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毎月変わり続ける自分を肯定できた、パーソナル編集者・みずのさんとの1年を振り返ってみる

パーソナル編集者」というサービスを、ご存じですか?

みずのけいすけさんによる、個人の情報発信を支援するサービスです。わたしは2022年12月~2023年11月の間、まるっと1年利用させてもらいました。

このnoteでは、その1年を振り返ろうと思います。

締め切りを共有すれば、何かできるかも

エントリーシート(ES)ってあるじゃないですか。わたしは大学生のとき、このシートの存在にすごく苦しめられました。

今思うと、ただの分析不足としか言えないのですが、自分の強みとか、わからなかったんです。当たり障りのない、月並みなこと――たとえば、"明るい"とか"まじめ"とか、そんなことしか浮かばなかった。極端なことを言えば、自分に良いところなんてないとすら思っていました。

通っていた大学には、「キャリアセンター」という就職支援の場があって、そこで学校側によって振り分けられた担当者と面談をすることができました。

書いたESを添削してもらったりもしました。けど、書類審査をなかなか通過しない。

就職活動の途中、文章関係の講義でお世話になった元編集者の先生に、「ESが通らないんです」とぽろっとこぼしたことがありました。

「キャリアセンターを利用すること自体は悪いことではないけれど、ESは無難な、似たり寄ったりの文章に添削されて終わりよ。たぶんマニュアルがある。だから相手の目に留まらないんだと思う」

そう言われ、仰天しました(もちろん、どこも全てそうであるとは限りませんが)。「定型通りに書こうとしなくていい」と言われ、でもどうしよう、と戸惑って。

先生はわたしのESを読んで、「あなたのことをよく知っている人に相談してみたら? たとえば、ゼミの先生とか」と助言してくれました。

そのあとすぐ、「わたしの良いところってありますか」と馬鹿正直にゼミの先生に尋ねに行くも「まじめなところかな」と言われ、内心がっかり。それはそうかもしれないけど、それじゃあ……。

すると先生は続けて、「締め切りを全部守るよなあ。ゼミもそうだけど、他の講義の課題も、全部」。なかなかいないんだよ、と。

目から鱗が落ちる、とはまさにこのことだったと思います。

締め切りを守る。

「まじめ」をもっと目を凝らしてみてみたとき、浮かんできたものでした。それは自分の中では当然のことだろうと思っていて、けど案外周りはそうでもない。これってわたしの強みなんだ。

けど逆に言えば、締め切りがなければやらないのです。

毎日書き続けて600日以上になるこのnoteも、「寝るまでに書く」という締め切りがあるから書けています。けどその分、質は無視。

考える癖を身に着けるために始めたとはいえ、常にこの状態でいいのか……。もっとなにか、活用できないのか……。

そんなモヤモヤを抱えていたときに出会ったのが、noteのコンサルティングやこたつラジオのパーソナリティなどで活動されているみずのけいすけさんによる、「パーソナル編集者」というサービスでした。

パーソナル編集者
〆切を共有する存在がいるだけで、人は不思議と書けるようになるものです。個人の情報発信にまつわる様々な悩みに伴走し解消します。

goodbuff」ホームページより

2022年12月から2023年11月まで、まるっと1年お世話になりました。

月に一回、みずのさんとオンラインで対話(セッション)をし、あとの期間はSlackでやり取りするのですが、その際に提示した締め切りによって書き切れたnoteはいくつもあります。

やりとりしていたSlackのワークスペース。わたしの好物・うなぎがアイコン

まずは、わたしが「わたし」を知ることが大切

みずのさんに伴走してもらうにあたって、最初の3カ月ほどはnoteを中心に何を書いていくのか? を考える期間でした。

①noteの、これからの使い方
②「わたし」に興味を持ってもらうためにどうすればいいのか
③「まじめな雑談」(当時リリースしていたコーチングサービス)集客

1回目のセッションでは、この3つをテーマとして持ち込みました。当時は対話の末に②が肝だと考え、まずはやっぱり、わたしが「わたし」を知ることが重要だと思い至りました。

就職活動のとき満足にできなかった「自分を知る」ことに、もう一度向き合ってみることにしたのです。それがはじまりで、最終的に自分の本棚を公開することになりました(詳細は下記noteをぜひ)。

一番最初に取り掛かったことが「自分の好きなものは何か」を明らかにすること。話し合って、まずは「偏愛マップ」を作ってみようか、ということになり取り掛かってみた。

「偏愛マップ」とは、自分の好きなもの(偏愛)を視覚的に伝えるツールだ。白紙に、自らの偏愛をことばにして羅列し、グルーピングする。そのシートを見せ合うことで初対面同士でもいきなり深い自己開示が可能になる、らしい。

公開して思ったのは、自己紹介のハードルが下がったこと。「漫画が好きです」とだけ言うと、かなりフワッとした自己紹介になってしまって、「本当に好きなのかな……?」というイメージを相手に与えてしまう可能性もある。

けど、この本棚を見せると、大量の情報を一度に提示できるし、相手がどこに反応を示すかで、逆にその方への理解が少し深まったりする。

こちらはイベントレポート寄りの内容。現像はむずかしいですが、この日から写真を撮るのが楽しくて楽しくて仕方ないです。

「思わず、見てしまうものを撮りましょう。それが“好き”ってことです」
「嫌いなものは、そもそも見ようとすらしないでしょう」
自分の好きを、くだらないなんて思わないでくださいね

それらの言葉に、マスクの下、鼻の奥がほんの少しだけツンとした。

最近、「好き」って何だろうとよく考えます。自分の好きに自信が無くて、もごもごしてしまっていたから。このワークショップに参加してからは、「思うままでいいんだ」と思えるようになった

息を吸って吐くようにたくさん撮って、自分の好きが伝播するような写真をこれから撮っていきたい。

「こだわりの強い陶芸家みたい」

サービスを受け始めた当初は、どこか飢えているような状態で、「何者かになりたい」という、今思うとなんとも照れくさい焦りもありました。

けど2023年5月頃から、だんだん、"わたし"自身に変容が起こっていくのを実感し、なんとか言葉にしていこうと試みるように。

1つ大きな変化だったのは、この場所(=毎日note)との向き合い方でした。

どうして自分は毎日書いているのか?
この場所をどうしていきたいのか?

常日頃、頭の中にある問いでしたが、それに対しての質感が変わってきたように思います。ちょうど500本目という節目を迎えたのも大きかったです。

そもそも毎日noteを更新し続けていたのは、あくまでも自分のため(考え続ける習慣をつける)だったので、それでも悪くはないと思います。

けどこの企画をやってみてわかったのは、「わたしは自分の山から下りて、町の人たちと交流したかったんだなあ」ということ。

山にこもり続けて、何か作品を作り続けている陶芸家みたいな感じといえばいいのでしょうか。

でもそれ(作品)を抱えて下山して、町の人に話しかけたりしない。下山したとしても見てるだけ。様子を眺めて終わり。

どんどん作品は生むけれど、それを持ってしてどう人と交流すればいいかわからないでいる。

「山から降りてこない」というイメージは、みずのさんとの対話の中で浮かんだものです。「こだわりの強い陶芸家みたい」と言われ、思わず笑ってしまいました。

適当になってしまうこともあるけれど、noteを通じて、わたしはわたしとちょっとずつ対話をしていたのかもしれないと、いまは思います。毎日書き続けたこの場所は、自然とわたしを知るためのツールの1つになっていました。

自分の中で腹落ちした結論たち

2023年7月~10月頃。さまざまな体験が連鎖して、自身の中にある色々な執着に気づき、ゆるし、手放したのがこの時期でした。

この本を読んで、このイベントに参加して、どうして心が動いたのか。少しでも書き留めたかったのか。

その時その瞬間の、とても大事なことを閉じ込めたnoteを書けたと思っています。

誰よりも、自分の中で腹落ちした結論たちです。

たとえば、わたしはいじめの経験を、「もう過ぎたことで、いつまでも囚われて良いことではないだろう」と目を逸らし、まるで無かったことのように扱おうと努めてきた。けどそれは逃げているだけで、結果、ずっと過去はわたしを追いかけてきた。

今の自分を許すことができない状態が一生続くとしたら、それは、つらくて、しんどい。

わたしは今、1年ほど掛けて、自分を知ろうとしている渦中にいる。それは要するに、自分の心の穴を、自分で確かめている最中なのだということだ

ふっと話し終わって周りを見たら、泣いてくれた人もいて本当に驚いた。偶然、流れる一筋の涙を見て、とても綺麗だと思った。

ああ、これでいいのか。
いや、むしろ、これ“が”いいんだ。

語るまで、“満たされている”の裏側に、強い不安がずっと縫い付けられていた。「本当にこれでいいのかな」と、きつく縫い付けられたそれは、無理矢理引きちぎったり、剥がそうとすると、痛みが走る。

自分が書いた自分のことなら、素直に「好き」だと思える。そう思うには、ひるがえって、やっぱり「考えること」「考え抜くこと」が必要だということ。

思えば600本以上あるnoteの中で、自ら読み返そうと思うものは少ない。

読み返せるnoteは、そこに書かれた自分のことを好きだと思えるからなんだろう。それは慰めでもなんでもなく、「あの頃があるから、今がある」と、本当に、書いて心からそう思えたものでもあったりする。

反対に、書いた自分を好きになれない時は、面倒くさくなって、持てる力で隅々まで考えられていない文章だと言うこと(書いてみると耳が痛い)。

わたしの「船」を大きくした1年

わたしは、いつも何かを始める時、理由は後付けです。

「なんかいい!」という直感に従ってばかりで、「なんで始めたの?」と聞かれると、内心困ってしまうのです。これから探していこうとしているから。

「パーソナル編集者」も、最初は、そんな直感からでした。

イベントレポートやブックレビュー、体験記など……伴走してもらい、腰を据えて書いたものを改めて振り返ると、一貫性がないようにも見えます。

気になること、やってみたいことは色々あって、でも決めきれなくて。そういう自分がどこか中途半端なような気がして、なんだか恥ずかしかった。

始めるなら、何もかもうまくいってくれなきゃいやだな、という傲慢な自分も確かにいて、二の足を踏んだことも一度や二度じゃない。サービスを受けている間、そんな自分が立ち現れ、モジモジしていたこともありました。

でも伴走してくれる人がいて、締め切りがあると、モジモジしてばっかりじゃいられないというか。

サービスを受けている間、みずのさんに「こう書いてください」とか「これを書いてください」とか、そんな風に決められたことは一度もありませんでした。

いつだって、「こういうことを書いてみたいと思っていた」というわたしの気持ちを傾聴し、寄り添って……いや、ほとんど「良いね良いね」と強く背中を押してもらい!

とりあえず、試してみよう、書いてみようと思えて、色々な「お試し」ができました。ちょっとでも踏み出した自分は、やっていない、過去の自分よりわかっているはずだから、と。

そうして1つ1つのnoteを書き切るたび、自分の中のなにかが変わっていくような、脱皮するような感覚があったのです。

ずっと抱えていた「何者かになりたい」という焦燥感が、立ち現れる回数がだいぶ減ったような気がする。精神状態を湖面で表すなら、穏やかで、凪のような状態が続いている感じだ。いや、正直湧いてくることもあるんだけど、その出現時間は短くて、ちょっと経てばすぐに凪に戻るような。

そんなことを話していたら、「船が大きくなった感じがするよね」と言われて、ああなるほどなあと思った。

みずのさんに最後の対話で、「毎月雰囲気が変わっていくのが、すごかったね。執着を手放し続けていった気がする」と言われたのが、うれしかった。

自分一人では自覚しにくい変容を、ホールドしてもらえたような安心感がありました。

自分なりの答えを、たくさん出せた1年でした。その1つ1つの答えが、わたしの船を、大きくしてくれたのではないでしょうか。

「パーソナル編集者、気になる!」という自分の直感を褒めたいし、何より1年間も伴走してくれたみずのさんに、改めて感謝します。

ありがとうございました!

今日のヘッダー。せっかくなので西湖の写真を

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「パーソナル編集者」が気になった方は、ぜひこちらをチェックしてみてくださいね。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます! サポートしていただいたら、大好きな漫画やコーチング関連の書籍等に使わせていただき、noteや日々の活動に還元できたらと思います。