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私の自己肯定感の低さは、どこから?

書くことがまとまらない。と、前の記事で書いたけど、
書きたいことはたくさんある。って、これも書いたか。笑

多分、小出しにしていくのがいいんだと思う。
といいつつ、全然まとまらなくてやっぱり長文になっちゃうけど。
どこかに書き出しておきたいんだ。親には絶対に見られたくないけど。

ということで、今回はこんなタイトルの話を書いていきたい。

多分私は、自尊心はわりとある。気がする。
けど、自己肯定感は低い。

文字のまま「自分を肯定できるか」でいえば、
自分の考えや行動を肯定できることもまあ、ある。
けど、"自分の存在を肯定できるか"といえば
私は「自分なんて生きている価値がない」と思ってしまうことがある。

私は意外と、いい子だ。笑笑
道端のお花を見て、幸せを感じることもできるし、
天気がいいだけで気分があがるし、結構いつも笑っている。
(周りに言われすぎて、客観すると言いたくなる笑)
知らない人とも結構話せる。
我ながら、わりと上手く話せるので、コミュ力高いなと思うときもある。
(思うときも,ね。)
だからまあまあ自尊心は持ち合わせてると思う。

なのに、「生きてる価値がない」と考えてしまうことがある。

もちろん、普段から生きてる価値なんてもんを考えているわけでもない。
「コミュ力高い私は生きてる価値があるな~」なんてわざわざ考えない。
(献血のあとだけ、「こんな私でも人の命を救うことができるのかも!」って思って、
生きてる価値あったわ〜と思っちゃうけど笑)

じゃあどういうときに「生きてる価値ないわ」と考えるかといえば、
自分のダメさにぶつかったとき。
たとえば、努力したいのに怠惰してしまったときとか。
あとは、人生うまくいかなくて、
その理由が実家のこと、私の家庭環境が原因だったとき、とか。


私はわりと普通に育ててもらった。
好きな音楽、楽器をずっとやらせてもらっていたし、大学まで行かせてもらった。
だから親のことを悪くは言いたくない。
ただ、私の性格が繊細すぎるのと、怠惰なのと、
母は私と真逆の性格なこと、父の嫌なところが自分にもあること、
ひとりっこで親戚も少ないこととかのせいだと思う。


もう少し深く、「生きる価値がない」なんて思考が根付いたきっかけ。
病んだ時に出てきてしまうきっかけを考えてみる。

主に3つあると思う。
①両親の不仲 ②母との関係 ③父との関係
以下、ちょっと言語化してみるけど、あまりにも長くなってしまった。

①両親の不仲

思い返せば、家族3人で夏はプール、冬はスキーに行った記憶がある。
どちらも、両親ともにできたが、私が習ったのは父かな。
母はその様子を見守り、写真を撮ったりしてくれていた。
2人は旅行会社で出会ったのもあって、海外旅行に行ったりもした。
特別母と父が仲良かった様子は思い出せないけれど、
そういう、普通の家庭な部分もあった。昔は。

同時に、母と父はよくケンカをしていた。
厳しく、口も強く、感情を爆発させて怒る母と、
その原因が父にあることから強く言えない父だった。

少し前にカウンセリングを受けた際にこんなことを言われた。
「親は子の幸せを願うというけど、実際は子どもの方が親の幸せを願ってるんだよね。」

本当そうだと思う。
私は二人に幸せでいてほしかった。仲良くいてほしかった。
父も母もそれぞれに良さがあって好きだったから。
母が厳しいのは愛情故だとわかっていたし、
父は温厚で優しく、こわい母の逃げ場的な役割もあった。
ちいさいながらに間に入って、仲を良くしたいと思っていた。

でも、それは特段なんの意味も持たないことだったと
しばらくして悟った。
仲はよくなるどころか悪化するばかりで、
たった一人の娘がこんなに必死になって大人をなだめようとしても
何の意味もないんだ。と悲しくなった。

これが「私は生きている価値がない」の理由のひとつ。


②母との関係

母は上記の通り強かった。
一方の私は、昔からめんどくさいことは後回しにしてしまう子だった。
つい楽しいことを先にしてしまったり、だらだらしてしまったり。
夏休みの宿題はいつも最終週まで残っていた。
本当にたくさん母に叱られた。

でも、それでいいなんて全く思っていなかった。
自分自身でも"ちゃんとした人"になりたくて、
「7月中に宿題を片づけて、8月はめいっぱい遊ぶぞ!」って
本気で毎年計画を立てていた。
けれど、それが達成されることはなかった。w

大好きな母を怒らせてしまうことも申し訳なかった。
母の言うことは至極真っ当だったので、反発なんてしなかった。
(言い訳はした。当人にとっては原因を述べたいだけ、反省から言っていたけど、それで余計に怒らせた。w)

本当に怒らせた。
「なんでいつも怒らせるの!」みたいなことも言わせてしまっていたし、
自分でもそう思った。布団の中で自分を責めた。
私は母を怒らせる存在。またダメなことをしてしまった。
反省しているのになぜまたやってしまうのか。

「私は母を怒らせてしまうダメな子。迷惑をかける子。」
そう思った。


もう少し書くと、怒られたとき、家の外に出されるということがあった。
私は見捨てられるようでとても怖かった。
「お願い、出さないで」と泣きながら、腕を引っ張られて家を出された。
もしくは「じゃあ私が家を出る」と言われ、それはそれで心底いやだった。

母としては「こうでもしないと反省しない」と言う考えからだった。
反省はしていたのに…でも繰り返してしまっていたんだから、そう思われても仕方ない。
(正直、それをしても繰り返されてたんだから効果ないって思わないの?
他の手段を考えなかったの?手段として罰しか浮かばなかったの?
というかこれは一歩間違えればネグレクトでは?と思ってしまうが。)

実は、母も祖母(母の母)から同じような扱いを受けていたらしい。
でも、母は私とは違って「出て行ってやるわ!」という気持ちだったらしい。
母は怒られるのが嫌だから、それでいい子にしようとなったらしい。
……いや私もそういう気持ちはあったし、
全く違う反応をしているんだから、「自分もされたから」ではなく
私自身を見てほしかったな。

少し前までの彼氏と喧嘩したとき、
彼が「頭を冷やしたいから/一緒にいない方が良さそうだから外に出るね」というのを
全力で阻止しようとしてしまう自分がいた。
いろいろ振り返った今、あれは完全に子どもの頃のトラウマ的な感じの反応だなと思う。


③父との関係

一方父との関係は、わりと良好だった。小学校中学年くらいまでは。
父は本当に温厚で、母に怒られているときは「早く帰って来て!」と思っていたのをよく覚えている。
転職したあとの父は帰りが遅く、そう願っても助けられた記憶はイマイチない。

途中から、自分の嫌なところ=怠惰なところが父にもあることに気づいて、
自分の嫌なところなので、そりゃ父のそれも嫌だった。
母に怒られているところもそんな部分だったし、
母に怒られまくる姿は頼りなかったし、
次第に金銭面にも問題があってそれが不仲の大きな原因だと知ると、
自分も嫌うようになった。

(がんばって働いてくれていたのに、と今一瞬思ったが、
「こんなに金銭的に苦しいのだから、やりたいことよりも稼げることをやってほしい」という母の言葉がよぎる。
人に話すと「母親が稼げば?」と言われてしまうが、母は母で、
ひとりっこの私に寂しい思いをさせないようにしてくれていた。
なんなら私も、さみしいから近くにいてほしいと思っていた。)

そのほかにも、怠惰なことで太っていたり、社交性にかけていたり、
思春期の女の子と言う意味でもそんな姿は嫌だった。

あとは、どんなに私が父の体のためを思って訴えても、たばこをやめてくれなかったこと。
(母が周りのできた友達と私を比べるように)周りの友達のお父さんは
子どものために禁煙したのに、私の父は、
父の健康を祈る娘のためにも辞めてくれなかった。
副流煙の方が問題なのに。

あとは、父は私の活躍に無関心なようだった。
私だけ様々な楽器を任されているのを見て「すごいな!」ではなく「なんでいちごあいすだけウロウロしてたの?」だった。
まあこれは音楽に関心がない父だから仕方ないのかもしれないけれど、
その後の部活動の活動にもまったく無関心そうだった。
……やっぱり、無関心って結構悲しいんだよな。
その分この点は母が本当に支えてくれていたけど。

まあでも一番はやっぱり煙草の件かな。
煙草依存を脱するのが大変なことくらいわかっている。
今思えば、父も父で仕事のストレス、家庭のストレスがあって、
まあ難しい気もする。
でも、私が生まれる前に亡くなった父の父は、
肺がんによって亡くなっていた。ヘビースモーカーだった。

「愛してくれている娘のためでも禁煙してくれない。
私は無力な存在なんだ。」そんな風に考えるようになった。

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原因がわかった。
あとは、この傷とどう付き合っていくかだ。

最初にも書いたけど「私に生きる価値はない」なんて、
病んでいるときにしか基本的に浮かばないけれど、
でもやっぱり結構厄介な考え方だ。

自分を大切にできない扱いをしてしまっているなと思うことがたまにあって、
多分その根本はこの考えなんだろうと思うから。

まだまだ旅の道中。
なかなか人生が上手くいかなくて、モヤモヤすることも多いけど、
健やかに、幸せな人生を目指していきたい。


こうやって書きだすと、ちょっと辛いから、今日はここまで。
まあ、大丈夫。私はそこまでだめな人間でもない。
だって今日も、キレイなお花に感動できたしね。

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