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『暇と退屈の倫理学』(感想と要約)

暇と退屈の倫理学 (新潮文庫) https://amzn.asia/d/1qibuo2

本日は『暇と退屈の倫理学』という本を読んだので、アウトプットも兼ねて感想を紹介したいと思います。

まずはこの本の概略としては、暇とは何か、退屈とは何かという問いの答えと、これらの問題点と解決策、そしてこれからの生き方を示した本だと感じました。 

現代の人間は3つの退屈を生きているといいます。

1つ目の退屈は、何かによって退屈をさせられる退屈です。

2つ目の退屈は、退屈と気晴らしの絡み合った退屈です。

3つの退屈は、絶対的な退屈です。

そして現代の人間は2つ目の退屈を主に生きています。

どういうことかというと、現代は豊かになりました。だから人間に暇な時間がたくさんできました。

しかし、人間はその暇な時間を過ごすことが耐えられないのです。退屈になってしまうのです。

そのため、人間は退屈を凌ぐために気晴らしをしたいと考えます。

しかし、その気晴らしというのはさらなる退屈を引き起こします。

なぜなら、人々は消費社会を生きているからです。
消費社会では、生産者が作り上げた気晴らしを消費者は消費するだけで、決して消費者は満たされることはないのです。

だから、いくら消費しても退屈感は消えないのです。

これが2つ目の退屈の状態です。

気晴らしのために映画を見る、パーティーに行く、本を読む、だけど何となく退屈である、という状態です。

そして、その退屈の状態が耐えられなくなったとき、人間は、3つ目の退屈の状態になります。

3つ目の退屈の状態とは、絶対的な退屈感です。どんな気晴らしをしても無意味と感じるような退屈です。

そんなとき人間はどうなるのかというと、動物的になるのです。

動物は退屈を感じると思いますか?真意はわかりませんが多分感じないと思います。

なぜなら、動物は規則に則って繰り返し同じことをする機械のようなものだからです。

AをしたらBをして、BをしたらCをするといったことをひたすら繰り返しているのです。

ここから分かることは、人間と動物とでは、生きている世界が異なっているということです。

これを環世界(umwelt)といいます。

環世界とは、ある生き物が特定の感じる世界のことです。

人間にも環世界はあり、一人一人、そして1人の中でも時間によって環世界は移り変わっています。

人間と動物の環世界の唯一の違いは、動物は一生同じ環世界を生きますが、人間は簡単に環世界を移動できるということです。言い換えれば、人間は環世界を形成することができるということです。

だから、動物のように一つの環世界に夢中になれば、退屈感は一時的に無くなるということです。

しかし、人間は環世界を簡単に移動してしまいす。だから、退屈がすぐに生まれてしまうのです。

では、どうすれば良いのかと言うと、その退屈をうまく処理する方法を身につけようということです。

絵画を見るにしても、食事を味わうにしても、最初は気晴らしのために行っていても、それを続けていくうちに、そのことを考えたり、ハマったりします。そうすることで一時的に退屈の状態から抜け出ることができます。

この状態が大切なのだと思いました。

以上です。ありがとうございました。




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