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一緒に暮らすとは、相手には相手の時間が流れていると知ることでもある

2024年9月3日(火) 曇り時々雨

Netflixで、今日『トークサバイバー』の第3弾が配信された。大好きなバラエティー(というジャンルで良いのか?)番組だ。早く観たくて、まだかまだかと思う。

彼と、「できれば一緒に観よう」という話をしていたので、勤務先からの帰宅を待っている。先に一話を観始めたら、止まらない確信がある。まだ我慢。

暮らし始めて3ヶ月、わたしは彼の帰宅のリズムといえばいいのか、時間帯が読めないでいる。「大体このくらいかな?」と予想してみても、大抵外れてしまう。職種も全然違うので、わたし自身の感覚・経験は当てにならないのだ。

彼が「早く帰る予定です」と言っていたけれど遅くなったり、「明日はテレワークの予定です」と言っていたけれど無理になったり。もちろん、「遅くなるかも」と聞いていたら、早く帰ってくる場合もある。今日はどうかな。

一緒に暮らす前は、休日を中心に会っていた。だから仕事がある平日、彼がどんなスケジュールで過ごしているのかはぼんやりとしか知らなかった。

この前、二人でとあるYouTubeチャンネルにあがった動画を観た。暮らす前に、たまに一緒に観ていたのだけれど、一緒に暮らしてから初めてだった。観終わって、「久しぶりに観たよ」と言うと、「自分もです」と返ってきて驚いた。よく動画コンテンツを観る人だから。ブームじゃなくなったのかな? と思ったら、「いや、YouTube自体、観る時間減っているんですよね」と言われて再度驚く。

一緒に暮らし始めて、時間の使い方が変わっている。それは、たとえば読書時間が増えたわたしに限った話ではない。彼だって、そうなのだ。当たり前ではあるのだけれど。

だれかと一緒に暮らすというのは、時間の使い方が変わることであり、相手には相手の時間が流れていることを知ることでもあるのではないだろうか。

彼を待ちながら、そんなことを考えた。

今日のヘッダー。明太子入り卵焼き。内容とあまり関係がないです

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