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「螺旋の映像祭」の為の公開往復書簡.2

これは写真家/美術家の本藤太郎と音楽家の宮田涼介が、2020.10/10に逗子市で行われる「螺旋の映像祭」に提出する作品を制作する為に行っている公開往復書簡です。

※前回はこちら

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何故「中立」を求めていたのか?

本藤さん

公開往復書簡、僕自身も初めての試みなので胸を躍らせています。
この返信を書いているまさに今、物書きと空想が好きで、自分の夢想をひっきりなしにノートに書き綴っていた小学校時代の日々を想起しています。

本藤さんのお手紙を拝見し、書きたいこと・話したいことは山ほどあるのですが、全て書こうとすると取り留めがなくなってしまうので、なるべく要点をまとめて書くよう心掛けます(笑)。

さて、本藤さんのお手紙を読んで、最も「ハッ」とさせられたのは、「完全な意味での中立は存在し得ない」という記述です。
確かに、完全に「中立的な人」というのは存在し得ないし、中立を体現する芸術というのも、僕自身が未だ想像出来ていなかったことに気付きました。
(思い起こせば、僕自身が今まで制作してきたアルバム・楽曲、また昨年の逗子アートフェスティバルで展示した作品一つとっても、中立的なものなどありませんでした。)

にも関わらず、僕はいつの間にか「中立」を望んでいました。
この、本来存在し得ない筈の「中立」という立場を、なぜ自分が望むようになったのか。それについて想いを馳せてみました。
結論としては、「ネット依存の副作用」と考えました。
もともと自分は、音楽制作を始めるよりもずっと以前、高校進学以降(2005年頃)は重度のネット依存でした。
当時は、新しい環境で友人関係を築ける積極性が無く、自分の居場所をパソコンの液晶画面に見出していたのです。
大型掲示板の閲覧・書き込みを日常的に行い、その頃からネット上における「人vs人」の対立を何度も目の当たりにし、僕自身も見えない誰かと対立したりもしました。
「炎上」という言葉が当時あったかどうかは記憶にありませんが、誰かが放った一言に対して周囲が寄ってたかって集中砲火する、或いは揉み合いになるという事案は、今に始まった話ではありませんでした。

2010年にTwitterを始めて、僕自身のネット生活が更に彩られることとなります。
著名人らが進出する前の、Twitter黎明期は言うなれば「性癖博覧会」でした。主要なユーザー層は僕を含めて所謂「オタク」に形容される人々で、皆思い思いにそれぞれのフェチズムを余すことなくアピールし、下ネタ上等の拡散の嵐で、毎日がお祭り状態でした。
その頃から、今で言う「炎上案件」はあったのですが、当時の自分はこうした炎上案件を、一種のゴシップネタとして楽しみ、どこかで炎上する度に加担していたのでした。
(具体的な内容は、ここで書くと話が大きく脱線してしまうので控えますが、もしご興味があれば詳しくお話しします。)

そんなお祭り状態が一変したきっかけは、やはり「3.11」だったと思います。あれ以来、TwitterをはじめSNSユーザーが良くも悪くも真面目になった気がします。
あれほどの大惨事でしたし、自分のフォロワーにも安否不明の方が居たので、おちゃらけ続ける方が無理でしたが(ちなみにその方は無事でした)。
あれ以来、社会・政治・労働のあり方など、SNS上で真面目な議論が交わされる機会が増えた気がします。

そして、今回のコロナ禍です。

ネットに限らず、今までの「普通」がこんなにも脆く崩れるとは思っても見ませんでした。こんな真夏にマスクを決め込む日々が来るとは…。
Twitterのトレンドは、嘘か本当かも定かではない情報が飛び交い、至る所で誹謗中傷。「ネットリテラシー」という言葉は以前からありましたが、ネット社会の治安悪化に僕は辟易していたようです。
自粛派、経済優先派、行き過ぎた自粛警察、クラスターフェスで馬鹿騒ぎする人々…ここ日本でもコロナをきっかけに分断が進んでおり、やはり人間は分かり合えないものだなと思わざるを得ません。
僕自身、あちらこちらで巻き起こる議論に加わる熱量がもうなくなったのだと思います。だから、どちらにも属さない中立という立場を望み、分断化社会の当事者となることを避け、殻に篭ることで自分を守ろうとしていたのかもしれません。
嫌なら見なければ良いと思いつつ、ふとした瞬間にもパソコンを開いてしまう自分は立派なネット依存なのです(笑)。

僕は、本藤さんの言うところの「村的メンタリティ」に属する人間で、黎明期のTwitterは、村的メンタリティに属する人々の集合体だったと思うのですが(少々語弊はありますが)、いつの間にかネット社会も限りなく都市型に近くなってきており、適応出来ていないのかもしれません。

長々と書き連ねましたが、自分が中立という幻夢を望んでいたきっかけはこんな感じです。
存在しないはずの中立が存在するとしたら、どんな景色になるのか。そして、芸術にそれが体現可能なのか…?
「中立的な人」というのは、もはや人間ではないでしょうね。神様か何か…?(笑)
言い方を換えれば、「人間らしくあることを拒んだ人間」でしょうか。
僕は以前、「かろうじて人間」という名前のバンドをやっていましたが、まさに僕はかろうじて人間なのかもしれません。

僕も明確な答えが出せていないまま延々と筆を進めているので歯痒い思いもありますが、今回「中立」や「見学希望」というキーワードを持ち出したのは、人間らしく生きていくことの熱量を失いかけていたからであり、自分の場合、その背景にはネット依存があったことに気付きました。

これ以上書くと取り留めがなくなりそうなので今回はこれくらいにしておきますが、何かヒントになり得るものはあったでしょうか?

お返事心待ちにしております。

宮田涼介

photo by 本藤太郎/Taro Motofuji a.k.a Yes.I feel sad. from 〈Ghost Note〉

※次回はこちら


本藤太郎/Taro Motofuji a.k.a Yes.I feel sad.

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逗子生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒。カメラマンとして撮影現場を奔走する傍ら2016年より美術活動を開始。写真作品を中心に舞台やインスタレーション、楽曲や映像等を制作し国内外のアートフェアや地域アート等で発表している。 ZAFには2013年の「逗子メディアアートフェスティバル」の頃から雑用として関わっており、2017年には作家として参加。基本寝不足。
https://www.yesifeelsad.com/
https://www.instagram.com/taromotofuji/?hl=ja

宮田涼介

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神奈川在住の音楽家。ピアノ楽曲や電子音響作品を中心に、国内外でアルバムを発売。また、カフェやWebコンテンツでのBGM制作、シンガーへの楽曲提供・編曲を行う。
http://ryosuke-miyata.com/
https://www.facebook.com/ryosuke.miyata.music/


2020年10月10日(土)「螺旋の映像祭」開催!
逗子文化プラザ さざなみホールにて
https://note.com/zushi_art_film/n/n502ed347ee86

逗子アートフェスティバル公式ウェブサイト
https://zushi-art.com/

▼今後の逗子アートフィルムの予定
逗子アートフィルム 沖啓介 現代美術オンライン特別講義
第1回「ウェットウェア、ドライウェア」
8月22日(土) 20:30~22:00
https://artfilm-oki1.peatix.com

第2回「アートが神経を持ったら」
8月29日(土) 20:00~21:30
https://artfilm-oki2.peatix.com

第3回「月は最古のテレビ」
9月5日(土)20:30~22:00
https://artfilm-oki3.peatix.com


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