別れ

「ほら、小学一年生の頃に合った感性が六年生になって合わなくなるみたいなさ。」

オタク同士としてSNSで知り合って5年程、ハマったジャンルは一切被らなかったけれど趣味嗜好や考え方の一致から随分仲良くしていたフォロワーがいた。
泊まりがけで遊びに出かけたり、住みが離れていても会いに行ったり、それこそ今後旅行予定やイベント予定が何件も入っているくらいには“フォロワー”を越えて仲の良い“友人”だと思っていた。
私がX(旧:Twitter 以下Twitterする)廃なのに対し彼女はTwitterを初めとする不特定多数に向けたSNSにあまり執着は無く、本当に仲がいい人間とはLINEで繋がっているからそれでいいというスタンスであった。

最初に違和感を感じたのはTwitterアカウントの削除だった。普段であれば「FFの数が減っていたら私です」と発言するはずの彼女がなんの前触れもなく全アカウントを削除していたのであった。もしかしてと思い、Instagramを確認したところ、そこはまだ残っていたものの不穏に感じていた為、「もしかして私の事は苦手になっているのではないか。もしそうであるとすれば宿泊は辛いのではないか。もしキャンセルであったとしても怒らないし、私の思いすごしであればそのままでもリスケでも全然構わないので月末の旅行とそれ以降の予定はどうするかだけ教えて欲しい。」という旨の連絡を送った。
返信は直ぐに返って来て「あなたの事は苦手でも嫌いでもない。そこに嘘偽りは無いし、月末の予定もそのままがいい。ただ持病等々でその後の約束は確約できない。」との事だった。

先に擁護しておくのだが、彼女はとても聡明で誠実で、そして友人を愛しすぎてしまう人間である。決して不誠実で厄介な人間でないと私は認識している。
また、持病の事も以前より聞いていたので旅行なんてどうにでもなるので元気になったらまた遊びに行こうと返信をした。
が、それ以降既読が付くことは無かった。

他の用事が立て込み1日返信が空いてしまったからだろうか。それとも彼女自身体調が悪く返信を見ていないのだろうか。一抹の不安が過り、彼女のInstagramのプロフィールをチェックした。

そこには「投稿がありません」の文字と非表示のFF。

ブロックされていたのだ。

慌ててLINEを確認してもやはりブロックされている状態。

たった一日で一体何があったのだ。

とにかくホテルの予約や月末の旅行に際して店を予約しているので前日まで行くと言っていたのでキャンセルをしていいのか分からず何とか連絡手段を見つけ通話まで漕ぎ着けた。
普段ならこんなに深追いする事は無いのだが、店側にも迷惑がかかるし何より集合時間も決めていた為待ちぼうけを食らうのも……と思い追い回してしまった次第である。

何度も追い回すような真似をして申し訳ない事、もしも、もう会う気が無いなら先述の様にキャンセル等々の話がしたい為思いを聞かせて貰えないだろうかと伺ったところ、前日に「予定はそのままで」と言ったのは嘘でもう既に行く気は無かったとの事。
どんなにこれまで仲良くしていても時間が経つに連れて人間への価値観が変わる事を話され彼女との縁はそこで終わりになってしまった。

たった5年間、されど5年間。

私は彼女に対して恋愛感情等は一切無いものの、一番大切な友人と思って過ごしてきたつもりだった。
私がお気楽に過ごした5年の間に彼女は一体どれだけ私に譲歩してくれていたのだろうと考えるとやるせなさと切なさで思わず通話中に涙が溢れてしまった。

大切な人は、繋がり続けたい人はLINEで繋がっているしねと言っていた彼女。そんな私をブロックしたいくらい耐え難かった彼女が最後の最後にブロックを解除して誠実な彼女らしく文字ではなく通話で対応してくれた事にそういうところが本当に本当に好きだなと思いつつ投げられた「ほら、小学一年生の頃に合った感性が六年生になって合わなくなるみたいなさ。」という言葉が深く刺さってどうしようもなかった。

絞り出すように出した「私からLINEブロックはしないからいつか気が変わったらまた連絡してよ。」

という私の言葉に「ああ、うん。」と感情の無い返事が返ってきた事で私達が言葉を交わすはこれが本当に最後なんだと嫌でも悟らさせられた。

ねえ、大好きだよ。無神経に沢山傷付けてごめんね。またあの頃みたいに一緒にバカやれる日が来るのをずっと待ってるよ。



誰にも言えないからここに書いてしまった。
あらゆるものを見る度に一緒に過ごした日々を思い出してしまう。
人に癒着し過ぎたり物に執着し過ぎるのは良くないは何度も何度もこの人生で学んできたことだけれど、それでも友であれなんであれ特別だと思ったものを大切にし過ぎることがやめられない。

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