そういう所がたまらなく好きなの、と言ってほしかった。
中学時代はZARD一辺倒でした。
中学の卒業祝いにZARD25周年アルバムを購入して以降も数年間ZARDばっかり。いつでもどこでも聴いてました。
好きになったのはいつだったのか分かりません。小学一年生の時、坂井泉水さんが亡くなってとても悲しんだ覚えはあります。中学の時にラジオで「突然」を聴いて急激にのめり込んだような記憶もあるような無いような(捏造かも)。
なんであんなに夢中だったのか。
曲も声も大好きでしたが、特に詞にのめり込んでいました。今考えれば、誰かに強く思われる事、誰かに受け入れてもらう事に憧れていたのだと分かります。
誰かにこんな感じで受け入れて欲しかった、誰かともっと深いところで繋がりたかった。友達いっぱいいたし家族仲だってその頃は良いと思っていたけど、どこか違う気がしていた。
皆が見ているのは俺じゃなくて俺が出した成果だけな気がして虚しかった。もっと俺を見て俺自体を受け入れてほしかった。
その欲望を埋めるために、歌詞に出てくる「君」とか「あなた」に自分を重ねて、少しでも存在を肯定されてるエキスを得ていたんです。中二だぁ。でもよく耐えた。
「誰か」に存在の肯定を求める事は永遠にその虚しさを解決しない、と気づくまでその後数年かかりました。
今では全く聴かないか、と言えばそんなことは無く、月に1回くらいチキチキぼっちZARDのど自慢大会を開催しています。
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