺にいた信長を襲撃した。その故事から出たことわざだ。 こういう戦術や主義のことを「敵本(てきほん)主義」という。
あいまいな記憶で自信がないが、5年だか6年だか前に、カラタチの苗木を10本買って植えた。 ところが、うっかり刈り払い機で切ってしまったり、理由は不明だが枯れてしまったりして半分に減ってしまった。 そのうち数本が、昨年から花を咲かせるようになった。 私が「カラタチ」でまず思い浮かべるのは、島倉千代子のヒット曲のひとつ「からたち日記」(西沢爽/作詞、遠藤実/作曲)だ。 何歳頃のことだか覚えていないが、テレビから流れてくるあの高くきれいな歌声と、小気味よくきれる節回しは
春もたけなわ、というか、初夏を目前にして周りの景色も精気に満ちてきたようだ。拙宅の菜園のニラやホウレンソウは毎日のように食卓にのぼっているし、ニンニクやタマネギなども、人間の側から勝手に言えば夏の収穫に向かって活気づいている。 農林水産省が、ブロッコリーを指定野菜に追加すると発表した。その報道があったのは、正月気分も抜けた今年1月22日だった。私はこの報道に接するまで、指定野菜というものの存在を知らなかった。 私はブロッコリーもカリフラワーも栽培するが、ブロッコリーと
このところ、マスメディアでダニのことを見聞きするようになったと思っていたら、「只今休業。」さんが「街中でも、マダニにやられる」という記事を投稿されていた。 ほう、ほんとにそういうことがあるんだなと興味深く拝読したが、その翌日には産経新聞に、「マダニ感染症 東に拡大」という見出しの記事が載っていた。小見出しには「高い致死率、ペット通じた事例も」とある。 その感染症とは、「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」という、名前からして不気味な病気をさしている。 これまでは西
群馬県の東吾妻町は国内有数のラッパ水仙の名所で、毎年4月前半に「東吾妻町すいせん祭り」が開催される。 ただし、祭りといってもコンサートなどが行われるわけではなく、町が募集したキッチンカーなどが小規模に店を広げるだけだ。 前日の雨模様の空から一転して晴れあがった10日の昼ごろ、ひとりでいそいそと花見に行ってきた。入場料も駐車料も不要だ。 約30万本の水仙が咲きほこる。桜並木の右側(向こう側)には河川敷が広がり、吾妻川が流れる。桜の品種はソメイヨシノ。 会場の岩井
〔解説〕 物事というものは時代の移り変わりとともに変化するのが世の常である。本来使われていたことわざの「情けは人のためならず」もその一つだ。 ただし、これは変化というより意味の取り違いが激しくなり、間違った状態で定着したといえる。 文化庁による「国語に関する世論調査」でも、正しい意味を知っている人と、誤って捉えている人がほぼ半々という結果になっている(調査対象は全国の20歳以上の男女)。 ちなみに、2010年度では正答が45.8%、誤答が45.7%だった。幸いなこ
〔解説〕 「花も実もある」ということわざは古くから親しまれているが、この反対の意味をもつ「花も実もない」が近年多用されている。しかし、「花も実もない」は正式な格言とされていないため、「格言に寄りそう花と実の市民クラブ」から、日本格言制定委員会に登録申請がなされた。 ところが、日本格言制定委員会はいいかげんすぎて話にならないため、新たに「全国格言提案協会」が設立され、簡単に審査して新たな格言として登録された。 参考までに、本来の「花も実もある」は、木に花が咲いて実もな
美しくなろうとする意識が高じて度が過ぎ、日常生活になんらかの影響をおよぼすほどになる。罹患者の大半は一部の学生を含む社会人女性である。「美炎」の発音は「びえん」だが、鼻の疾患である「鼻炎」とは関係ない。 なお、本事典全般に共通することだが、この大全で言うところの病気とは「おビョーキ」のことである。 【症状】 慢性美炎は、初期の段階では肌の色合いをととのえたりシミを隠したり、アイメイクに凝ったりする。 しだいに唇の色やつや、厚みなどを強調したり、顔の明るさを印象づけ
そろそろ本格の春となって、あっちこっちで花が咲きはじめる。自然の摂理はよくできたもので、ちゃんと環境の変化を感じとって生命活動を活発化させる。 そんななかで、私がずっと前から不思議に思っていたのが、木はどうやって水を吸い上げているのかということだった。ポンプやモーターなどはないのだ。 ひとりでぶつぶつ言っていてもしかたがないので調べてみた。すると、疑問は簡単だが答えは複雑という、ほぼ予想通りの結果となった。 おもな要素はふたつ。「浸透圧」と「蒸散」という現象だった。
〔解説〕 この格言は、古くから存在する「蒔かぬ種は生えぬ」が元になってできた新しい格言である。 日本格言制定委員会の若手委員の一部から、「世の中の事象は確かに格言の通りではあるが、まともすぎておもしろくない」「少しは刺激的な雰囲気があってもいいのではないか」など、わかったようなわからないような、珍妙な意見が出たことが新格言制定のきっかけとなった。 本来の「蒔かぬ種は生えぬ」には二つの意味がある。一つは「ものごとは原因がなければ結果は生じない」という意味。もう一つは「
子供のときから、食後横になるなら右を下にしろと言われてきた。胃腸の構造上、そのほうが胃の負担が軽減されるからだ。 ところが近年、ほんとは左を下にするほうがいいという話を聞くようになった。右と左では大違いだが、どっちが正しいのだ。 右を下にする理由は、胃の出口は右側にあるから、右側を下にすれば食べたものを排出しやすく、胃の負担が軽減するからということだ。 ほかに「胆汁が十二指腸に分泌されやすくなる」とか「心臓が圧迫されない」などがある。これらはなんとなく「ああ、そうか