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「義理」、手放したい。

最近「義理」という言葉をよく耳にする。日頃感じている悩みとか、そういったものを口にしたとき、耳を傾けてくれた相手から返ってくる言葉の中に散見していた。

「自分の本心より、”義理”が先行している気がする」「ずいぶん人に義理立てしているんだね」「まじめだなあ。義理堅いんだね」

ここでいう「義理」は、「義理人情」のなかに含まれる意味なんだろう。

【義理人情】
過去のいきさつやしがらみのために避けられない付き合いや、人に対する思いやりのこと。
「義理」は、交際上の関係や付き合い。また、交際上、いやでも人に対してしなくてはならないこと。「人情」は、人に対する思いやり・情け。

goo辞書より

2回ぐらいなら偶然かもしれないけど、3、4人に言われたので、なんだか考えさせられる。

そして思う。「義理人情」って、言い換えると、他人の目をものすごく気にしている、とも言える。実際わたしは、何か行動するとき、考える時、無意識に自分のことよりも先に「相手がどう思うか」を考えてしまう。けど、それをずっと、続けるのかな。それでほんとうに良いのかな。

自分が幼稚園の年長くらいに言っていた、将来の夢のことを思い出す。「植物学者になりたい」という夢。植物図鑑を眺めるのが好きだった(今は全く、そんな片鱗もない)。道端に咲くシロツメクサやタンポポが好きだった。

けど、ほんとうになりたいと思ってた? ふいに幼稚園児のわたしに聞きたくなる。きっと、その子はこう答える。

「うーん。そうやって言うと、みんな喜ぶから」

のんちゃん、そんなこと考えてるの? すごいねえ! にこにこする大人を見て、うれしかった。こう言ったら喜んでくれるって、無意識にわかってた。

そんなことを思い出して、「他人の目」を軸にしていた歳月の長さと根深さに慄いている。たぶん2年前のわたしなら、「義理堅い」と言われても、「ふーん」と軽く受け流している。

他人軸でなんとなく生きてきた。そこに気づかないままだったら、それはそれで問題なく日々を生きていくことはできる。けど、けどここ1~2年の出会いや学びのおかげで、「それが一生続くのか? それでいいのか?」と疑問を持てるようになったんだなあ。

沁みついた癖のようなものだから、今すぐどうにかできるかって言われると自信がない。なので、もっと掘り下げて、分解してみたい。そのためにちょっと行動も起こしている。今週から動きがある。「自分がやりたいこと」とか、「ライフワーク」とか、改めて言葉にしたい……という、ちょっとした決意表明。

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