ワンチャン許せない話(前編)
どうしてもNODA・MAPを観に行きたかったのだ。
今年の「兎、波を走る」に我が推しが出る。
だがわたしの住んでいる地域では上演がない。
東京、大阪、博多、そのどこかに行かなくてはいけない。
行かなくてはいけないというより行くのだ、という強い気持ち強い愛。
だがそこで問題になったのはわたしの膝だった。
実は昨年秋からずっとうっすら痛かった。
若い頃にきちんと習いもせずやみくもにスクワットをしたせいで
わたしの膝のお皿は角が潰れた楕円形になっていた。
20代前半にして堂々「変形性膝関節症」患者となったのだ。
若いうちは膝まわりの筋肉を鍛えてお皿をカバーすれば大丈夫だった。
発症後しばらくリハビリをしたら痛みもなくなり、いつしかわたしは自分の膝のお皿が膝を受け止めきれていないことなんぞ忘れてしまっていた。
そして年月は流れ「変形性膝関節症」は突然牙を剥いてわたしに襲いかかって来た。3年前のことだった。
普通に歩いていて階段を一段のぼった瞬間「うっ!」と声が出るほどの激痛が走った。
すっかり自分のお皿が変形していることなど忘れていたので、わたしは真っ青になって整形外科に行った。
そこでレントゲンを撮られてようやくわたしはあの病名を思い出したのだった。
「ほら、ここ、軟骨がすり減っちゃってギザギザ」
「この骨と骨の隙間がほとんどないでしょう」
「水も溜まってるし」
同年代であろう整形外科医はわたしに淡々と告げた。
「加齢、運動不足、体重過多」
原因はお皿だけじゃなかった。いらないそんな三種の神器。
とにかく治療の甲斐あってその後膝の痛みは治まり、わたしに平穏な日々が戻って来ていた。
はずなのに。
昨年の秋、今度は左膝にうっすら違和感を感じ始めた。
立ち上がった時に痛い。歩き出しがつらい。でも数歩歩くと痛みがなくなる。
この「痛みがなくなる」というのが我ら不精者には大きなアドバンテージになる。
とにかく痛くなければいいのだ。
面倒は後回し。明日やれることは今日やるな。
その考えが骨の髄まで染み込んでいる。きっと膝のお皿にも染み込んでいる。
そんな騙し騙しの日が続いて、あれ?ちょっと痛みがひどいな膝が固まってる感じがするなあ、と気がつき始めてからは坂道を転げ落ちるかのようだった。足だけに。
あっという間に階段の上り下りが手すりを持たないとできない、痛くて小走りも無理、になり、3月にはとうとう激痛で左足を引き摺りながらでないと歩けない状態になった。
そしてその頃、NODA・MAPの日程が発表になった。
はいお待たせしました、やっとここでNODA・MAPの登場です。
公演は6月末東京から始まりその後大阪、博多と移動する。
7月は仕事がハードなので狙いは6月末!
とそこまで考えて、まさかこの一歩ごとにうぉぉぉ…とうめく状態でバスに乗り地下鉄に乗り新幹線に乗って東京に行けるのかいや行けない、ということに思い当たった。
やばい。
でもまああと約3ヶ月、それだけあれば膝の痛みもおさまるんじゃなかろうか。
わたしはすぐ整形外科に予約をした。
おなじみのレントゲンを撮った。内科で胸に聴診器を当てるのと同じように整形外科といえばレントゲンだ。
どのあたりが痛いですか、と聞かれ、わたしはここですとピンポイントで答えた。とにかくそこが痛かった。
今までの変形性膝関節症の痛みと今回はそこが少し違っていた。
膝の骨と脛の骨がジョイントしてるあたり、というか、腓骨と脛骨のくっついてる少し下あたりというか、腓骨がくいっとカーブしているあたりというか、膝というより脛の上の方の外側の一箇所がピンポイントで痛い。説明が長い。そしてわかりにくい。
「激しい運動とかします?」
整形外科医は答えがわかっているのに確認しなくてはいけない時の顔をしていた。
「いいえ、まったく」
わたしの答えを聞くとそりゃそうだろうという風情で彼はうんうんとうなづいた。
「ここがね、白ーくなっとるでしょう?こうこのあたりもやもやーっと。こういうふうに写るのは疲労骨折か、可能性はものすごく低いけど腫瘍かなんですわ。まずは炎症反応が出てるか血液検査してみましょう。結果が出るのが来週なんで、1週間痛み止めで様子見て」
1週間、毎朝痛み止めをしっかり服用した。ブラッシュアップライフであーちんが言ってたことを守りきちんと水で飲んだ。
驚くほど痛みが薄れた。
歩くたび絶叫するほどの痛みはなくなった。
でもまったく痛くなくなったわけではなく、やはりピンポイントで痛い。
立っているだけでズキッとしたりもする。
そんな1週間を過ごし、再びわたしは整形外科に行った。
痛み止めのおかげか痛みはだいぶ薄れたと伝えると、整形外科医はうんうんとうなづいた。
「血液検査の結果も炎症反応出てませんもんで、まあ疲労骨折でしょうな」
「まったく身に覚えがありませんが?」
「そういうこともたまにあります」
そういうもんなのか。
「まああとは体重を減らし」
そのあとはよく聞こえなかった。
その後ひと月、痛み止めと湿布で過ごすことになった。
痛み止めは2週間分しか出なかったので、毎日飲むわけにはいかず、我慢できそうな日はなるべく飲まずに過ごすことにした。
激痛の時に薬がなくなってたらと思うと怖くて飲めやしない。わたしはいつでもどんな時でもまず最悪の事態を想定してしまう、根っからのネガティブ気質なのだった。
ひと月経ってもわたしの疲労骨折はまったく良くなる気配がなかった。
相変わらず痛い。通院前となんら変わらない。
湿布はまったく効果を感じなかったが、毎日貼った。
3日でかぶれた。
もうこの頃には普通にずっと痛かった。寝てても脚の角度を変えるだけで痛くて目が覚める。寝返りもうてない。脚を曲げても痛い伸ばしても痛い。
もう何をしても痛い。
わたしがしょっちゅう「いたっ!」と叫ぶので、一緒に寝ている猫まで寝不足になったようだった。
これは本当に疲労骨折なのだろうか。
いくらわたしがババアだからと言ってこんなにかたくなにくっつかないものだろうか、骨。
そんな不安を抱えたままNODA・MAPの東京公演の抽選申し込みが始まった。
日帰り限定だと行ける日がかなり限られてしまうので、とにかく申し込めるところには闇雲に申し込んだ。
そしてすべて返事は「ご用意できませんでした」だった。
す・べ・て!
どんだけ申し込んだかもう覚えていないほど申し込んだのに、すべて!
ご用意してもらえなかった。
NODA・MAPは当日券出るからと、あきらめないでと、推し仲間は声をかけてくれたけども、この脚の状態で当日券の列に並ぶ勇気はなかった。
というより、もうこの時にはもし当選したとしてもこの脚で行ける気がしなかった。
二次抽選にも一般発売にも一応トライしたがやっぱりご用意されなかった。
そしてそのことに少しホッとしていたのも事実だった。
だってそれくらい痛かった。
強い気持ち強い愛があっても痛いものは痛い。
ようやく次の整形外科の予約日が来た。
医者のどうですかの「どう」にかぶせるように、はっきりと「痛いです」とわたしは大声で言った。
ひと月前より痛みがひどいです何しても痛いですもう立ち上がるのも歩くのもいやになるくらいいた、のあたりで整形外科医は「ひと月経ったんでもう一度レントゲン撮りましょう」と言った。
おうおう、のぞむところだ。
わたしは肩で風を切るようにして、ひと足ごとに「いたっ」「いたっ」と発しながらレントゲン室に向かった。
前編終わり。
※ものすごく長くなった上に、タイトルまで回収までまだまだあるので、前後編にわけることにしました。
もしよければ後編もよろしくお願いします。