展覧会メモ①ルール展
私たちの日常は、さまざまなルールに囲まれている。憲法や法律、公共インフラや公的サービスから、当事者間の契約・合意、文化的背景に基づいた規則やマナー、家族や個人に無意識に根づく習慣まで。ルールは多岐にわたり私たちの思考や行動様式を形成している。
産業や社会構造の変化、テクノロジーの進化などに伴い、これらのルールは今大きな転換を迫られている。実態が捉えにくく形式的になりやすいものだからこそ、一人ひとりが身の回りにあるルールを意識し、その存在を疑い、自分のこととして柔軟に考えることが求められる。多様なルールと交わり、日々更新し続けることで、私たちの社会と未来の可能性はよりオープンで豊かな方へと押し広げられる。
ルール展では、日常のさまざまな場面で遭遇するルールの存在と影響を取り上げ、私たちがこれからの社会でともに生きるためのルールを、どのようにデザインでかたちづくることができるのか、について多角的な視点から探る。例えば、展覧会という小さな社会のあり方に揺さぶりをかける鑑賞のルールや新たな創造のきっかけになる規制や制約の可視化、市民が社会課題の解決に取り組むシビックテックなどの仕組みづくりに着目する。
デザインによってルールに対する見方を変えたり、逆にルールをデザインすることによって物事や社会に働きかけたりすることを考える。ルールは、私たちを縛るものではなく、私たちがこの社会で自由に生きるために存在している。時代に合わせてルールを更新すること、ルール形成からこぼれがちな少数意見に気づくこと。私たち一人ひとりが未来をかたちづくる一員として、ルールとポジティブに向き合う力を養う。
作品
①四角が行く
この作品は「ルールに従う存在がどのように見えるのか」「ルールへの従い方は必ずしも一つではない」といったことを、現実世界から切り離して特殊なルールに従順に従う抽象的な物体の姿を通して伝える。
法を含むルールには、適用される千差万別の具体的な事象にあたって不可避的に解釈が発生する。ルールの余白ともいえる解釈は、「ルールをどのように読み取るか」という前提において結論に大きな差分が生じる。その解釈には、同様の事象を同じように判断・処理すべきとする論理的な安定性と、個別の事案における具体的な妥当性のバランスをいかにとるかが問われる。
②企業が生むルール
企業が開発した製品やシステムがルールとして社会に定着するには、2つのプロセスがある。企業が単独で行っていた試みが公的機関によってルールとして定められるデジュールスタンダードと、社会に広く普及したため標準として扱われるようになるデファクトスタンダード。一旦標準として普及すると、それ以外の選択肢を選び難くなる状況が生まれる。
③自分の所有物を町で購入する
作家が自身の所有物をわざわざ売り場に置くことでいったん商品に戻し、改めて紙幣と交換し購入することで再び所有物にするという行動を映像に収めた作品。私たちの経済システムが、お金を介することでさまざまな手間が省かれ、中身に関わらず極めて記号的に進められていることに気づかされる。お金で担保された信頼が揺らぐとき、私たちは何をもって商品の価値を判断し、何と交換するのか。
本来、店舗と顧客との間の売買契約の成立をもって、店舗に帰属していた商品の所有権が顧客に移転する。しかし、本作品においては、商品の所有権が顧客に帰属するため、そもそも売買契約は成立せず、所有権も移転することはない。店舗が受領した金銭は法律上不当利益となるが、支払ったものは債務の不存在を知ったうえで弁済した者として、その返還を請求することはできない。
ディレクターズメッセージ
「もしこの世界から法律がなくなったら」と想像すると、私たちの社会ではルールが不可欠であることは明白である。にも関わらず、私たちはルールに対して不自由さを感じる。その原因は、自分自身がルールづくりに参加できていないから、あるいはルールづくりに参加している感覚がないから。そこで、社会をより豊かにしていくための補助線として、ルールを活用しデザインできないか。そのまなざしは必然的に「誰かがつくったルール」から「私たちがつくるルール」への転換に繋がっていくはずだ。
ルールに対して、ただ自分を縛るネガティブなイメージを持つのではなく、創造性を促す踏み台として機能することや、心地よく行動を促す導線として機能することも知る。ルールは、思考や行動をデザインするためのツールとしても使うことができる。
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