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ライター入門、校正入門、ずっと入門。vol.16

「校正・校閲の仕事を専門とするプロフェッショナル集団」聚珍社の中嶋泰と、フリーライターの張江浩司が多種多様なゲストお迎えしつつ、「書くこと、読んでもらうこと」について話していくトークイベントの模様をダイジェストでお届けします。


「小劇場」と「地下アイドル」は同じ?

張江 このイベントの司会進行を担当しております、ライターの張江です。

一色 XOXO EXTREMEの一色萌です!よろしくお願いします!

中嶋 この企画を主催しています、株式会社聚珍社の中嶋です。

張江 今回は「脚本を書く、校正する」というテーマなんですが、ゲストの一人、まなべゆきこさんがコロナに罹ってしまったそうで。

中嶋 今朝私に連絡がきて、リモートで出演してもらうことも考えたんですけど、体調が第一ですから。「お大事にしてください」とお伝えしました。

張江 いろんなことがコロナ前の水準に戻りつつありますけど、もちろん完全になくなったわけではないのでこういうこともありますよね。まなべさんは残念ながらお休みなってしまいましたが、早速ゲストをお招きしたいと思います。

(ゲスト登壇)

大北 『明日のアー』(※)というコントの舞台で脚本を書いたり、Webで記事を書いたりしています、大北といいます。よろしくお願いします。
※2023年9月、『アー』に改名。

中嶋 このイベントのシーズン1でも落語作家の方を呼んだ回があって、そのときに古典落語の表現が現代に合ってないものもある、という話題が出たんですね。そういう問題はコントの脚本にもあるんじゃないかと思うんです。漫画・イラストの回でも、ステレオタイプなキャラクターを(最近は描きづらいけど)描かなきゃいけないときがある、という話がありましたが、コントでもあるんじゃないですか?

大北 うんうん、ありますね。なるべく説明を省いて最短距離を走る必要があるので、ステレオタイプな描き方になるときはあります。

中嶋 一目見た瞬間に「この人はおじいちゃんだ」みたいにわかってもらわないといけないですもんね。

大北 そうですね。本筋と関係ない部分はできるだけ縮めたいというのがあって。「わしはおじいさんじゃ」とか言わせると早いんですけど。

一色 実際にはそんな話し方のおじいさんに会ったことないですよね(笑)。

張江 (扉を開けるジェスチャーをしながら)「カランコロンカラン、ここが喫茶店か」とかもそうですよね(笑)。省略して記号化するという。

大北 演劇の現場では校正という作業はほとんど行われないんです。役者さんから「これ違うんじゃない」と指摘されることはけっこうあるんですけど。中嶋さんが関わるとしたらどういうタイミングになるんですか?

中嶋 脚本は校正しづらいものの一つなんですよね。戯曲とかも聚珍社に校正が回ってくることないですし。

大北 校正というのは、表現において「おや?」という部分を直すものなんですか?

中嶋 誤字脱字や「てにをは」の間違いの修正もそうですけど、ちょうど昨日雑誌の編集部と打ち合わせがあって話題に出たのは「目を引く」とか「目を見張る」みたいな言葉なんですよ。目が見えることを前提にしている表現だから、それを当たり前に使うのはまずいよねと。そういう言葉が他にもあれば指摘してください、という話になりました。

一色 「足を伸ばす」とかもそうですよね。足があることが前提になってる。

中嶋 身体に関する言葉は気を遣いますね。「肌色」とも言わなくなりましたし。

一色 「ペールオレンジ」ですよね。

張江 ペールオレンジって肌色のことだったのか……!シーズン1でも取り上げた「記者ハンドブック」にも差別語・不快語の項目があって、意外な言葉も差別語になってるんですよね。「〜〜屋」とか。

大北 魚屋とか肉屋とかですか?職業差別になる?

中嶋 そうですね。「〜〜屋さん」だと、愛称的でOKということになるんですけど。

一色 あまり差別語という感じがしないですよね。普通に使う言葉でもあるので。

中嶋 例えば、政治家を「政治屋」って言うと皮肉っぽい感じになるじゃないですか。

張江 なるほど、金に汚い感じがしますね。

大北 でも、「肉屋」と言ったからといって悪徳精肉店のニュアンスはないですよ(笑)。

張江 確かに(笑)。「〜〜屋さん」が、一段低い職業という意味合いになっちゃってるんですかね。

一色 難しいですね……。あ、「地下アイドル」ってことか!アイドルたち本人は何も思ってないのに、周りが気を遣って「ライブアイドル」と呼ぶようになった時期がありました。

大北 演劇でも、「小劇場っぽい」と呼ばれるとモヤッとすることがたまにあります。小劇場でやってるのは事実だからいいんだけど、「小劇場っぽい」と言われるのはなんか嫌だなって(笑)。

張江 「サブカルっぽい」と言われるのも嫌ですね。

大北 サブカルを自称するのはいいけど、「サブカルっぽい」と他人から言われるのは気になる、なんなんだろうね。

張江 そう考えると、自称するための呼び名なのかもしれないですね。「うちは3代続く魚屋だから」みたいな。

中嶋 北野武さんも「おれはペンキ屋のせがれだ」っていいますよね。

大北 謙譲表現にも近いのかも。

張江 黒人の人たちがあえてNワードを使うのも同じ意味合いかもしれません。

大北 だんだん理解が深まってきました。

一色 しっくりきた感じがします。

張江 当事者じゃない人が使う場合は、正式な表現がベターですね。

大北 演劇やテレビドラマだと、発話者は当事者じゃない場合が多いから複雑ですよね。例えば、劇中の北野武は「ペンキ屋」と言うけど、俳優の父親はペンキ屋ではない、ということはよくありますし。

中嶋 エンディングに「差別的な表現が含まれますが、当時の時代背景を示すのもので、そういった意図はありません」のような断り書きをエンドクレジットに流したりしてますよね。

張江 厳密には、登場人物と同じバックグラウンドを持つ俳優さんがいるに超したことはないと思うんです。トランスジェンダーの役はトランスジェンダーの俳優さんが演じるべきですよね。

中嶋 ペンキ屋の息子の役は、実際にペンキ屋の息子がやった方がいい?

張江 この線引きは難しいですよね。昔のハリウッド映画では、日本人役をアメリカ人が演じてることも多かったじゃないですか。眼鏡で出っ歯でカメラをぶら下げてる「典型的な日本人」をアメリカ人がやっていて、それを今見ると「日本人が実際に演じた方がいい」と思う人は多いと思うんです。一方で、ペンキ屋に関しては「そこまで厳密じゃなくてもいいだろう」とも感じる。

「不謹慎」のどこに線を引くか

一色 ディズニーの「リトルマーメイド」が実写化されて、アリエルを黒人女性の俳優さんが演じたんですね。原作ファンとしては肌が白くて赤髪のアリエルがイメージにあるから、再現度が低いと思っちゃうんですけど、同じ肌の色の子どもたちはめちゃくちゃ喜んでて、一概に否定はできないなって。

張江 そもそも人魚は実在してないから、肌が何色でもいいはずなんですけどね。

大北 赤くてトゲトゲしてて、オコゼみたいな可能性もある(笑)。

一色 「原作と違う」という部分ですよね。それに準拠した配役にするのか、世間の反応を汲み取って傷つく人が少ないようにするのか、バランスを考えないといけない時期なんだなと思いました。

張江 ディズニーだったらキャラクターのバックグラウンドに合う俳優さんを見つけてくる予算も権限もあると思うんですけど、大北さんがやってる舞台だとそれもなかなか難しいですよね。アメリカが舞台だからアメリカ人俳優をオーディションするというのも、すぐにはできないわけで。

大北 小劇場で外国の人をどうやって演じるのか問題はありますね。

張江 特に劇団だと、所属している人だけでなんとかすることも多いでしょうし。

大北 バラエティ番組でも問題になってましたよね。黒塗りして黒人の役をやったことで。あれはそういう歴史があるんですよね?

張江 ミンストレル・ショーですね。黒塗りした役者がステレオタイプな黒人役を演じていたりしたショーで、現代アメリカだとブラックフェイス(黒塗り)はミンストレルを彷彿とさせるということでめちゃくちゃ批判されます。

大北 小劇場界隈は脚本と演出を同じ人が兼ねていることが多いので、違う視点が入らない時があります。「テレビとかで見たし、ここは黒く塗りましょう」とか言っちゃってそのままいっちゃう。俳優さんも「これいいのかな?」みたいな感じでモヤーッとやってしまうというのが現実によく起こってることですね。

張江 炎上したら対応も反省もできるけど、演者もお客さんも「これは笑っていいのかな?」とモヤッとしたまま終わってしまう可能性もありますよね。

大北 そういう意味では、小劇場はめちゃくちゃ危ないんですよね。

中嶋 できない表現が増えてると思うんですけど、やりづらくなったと思うことはありますか?

大北 うーん、演劇だとない気がしますが……。NHKの子ども番組に放送作家として参加したんですけど、プロデューサーたちがすごく細かく台本の言葉をチェックしてましたね。こんなに気を付けるんだなと。

一色 NHKは「まやまやぽん!」が炎上してましたよね。「マヤとかアステカの生け贄文化を面白おかしくしていいのか」って。

張江 ギャグや笑いは、そういう「不謹慎だ!」というクレームの対象になりがちですよね。

一色 でも、実際にあった文明だし、生け贄みたいな要素を抜きにしたら勉強できないですよね。

張江 一方で、本当に嫌な気持ちになる不謹慎もあるじゃないですか。ひろゆきが沖縄の座り込み抗議を揶揄してるツイートとか。

一色 あれと「まやまやぽん!」は違うんじゃないですか。

張江 うん、違うんですよ。私も違うと思います。でも、どちらも「不謹慎」という線上にはあると思うんですよね。

中嶋 二つの間に明確な線を引くのは難しいですよね。

張江 難しいけど、一線はあるはずなんですよ。越えてはならない一線はあるということは言っていきたいですよね。

大北 そもそも「こうあるべき」というものが違ったときに人は笑うので、全てが常識通りに運んでしまうと全く面白くないんですよね。常識じゃないものが見られるのが笑いの舞台ですから。不謹慎というのも、「慎めよ」という常識が外れた瞬間に感じるものですよね。なので笑いは不謹慎になりがち。。マヤ文明の死者にたいしてどれくらい慎むべきかは、ちょっとわからないですけど。

フィクションの良さは「無責任」

張江 明日のアーがはじまったのは2015年ですか。

大北 そうですね、35歳のときに。最初のころを思い返すと、本当に悪いことをしたなという気持ちでいっぱいなんですよね。脚本というものは危険だから、みんなやめたほうがいい。

一色 えー!(笑)

大北 他人に何かを言わせるというのは、ものすごく危険なことだと思うんです。

張江 ああ、他のテキストと違って、脚本は誰かが話すことが前提になるから。

大北 そうです、危ない。何年か前の公演で、「たぬきの金玉」という台詞を書いたんですね。「♪たんたんたぬきの金玉は〜」という、幼稚園児が歌うような童謡がありますよね。あれをイメージして20代の女性の方に言ってもらってかわいらしくやりたかったんですけど、女性の身体で発話すると「金玉」のところでどうしても笑いが起こる。これは別の意味が発生してるんじゃないかと問題になったんですよね。

張江 この公演は私も参加してたんですけど、そもそも大北さんはくだらないこと・意味のないこととしてこの台詞を書いてたんですね。でも、その女性はその童謡を知らなくて、シンプルに下ネタだと思ったんですよ。「めちゃくちゃ嫌なわけじゃないけど、抵抗がある」ということになって、稽古場で話し合いが持たれました。

大北 普通に考えたら、この台詞をカットすればいいんですけど、すごくいいギャグだったんですよ。たぬきにハイレグを履かせたら金玉がはみ出て困ります、っていう。

張江 意味がなさ過ぎる(笑)。

大北 違う人に言ってもらうことになりました。でも、こちらにそういう意図がなくても、女性の身体が金玉と言うことで稽古場ですでに笑いが起こると。言わされている状態でもありますよね。それが本質というか、全ての台詞にその可能性があるし。僕はフィクションの笑いが好きなんですけど、それは笑っていいからなんですよ。テレビで「実家が貧乏なんです」みたいなトークがあるじゃないですか。

張江 エピソードトークですね。

大北 そう。ああいうのは、一瞬「あれ?これは笑っていいのか?」となる。そう感じるのが嫌なんですよ。フィクションだと俳優さん自身と台詞は関係ないですよね。「おれたちは言わされてるだけだし」という。そこには一種の自由さがあって、観る方も気楽というか、「これは作り物だよね」と思える。「やらされる良さ」っていうのもあることにはあるんですよね。

張江 演じる側にとっても観る側にとっても無責任な良さがあるんですね。

大北 用意された台詞だから、スベっても俳優は傷つかないし、責任はないですから。

張江 大北さんが自分で書いて朗読するのとは違いますよね。「これはフィクションです」って言っても、お客さんは「この人こんなこと考えるのか」と思っちゃうし、責任が伴っちゃうというか。

一色 作り手の顔が見えちゃいますもんね。AKB48さんの曲を秋元康さんご自身が歌ってるところを想像すると、ちょっと……。

張江 いろいろ難しいでしょうね(笑)。

大北 「セーラー服を脱がさないで」の歌詞を、歌ってる人が書いたとしたらめっちゃ怖いですよね。

一色 怖いですね!あの曲は書いた人と歌っている人が別だとわかってないと楽しめないです。

大北 あれこそ「やらされてる感」ですよね。やらされてるところを見て楽しんでください、という。

一色 アイドルにはやらされてる感も大事ですもんね。

大北 なるほど、特殊ですね。

一色 わけもわからず一生懸命やらされてるところがいいし、でも最近は自分たちで納得しながら活動している方が気持ちよく応援できるという考えもありますし。

中嶋 セルフプロデュースのグループが増えてますよね。

張江 主体性の回復ですよ。

大北 ほー、進んでますね。

一色 でも、全部本人が主体的にやってると受け止められちゃうと、やらかしたときに守ってくれる人がいなくなっちゃうなって。主体性がどこにあるかは怪しいというか。アイドル本人が進んでやってるように見えても、そそのかした人がいるのかもしれないですし。このお詫び文は本当にメンバー本人が書いたのだろうか、みたいな(笑)。

張江 めちゃくちゃ怖い話だ(笑)。

大北 やっぱり本人性って危ないですよね。シンガーソングライターとかって、めちゃくちゃ本人性強いじゃないですか。

張江 そうですね、「今日何食べた」みたいなことまでつまびらかにして活動していくような。

大北 エッセイストも赤裸々に書けって編集者に言われるそうですし。

一色 過激な方が伝わりやすいし、広まりますもんね。

脚本を読むときの解放感

大北 やっぱり、脚本においては他人に言葉を言わせるというのが大きいですね。我々人間は言葉がほぼ全てなので。「私の言葉を言え」というのは、権力性はすごく強い。「私の人格をお前がやれ」という状態でもあります。

一色 稽古から公演が終わるまで「お前はおれだ」っていうことですもんね(笑)。

大北 それがめちゃくちゃいっぱいあるんですよ。小劇場もたくさんあるし、劇団も俳優もたくさんいる。怖い場所ですよね。だからこそ気兼ねなく笑えるということもあるんだけど。

張江 ジャイアンだって「おれの歌を聴け!」とは言うけど、「おれの人格になれ!」とは言わないですよ。

大北 空き地に舞台作ってジャイアンが劇団やってたら怖いですね(笑)。演劇は怖い。

一色 アイドルを卒業した人が舞台に出ることが多いんですけど、似てるのかもしれないですね。

中嶋 アイドル活動からスーッと演劇に入っていけるのかもしれない。

一色 私は自分で本当に思っていることじゃないと言えないタイプなので、自分たちがやっている音楽についてもちゃんと調べたくなるんですけど、メンバーみんながそうなわけでもなく、与えられたものを全うすることで生きてくるタイプの人もいますし。

張江 決められた文言を生き生きと喋れる人もいますもんね。

一色 歌は歌えるけど、自分の言葉でMCを喋るのは苦手な人もいるので。

大北 僕は他人が書いた脚本を発話するときに生き生きしたものを感じるんですよ。「やらされてる」ことの自由さですね。朝起きてからずっと、大北栄人として自分の考えたことを喋ってるじゃないですか。脚本の台詞を発話するときは何も考えなくていいんですよね。それはある種の解放感がある。

張江 俳優さんは、そこに最も気持ちよさをおぼえる人種って言うことですか?

大北 演じるということにはテクニックがありますから、それを極めるとか、上手くできたみたいな快感の方が大きいような気もしますけど、いろんな表現の中で演じることを選んでいるので、「やらされるのが好き」という人もいるかもしれない。

中嶋 「普段の自分では絶対やらないようなことを演じられるから好き」という話はよく聞きますよね。

大北 それは演技だけじゃなくてもあるんじゃないですか。生活の中にも。

一色 家でのお父さんと職場のお父さんは違う、みたいな感じですか?

大北 そういうことはありますよね。仕事だと責任が生じるけど、フィクションだと実際の責任がないから、一層解放されるというか。

脚本家の権力性は剥がれてきている

張江 いきなり脚本についての本質論というか、かなり深い話になったので、そもそも脚本をどうやって書いてるのかをお聞きしようかと。

中嶋 小説とかはいつの時代を舞台にしてもいいし、登場人物をどれだけ多くしてもいいじゃないですか。でも、脚本はどの劇場を使うか、予算がどれくらいかによって制約を受けますよね。そういった制限をどう克服するのかが気になります。

大北 はじめたきっかけは、役者さんと友達になって、この人がいたら舞台でコントができそうだぞと。

中嶋 脚本はその役者さんに向けて書きはじめたんですか?

大北 いや、そこまで決めて書いたわけじゃないですね。誰が読んでもいいようにしました。当て書きは最近の方が多いですね。

張江 「舞台をやろう」と思い立って、まず脚本を完成させたんですか?それとも場所とか枠組みを決めたんですか?

大北 場所やスケジュールが先ですね。全体の計画があった上で書きはじめたと思います。

張江 人気がある劇団だと、いい劇場を押さえないといけないから1年以上前から公演スケジュールが決まっていて、俳優も決まって告知用のチラシもあるのに台本が一行もできてない、ということがけっこうあると聞きますね。

中嶋 何をやるかはさすがに決まってますよね?

張江 構想はあるけど、いざ完成したらチラシのイメージと全然違う舞台になったみたいな話を聞いたことがあります(笑)。

大北 遅筆な劇作家の人に聞いたら、締め切りを決めるのは劇団主宰の自分だからつい遅くなっちゃうと言ってました。

張江 なるほど、上演日という締め切りはあるけど、それに間に合えばいくらでも延ばせちゃうという。

大北 これも権力性ですよね。演じる人は、台詞が全部入った状態で上手に演技できたときに自由を感じるものなので。

中嶋 早く台本がほしいですよね。

大北 最近はそれが問題になってきている感じがします。遅筆な劇団には出演しないとか、そういう情報が出回ったりとか、制裁が科されるようになってきてるんじゃないでしょうか。

張江 今までは「公演初日になっても台本が完成してない」というのも一種の武勇伝になってましたけど、それも通用しなくなってきたんですね。

大北 台本が遅いという理由で俳優さんが降板するパターンが何件かあって、公演中止になったりもしたので、空気が変わってきてます。

中嶋 権力性がだんだん薄れてるんですね。

張江 大北さんは舞台のスケジュールが決まってから脚本の構想を練るんですか?それともやりたいことが常にあって、それを脚本に落とし込むんですか?

大北 「何か面白いことないかな」といつも考えてて、それを書くというパターンですね。世の中にふわっと漂っている概念を持ってきて、ひっくり返す。「医者=真面目」というイメージがあるから、演芸の世界ではスケベな医者のコントがよくありますよね。

張江 ケーシー高峰的な。

大北 そうそう(笑)。なんかみんなが気になってる社会通念というものがあって、それをひっくり返したり、ずらしたりして舞台に上げる。そうするとみんなが前のめりで観てくれるんじゃないかと思うんです。世の中にあるささくれだったものを舞台上にどんどん送り出す仕事ですね。

中嶋 普段からメモしたりするんですか?

大北 TwitterとかSNSに書いてます。つぼ八の看板に「好きです つぼ八」って書いてあって、そういうのにずっとモヤモヤしてますね。

張江 誰が誰に向けて「好きです つぼ八」って言ってるんだよ、という(笑)。

中嶋 脚本に関してオーダーがくることもあります?

大北 テレビドラマを書いたり、放送作家として参加するときはオーダーがあって然るべきですし、舞台の台本に関しても物理的な制約が一つのオーダーのようになりますよね。俳優が何人いるとか、劇場の広さとか。ただ、社会通念があって、それをひっくり返すという大枠のゴールは決まっているので、リクエストに応えるのはそこまで苦じゃないです。そのやり口をどれだけ狭めるかということだから、割と対応しやすいというか。

中嶋 校正の仕事も予算と納期があって、たまに無茶な条件を提示されることがあるんですけど、それはそれで楽なんですよ。「この条件だとここまでしかできません」って言えるので。

張江 なるほど、「予算も時間もいくらでも使っていいから、完璧に校正してください」という方が難しいですか?

中嶋 それが一番困ります(笑)。

校正会社と芸能事務所は似ている?

大北 舞台で演劇をやっている人は、社会の問題をテーマに書く人が多いんです。今だとLGBTQや多様性とか。それも社会からの一つのオーダーですよね。そういうのがないと、あまりにも白紙すぎて、頭が疲れちゃう。

張江 全くゼロの状態からの心の叫びみたいな表現って連発できないですもんね。

大北 全く社会と関係ないような「それどうやって思いついたの?」という話はそんなにないです。「世の中にこういう問題があるから、私なりに考えてみました」という足がかりが大抵あるし、それが制約でもあるんじゃないかな。

張江 でも、最初に明日のアーを観たときには「どうやったらこんなこと思いつくんだ?」と思いましたよ。

大北 ああ、そうですよね。社会通念を繰り返しひっくり返すと、どこからきたのかわからなくなっちゃう。

張江 大北さん自身はすごくロジカルじゃないですか。SNSで話題になっている事柄があるから、それをこういう角度でずらすと笑いになる、という。でも、出来上がりだけ観ると気が狂ってるようにしか思えない(笑)。

中嶋 大手芸能事務所が絡んでくると脚本の制約が多くて大変なんじゃないかと思うんですけど、そういったことはないですか?

大北 芸能界の人と話すときに思うのは、そんなに事務所って大きな存在なのかと驚きますよね。テレビ局の人もすごく気を遣ってるんですよね。タレントさんに対しても「え!出演していただけるんですか!」ってすごく大切に扱う。部外者としてはギャラをちゃんと払えば出るんじゃないの?と思うんですけど。

張江 仕事ですもんね(笑)。でも、一方で弱小事務所のタレントやスタッフを足蹴にする人もいるわけで。

一色 芸能界ってよくわからないですよね。

張江 音楽業界や演劇業界とも違うシステムで動いてる感じがします。いろんな業界が重なり合ったベン図の部分が芸能界、というか。

一色 そこに属している人って独特のオーラがありますよね。ライブの関係者席にたまにいる、すごく日焼けしてゴールドをジャラジャラ付けてる人みたいな(笑)。なんかずっと携帯見てるんですよ。

大北 小劇場界隈で活動してる俳優さんは基本的に「演技が好きでやってます」という方々なんです。タレント事務所に所属してる方の中には、まずスクールがあって、そこで有望そうな人をマネージャーさんとかが「お前はいけるよ」みたいな感じでどんどん目をかけて育てていく、そういう形がありますね。

張江 商品というか。

大北 大人がみんなで作り上げてるプロジェクトみたいな。それは本人に自我は生まれないというか他者みたいな感じあるだろうなと。

一色 他人から求められるものを演じるのが好きな人ならぴったりですよね。

大北 そうですね。でも、プライベートの時間がどんどん少なくなっていきそうな。

張江 タレントさんとか俳優さんの自我と才能だけで勝負できるんであれば、スタッフはいらないんじゃないかという話もあるし。

大北 周りが「やるぞ!」って群がってるだけで(笑)。

中嶋 話してて思い出しましたけど、校正会社も芸能事務所に似てるんですよ。聚珍社にはフリーランスの校正者が300人ちょっとくらい所属しているんです。商業印刷の校正が得意な人、雑誌が得意な人とかいろいろいて、要はタレントを揃えてると思っていただければわかりやすいかなと。
お仕事が入ってきたときに、「これはあの人に任せよう」と案件を振っていくんですけど、会社として推したい校正者もいるんですよ。

大北 おお、校正にもそういうのがあるんですか。

中嶋 はい、「今度入ってきたあの人を育ててみよう」みたいな。多めに案件を振ったりしますね。ちょっと背伸びした内容でも任せてみたり。

張江 若手校正者にとっての大仕事があるんですね。

中嶋 自分の場合は、最初にお客さんとの交渉から全部任されたときは「がんばろう!」と思いましたね。一つのチームのチーフになるので、みんなが働きやすい環境にしたりとか。

張江 校正者さんの数は増えてるんですか?

中嶋 規模自体は変わってないです。コロナ禍で売り上げは落ちましたけど、また戻ってきました。優秀な人材はどんどん入ってきてほしいですね。聚珍社がやってるわけじゃないですけど、スクールもありますし。

張江 ビジネスモデルが芸能界と一緒だ(笑)。

中嶋 そんなに怖くありません(笑)。

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