かきあらはす
最近、家族の間でいざこざがあってかなり心が荒んでいる。
かといって、別に病むなんてレベルには到底達していないが、辛苦は書き表すといいというのをどこかで聞いた気がするので、では早速書き表してみよう、と思った次第だ。
辛苦を書き表す、即ち、この記事には毒がかつてないほど含まれている。
だが、あくまでテイストは作品、という体にしようと思うので、どこかに住んでいる文学好きが書いた、ダークな作品と思って見て欲しい。もしイタいと思われたら、即刻ブラウザバックを。
待ってくれない時という存在が、まさかこんなにも怖いものだとは。
昔どこかの歌詞にあった、平等な時間についての描写──今じゃ手にすくい取るようだ。
時が進む、間違いなく世界は新しくなっていく。新しくなっていけば、すなわち私はまた時の流れに囚われて、いつしか置いてけぼりになってしまう。
もうとっくに寝なきゃまずい時間帯なのに、鬱屈ばかりが心に沁みて、まるで眠気はやってこない。
今頃、あの人も起きているのだろう。愉しさ──しかも、それは一時的でしかない──に浸って、溺れてしまっていることに気づかないで。きっと目は覚めきっているのだろう。
特別辛いわけでもない。だけど、今まであの人が背負っていた「負」を肩代わりしなくちゃだから、私の背中は負のおもりで潰れそうだ。
聞きたくない。負など、鼓膜にさえ入れたくないのに。それは半ば強制的に、私の心の草っ原を這うようにしてまで、入り込んでくる。
その負は、皮肉と矛盾にまみれていて、やっぱり聞いているだけで、胸の蟠りがぶわっと拡がっていく。これを不快感と称するのであろう。
ようやく瞼が下がってくる。
一日、日をまたいでいるが、蝋燭の「今日」という火をふっ、と消す。
辺りは闇に包まれる。耳鳴りだけが聞こえる。
だが、負でもたらされる不快感なんかより、幾分マシであることに気づいていた。
夢に足を踏み入れる。気づけば朝になっているはず。
私は朝を待つ。本当は来て欲しくない朝を。
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