ニートでは精神年齢に天井が出来てしまうという話

まえがき

筆者は23歳会社員で、現在仕事を休職中である。今夏から激務に追われ精神を病んでしまったからである。休職期間中、仕事のあり方を考えるうちに、ふと「仕事って人生に必要?」とか考えることがあった。
筆者自身の中でなぜ、人生に仕事が必要なのかわかった気がしたのでここに書いておこうと思う。

人生に仕事が必要なのは精神年齢を成長させるため

仕事が人生に必要なのは精神年齢を成長させるためである。人生に精神年齢の成長が必要か、ということに関しては例えれば「ピーマンが食べれるようになる」に近いと考えている。
一見ピーマンは初体験時は苦くて摂取の必要のないものに感じるが、美味しく感じるようになるのとその前とでは圧倒的に美味しいと感じる料理の幅が広がる。
人生とはみな幸せになるために生まれてきていると思うが、この幸せになる方法が増えるに等しい。

本題に戻る。

仕事で重要なこととして技能や忍耐を磨くことがあると思うが、人間の成長という面ではあまり重要なものではないと考えている。
では何が人間の成長として重要なものなのか、それは他者と触れ合うことである。
ここでいう他者というのは有象無象であり、本来ならば避けて通るような人間も含まれている。

この他者との触れ合いの中で、自分自身の中になかった考え方や価値観に触れ、咀嚼することで、自分の中のカオスとも言えるような人間の定義が拡大するのである。これは次の他者と触れ合うときにポケットのように出し入れすることが可能であり、コミュニケーションを円滑に進める道具ともなり得る。

別に仕事しなくても他者と触れ合うじゃん

そう、仕事でなくても確かに他者と触れ合うことはできる。だが、仕事での他者というのは普段生活する上で触れ合う他者とは別物である。
なぜなら仕事での他者は顧客と言われているからだ。
この顧客というのはエゴイストに等しく、普段日常で触れ合うことはあまりない、というより自分自身がその顧客であることが多い。
この顧客である他者と触れ合うことで感じるストレスや理不尽、またその考え方に触れることで真の価値観の拡大が期待できるのである。

常に社会は体の年齢と同じ精神年齢を要求してくる

常に社会は体の年齢と同じ精神年齢を要求してくる。
「そんなことも知らねえのか」という発言がまさにそれである。誰もがこの台詞で嫌な思いをしたことがあると思う。
世の中働いている人が多いため、どうしても働いている大人目線で自身の人間性を測られてしまう。
そこで自身の不幸が生じることもあるだろう。
それを回避できるのは、仕事で人と触れ合うことで感じた色々なのだ。

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