動機がここだっていい。
何週間か前のラジオ『オードリーのオールナイトニッポン』で、オードリーの若林正恭さんが、公道で走行可能な電動キックボードに乗ってみた、という話をしていた。
もちろんエピソード自体も興味深くて、楽しく聴いていたのだけれど。とくに心に残っているのが、若林さんが電動キックボードに乗ろうと思った動機だった。
こんにちは、のんです。今日もおつかれさまです。
「ラジオがあるから、乗ってみようと思って」
要約すると、このようなことを言っていたのだ。
通常回の放送時間(2時間)のうち8割が、ほぼフリートークのこのラジオ。若林さんと春日さんがそれぞれエピソードを持ち寄ってくる。「毎週あるから、ネタ探しに必死だ」という話も、ラジオで何度か聞いたことがある。
ジョギング中だった若林さんの目の前に、シェア用の電動キックボードが現れた。以前からこの乗り物に乗っている人のようすを見ており、かねてから気になっていたという。そして「これは、ラジオのネタになるかも」と、借りてみることにしたという。
生意気にもこの動機を聞いたとき、「私と同じだ!」と思った。
私が毎日noteをはじめてから、4か月以上経つ。日々「今日は何を書こう?」の連続で、正直毎回大変だ。書くテーマを捻出することに対して、一向に慣れる気配はない。
書き続けて起きた変化を挙げるとすると、目の前に広がっていることに対して「これはnoteに書けるかもしれないな……」と考えるようになったこと。
例えば、以前書いたこのnote。ぎゅうぎゅうに予定が書き連ねられたスケジュール表を見たことがきっかけで書いたものだ。
「noteに書けるかも」という感覚は、「日常を取材する」ことと重なる部分がきっとある。「なんか気になるなあ」という自分の心の動きに、敏感でいたい。そして、その動機がたとえば、毎日noteを書くためでも全く問題ないと思うのだ。