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あたたかなホームパーティーに参加して、満たされている今の自分を許せた話

コーチングに出会って、オンラインスクール『THE COACH Academy』の基礎コースを受講したのが2021年2月。学びはじめてから、気づくともう2年半ほどが経った。コーチングが好きだということ。それはずっと変わらない。

けどいま、「コーチ」をいったん手放そうとしている。

しばらく、そうしようとしている(したい)自分に気づきつつも、なかなか認められなかった。けどやっと、「いいんじゃないかな」と思える、腹落ちする瞬間があった。

それは8月に参加したコミュニティ(THE COACH)メンバー有志のホームパーティーのとき。

学んだタイミングは少しずつ違っていても、同じ共通言語を学んだ人たちが集まった場には、確かな安心感が充満していた。その空気に気づき、身を委ねられるまでに少しだけ時間を要したけれど、わたしはそこで自分が今立っている現在地について話すことができた。

それは決して長い時間ではなく、おそらく10分にも満たない時間だったように思う。けどその間、わたしは今の自分を許すサインを知らず知らずのうちに出せていた。

あのとき何が自分の中に起きていたのか、やっと整理がついたのでこうして書いている。


きっかけとタイムラグ

8月の初旬、りみさんの家に遊びに行って、ホームパーティーに参加させてもらった。

りみさんは、「THE COACH Academy」応用コースの同期。ずっと抱いている印象は、お酒をこよなく愛し、料理が上手で、「場づくり」にエネルギーを出せる人。

参加のきっかけは、彼女が発信したこのツイートだった。

わたしがこのツイートに気づいたのは、投稿されて少し経ってから。「乗り遅れたなあ」と思いつつ、言うだけ無料だしの気持ちで「機会があれば今度参加させてください」とお伝えしたら、「まだ大丈夫!」と返事をもらえた。

それが5月中旬のこと。その後参加者の皆さんと日にちのすりあわせをし、約2カ月半後の開催が決まった。

どこか感じていた参加することへの後ろめたさ

今だから書けることだけれど、正直開催日が近づくにつれ、つよい緊張感や憂鬱さを覚えるようになっていた。

「行きたい!」と思ってりみさんに声を掛けることができたときの自分と、イベント開催日直前の自分の状態に変化が起きていたからだと思う。

自分は今、「コーチ」をいったん手放そうとしている。たとえば、一時期目指していたTHE COACH Academyの認定資格「CACP」取得を目指す活動をしていない。

手放して、それでもまた「コーチング、がんばりたいな」とか「クライアントの安心材料として、証として、CACPを取りたい!」と思えたら、そのときに動けば良いんじゃないかと思っている。

きっと今、コーチングを提供したいとまで思えないでいる。自分の中に起こっている体験を味わっている最中で、「自分以外の人にも、感じてほしい!」といった〝他が為に〟精神が生まれていないのかもしれない。

自分以外に参加される方々は、コミュニティ内外で精力的にコーチングという軸を持って活動、活躍されている人たち。だからこそ、こんな状態の自分が行くことに腰が引けていた。断った方が良いかもしれない、とグズグズ考え続けた。

けれど、気づくとあっという間に当日を迎えた。

最初は、もう緊張しちゃって自分がなにを言っていたかよく覚えていないし、コンパクトデジタルカメラ『GRⅢ』片手に写真を撮って平静を保つのが精いっぱい。

けどだんだん、あたたかな空間を肌で感じることができるようになって、会の後半、「自分の現在地」を素直に話せる機会を得た。振り返ってみても、あの時間は自分にとってとても有難く、特に忘れがたい時間だった。

自分の現在地

そもそもコーチングを学ぼうとしたきっかけは、「取材」の仕事に活かせるかもしれないと思ったことだった。

こばかな コーチングを始めたきっかけは、新しいアプリを作る中でのユーザーインタビューです。(中略)
「質問する技術」があるようだというところから調べ始め、記事や本を読んだりするうちに「傾聴」というスキルがあることなども知りました。

『【こばかな氏インタビュー】第1章 学び始めてすぐに実感したコーチングの価値』より

わたし自身のコーチングセッションを受けた体験(クライアント体験)から興味を持ったのではなく、最初から「ツール」として強く興味を引かれた。タイミングよく「THE COACH Academy」開講のニュースを知り、説明会に参加し、すぐに受講を決めた。

この武器を自分のものにできたら、レベルアップできるのでは?
強い自分になれるのでは?
そんな自分になれたら、わたしはわたしのことをちょっとは認められるんじゃないか?

特に最初は、そんな期待を抱きながらの受講だった。

けどコーチングを学んで始まっていたのは、自分で自分を知っていくことだった。

きっとこの先誰にも愛されないから、ひとりで生きていくしかないとおもっていたわたし。
それに気づいて、だれかとつながっていたい気持ちに素直になりたいと思った。

良いことを「信じる」力よりも、「疑う」力のほうが強いわたし。
それに気づいて、もっと「信じる」ことを大事にしたいと思った。

ずっと今の自分を許せないから、成長し続けるしかないと思っていたわたし。
それに気づいて、自分を許したいと思った。

気づくきっかけは、全部全部、コーチングを学ぶことを選択したからだった。

強くなりたかったんじゃなくて、本当はわたしがわたしを好きになりたかった。愛してあげたかった。

そんな願いの欠片を、無視しないで、自分の足で踏みにじらないで、一つひとつ見つけては拾い上げていった。

そうしたら、自分が家族に愛されていて、家族を愛していたことに気づいた。
これから大切にしていきたい、と思う人に出会った。
自分が今、とても満たされていると思った。

あたたかな場で

そんなことを、かいつまんだ形だったけれど、あの場で語った。

同じ言語(コーチング)、マインドを学んできた仲間だからこそ、話せた。あの場に着実に生まれていた、あたたかいものが流れ巡っていた空間だったから、話せた。

あとは、ようやっと緊張が解れてきたのもあったし、りみさんのおいしい食事(特になめろうが大ヒット)、日本酒の力も絶大だったと思う……。

りみさんお手製のなめろう。日本酒がすすむすすむ

軽く話したつもりだったし、「さーっと話したら、次の人に……」なんてことも考えていた。

けど、ふっと話し終わって周りを見たら、泣いてくれた人もいて本当に驚いた。偶然、流れる一筋の涙を見て、とても綺麗だと思った。

ああ、これでいいのか。
いや、むしろ、これ“が”いいんだ。

語るまで、“満たされている”の裏側に、強い不安がずっと縫い付けられていた。「本当にこれでいいのかな」と、きつく縫い付けられたそれは、無理矢理引きちぎったり、剥がそうとすると、痛みが走る。

大丈夫だったね。自然とそう思えた。言い聞かせてきたことが、ちゃんと腹落ちした瞬間だった。

幸せに気づける自分でいたい

もしコーチングに出会わず、学ぶことを選ばなければ、幸せを見逃していたのかもしれない。

なんて書いてみたとき、「見逃す」の中にある、「逃げる」という漢字が気になった。もしかすると幸せから逃げていたかもしれない、という言い方のほうが正しいかもしれない。

「コーチ」をいったん手放そうとしている、と書いた。けど、自分が幸せで、満たされているーーそんな自分を許せた今、これから先、自分自身がどこへ向かうのかはわからない。

ただ確かに願っているのは、これからも幸せに気づける自分でいられますように、ということ。

うっかり見逃してしまっても、逃げてしまっても、ハッと気づいた時にそっと手繰り寄せられる自分で在りたい。それができることをわたしはもうわかっていると思うから。

オマケ

ホームパーティーの終盤、りみさんの提案で絵を描くことに。水性ペン、絵具、色鉛筆、クレヨン……色とりどりの画材が、レジャーシートの上に広げられた。

文字通り、童心に返って深く考えずにペンを走らせる感覚は楽しかった。

惹かれた色のクレヨンを手に取り、バランスも考えずに塗りつぶしていく。

一番手前がわたしの絵(iPhoneで撮影)

描いた絵を見返すと、あのときのあたたかな気持ちを、ちょっとでも閉じ込めようとしていたのかもしれない、と思った。

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