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『皇朝武功紀盛』

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趙翼『皇朝武功紀盛』に載っている「平定緬甸述略」の原文、語釈、書き下し、現代語訳です。 至らない箇所多々あると思います。ここがおかしいんじゃないかという部分があれば是非コメント下… もっと読む
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『皇朝武功紀盛』②

【原文】
(乾隆三十二年)十一月二日始出宛頂、越八日、整隊入木邦。軍容甚盛、留参賛珠魯訥守之。給以兵五千、俾為声援。明瑞自率万二千人抵錫箔江、結浮橋以渡。至蒲卡、始遇賊之前哨。擒数人、詢知賊聚于蛮結、遂進蛮結。賊果立十六柵以待。領隊大臣観音保麾衆先拠山之左臂、賊来争、不得上。翼日、両軍相持未決。而顧賊柵甚堅。其法、立木為柵、聚兵于其中。我槍砲僅及其柵、而賊従柵隙処発鳥槍撃我兵輒中。此賊之長技也。哈

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『皇朝武功紀盛』①

「平定緬甸述略」
【原文】
貴家者、随永明入緬之官族也。其子孫淪于緬、自相署曰貴家。拠波竜廠採銀、向有歳幣輸緬。甕籍牙僭位後、貴家不復輸、甕籍牙撃潰之。貴酋宮里雁猶糾合余衆以拒。此乾隆二十三年也。
【語釈】
・永明 永明王。(1625~1662年)南明最後の王。
・淪 不明。
・向有 不明。向かいてと開いて読んだ。
・甕籍牙 アラウンパヤー王。コンバウン朝を開いた。
・宮里雁 永明王の随行員の末裔

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