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投稿をつづけること

「ここ行ってみたいな~」

と2年くらい前のわたしが言っている。インスタグラムのストーリーズのアーカイブを眺めていた時のこと。

触れていたのは、とある商業施設の中にある体験型の展示会のような場所だった。投稿したことなんて、すっかり忘れていた。ホームページを見た記憶はある。

今のわたしでも興味があったので、まだあるんだろうかと検索する。近日中、来たる休みの日に行くことにした。

決して遠い昔のことではなく、恥ずかしながら「映え」を強めに意識していた時期がある。たとえば人に会えばその欠片を含んだ写真を、SNSで一度は見たことがあるような構図で撮影し、投稿する。

よくわからない焦燥感が常に自分の周りを薄い膜のように覆っていた感覚。承認欲求と言ってしまえば、そこまでだ。ほぼ死語だと思うけれど、“リア充”アピールと言えばわかりやすいんだろうか。

けど不意にちょっと躍起になって投稿する自分がおかしいと思うようになって、空しい感じがして、「いや、なんか違うだろ」と突如糸が切れた。なんだかそれ以降、とくにインスタグラムの投稿はずいぶんと減った。

Twitter、インスタグラム、note……うだうだと書いたけれど、結局「SNSに投稿する」という行為をきっぱりさっぱり止めたわけではない。切り離すことは一度もなく、今も続けている。

どうして投稿するんだろう、とちゃんと考えてこなかった。けど、それでも1つ挙げるとするなら、冒頭のできごとのように過去の自分から何かを受け取ることがあって、それが思いのほかうれしかったりする。そういうタイムカプセルのような喜びがたまに得られるから、止めないというのは無い話じゃない。

今日のヘッダーは、いつかの京浜東北線の車窓から

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