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あの日、銭湯で起きたこと

 私はそのとき小学二年生で、ミクロペニスで、停留睾丸の経過観察中だった。母は毎日風呂上がりに私の睾丸をチェックした。睾丸はあったり、なかったり、一つだけだったりして、母を一喜一憂させた。母の暗く曇った深刻な顔を今でも覚えている。ペニスは先端の肉襞がほんの少し小さく出ているだけで、ほぼ何もないような状態だった。親戚のおじさんは、私の声は女の子みたいだとよく言った。

 私の父方の祖父は建築業で財を成し、後半は貸家業をしていた。私の家の隣にあったボロボロの貸家には、夫婦と大学生の息子の三人家族が住んでいた。のちに母から聞かされた話では、彼らは何らかの事情で夜逃げをし、祖父は事情を知ったうえで、破格の安さで家を貸すだけでなく、電気代、水道代も肩代わりし、家具や布団も用意してあげたということだった。その話を聞いたとき、私は祖父のことを誇らしく思ったのだが、母は祖父をお人好しだと決めつけ、軽蔑していた。私はそんな母を、心の底で軽蔑したものだった。祖父亡き今、真相はもはや分からないが、単なるお人好しというだけで見知らぬ家族にここまでするとはさすがに思えない。建築業をやっていた頃の何かの縁で、この家族を匿っていたのではないか。切れ者だった祖父が、私の愚かな母にすべての情報を開示するわけがない。

 その家族は確かに怪しかった。主人は角刈りで茶色いサングラスをかけて黒いスーツを着ていた。夏でも長袖だった。奥さんは自転車で買い物に行くのだが、これは私があるとき気づいたのだが、出発前にまわりを素早く見まわしていた。多分、不審な人がいないか確認していたのだろう。
 実際、私が小学五年生だったときには、真っ白いスーツを着た男と、真っ赤なスーツを着た若い男の二人組が、その家の前に立っていて、ちょうどそこに学校帰りの私が鉢合わせたことがあった。
「ねえ、ぼく、ここにどんな人が住んでいるか知ってる」
と赤いスーツの男が私に話しかけてきた。夜逃げのことは誰にも言ってはいけないと母に言われていた私は心臓がドキドキして口がカラカラに乾いた。私が黙りこくっていると、
「ねえ、ぼくの家はどこ」と聞いてきた。わたしは自分の家を指さした。
「へえ、隣に住んでいるんだ。じゃあ、ここに住んでる人の名前知ってるよね」
「知らないです」
「そんなことないでしょ。教えてはいけないって誰かに言われてるのかな」
 ドキッとした。足が震えてきた。心の底を正確に見抜かれたことが怖かった。二度めの嘘をつく勇気はなかった。もしそんなことをしたら殴られるのではないか。私は黙り込んでしまった。すると、白いスーツの男が、
「子どもだ、もうやめとけ」と言った。
「でも、兄貴、この子は知ってますよ」と赤いスーツの男が言った。
「もうやめとけっていってんだ」
 赤いスーツの男は、私の方を振り向き、ニコニコしながら、
「ぼく、ありがとね。もう行っていいよ」と言った。

 小学二年生の頃に戻ろう。私はよく隣の家に上がって、大学生のお兄さんとオセロをしたり、将棋を教えてもらったりして遊んでもらっていた。お兄さんは夜間大学の教育学部に通っていて、将来は先生になるということだった。水球をやっているということで、大きくて逞しい体をしていた。そこのおじさんは家の中でも薄茶色のサングラスをしていたが、「このまま、うちの子になるか」と言ってよく笑っていた。おばさんは綺麗な人で、ニコニコしながらクッキーを出してくれたりした。本当に温かい人たち。

 夏のある日、その家には風呂がないことに気づいて、そのことをおじさんに言うと、近くの銭湯を使っているというので、
「銭湯ってどういうところ」と聞いていると、
「じゃあ、今日、一緒に銭湯に行ってみるか」とお兄さんが言ったので、私は大喜びした。お兄さんが母に話をしてくれて、母はしぶしぶ了承した。

 銭湯は、歩いて一五分くらいのところにあって、それなりに距離はあった。お兄さんは洗面器を抱えて、私に合わせてゆっくり歩いた。
 銭湯は混んでいた。裸の大人がたくさんいて私は緊張した。当時も体を洗ってから湯船に入るのが推奨マナーだったのだろうとは思うが、その時は皆まず湯船に入っていた。私たちも湯船に入った。広くて気持ちがいい。洗い場では背中全体に模様が入った人が体を洗っていた。わたしは初めて見たのでお兄さんにあれは何かと尋ね、お兄さんは小さな声で入れ墨というのだと教えてくれた。少しすると、お兄さんは体を洗ってくるからと言って湯船から出ていった。私は湯船の中で一人になり、急に心細くなった。

 ふと気づくと私のすぐ隣に見知らぬ男がぴったりとくっついていた。私が驚いて離れようとすると、腰に手をまわして逃げられないようにしてきた。私は何が起きているのか分からなかった。男は私の股間に手を伸ばしてきて、私のペニスの先端の肉襞をつまんだり、ひねったりしてきた。身動きが取れない。だんだん力が強くなってきて、痛くなってきた。怖くて声は出せなかった。私は男の手を両手でつかんで押し戻そうとした。男と目が合った。そのときは私は意味がまったく分からなかったので、驚きの気持ちで男の目をまっすぐ見つめた。数秒間のことだったのだろうが、私にとっては静かで長い時間だった。男は最初ニヤニヤしていたが、その後、ニヤニヤが消え、男の目に驚きの色が浮かび、男は離れていった。

 お兄さんが戻ってきて、私の様子が変なのに気づいて「どうした」と言った。私は「知らないおじさんにちんちんを触られた」と言った。お兄さんは、
「何」と私に言い、立ち上がると、
「この子にいたずらしたのは誰だ」と大声で言った。
 そして、一人ひとりに、「お前か」「お前か」と聞いて回り始めた。
 一瞬静かになった銭湯の中は「なんだなんだ」「何が起きたんだ」「やった奴は誰だ」「おれはここで体を洗っていたから違う」と大騒ぎになった。
 お兄さんは素っ裸で、狭い銭湯の浴場を歩き回って捜査した。水球で鍛えた全身の筋肉が盛り上がり、そして、大きなペニスと陰嚢がずっしりとくっついていた。今思い出すとエジプトの壁画に出てくる裸の勇敢な戦士とイメージが重なる。
 銭湯の番台が騒ぎに気づいて入ってきた。お兄さんが話すと、番台は、
「犯人が分かるまで誰も浴場から出ないでください」と言った。
 現在ならこういう展開にはならないような気がする。当時は社会の中に正義が残っていた。「てめえにそんなことする権利あるのか」「早く警察を呼べ」とまた銭湯は大騒ぎになった。
 お兄さんと番台が私のところに来た。お兄さんが
「一人ひとりの顔を見て、やった奴を指でさすんだ」と言った。
 銭湯が静まり返った。みんなが私を見ている。
「顔、覚えてない」と私は小さな声で言った。本当に覚えていなかった。
「なんだなんだ」「もういいか」とまた騒がしくなった。番台がお兄さんに「警察どうしますか」と聞いた。お兄さんは「結構です。お騒がせしました」と言った。

 帰り道、お兄さんは何も話してくれなかった。私はお兄さんに迷惑をかけた罪悪感に苦しんだ。

 その後、私はお兄さんと次第に疎遠になり、遊ばなくなった。でも私はお兄さんのことがずっと好きだったし、お兄さんが銭湯で私のために体を張って命がけで戦ってくれたことと、その勇気を忘れたことはない。銭湯の中に入れ墨の男は数人いたし、お兄さんには素性がその筋にばれるリスクもあったはずだ。それでもお兄さんは私のために戦ってくれたのだ。

 その後、長い年、私は、なぜ、私の股間を触ってきた男は、私と見つめあったとき、驚きの色を浮かべて去ったのだろう、と疑問に思っていたのだが、大人になった今では、おそらくこういうことだろうと思う。
 私の後姿を見て、男は私を女の子だと思った。そして、クリトリスを弄ぶつもりで私のミクロペニスの先端をいじった。その感触がちょうど似ていたから、男は私は女の子だと確信していたずらを楽しんだ。だが、見つめあったとき、私が男の子だと気づいた。それで男は驚いて、離れていった。

 結局、私の体は、手術の必要もなく、やがて正常範囲ということになった。驚くほど小さいままだが。
    その家族は私が家を出て東京の大学に通っている間に引っ越した。お兄さんは中学校の教師になったと母から聞かされた。
 お兄さんの立派なペニスと陰嚢は今でも私の目に焼き付いている。

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