31歳で脳梗塞と診断され、「笑って死ねるか?」と自問しつづけた2週間のこと
前提として、僕は生まれてから31歳になるまで大病をしたことがなく、持病もありませんでした。
まさか自分が「小脳梗塞」と診断される日がくるとは思いもせず、なんの因縁か大学時代には研究テーマに「小脳梗塞」を選択。その後『株式会社Sケアデザイン研究所』の代表取締役として、先端技術を用いてリハビリや介護・医療現場における課題を解決し、前進させるために研究開発に打ち込む日々を送っていました。
そうして健康に過ごした31年を経て、死の淵に立たされる瞬間は、本当に、ある日突然やってきたのです。その時僕が考えたこと、そしてこれからについて思うことを、ここに残しておこうと思います。
株式会社Sケアデザイン研究所
代表取締役 中川純希
生まれて初めて死を意識した瞬間
2021年1月26日の夜、横にならないとツラいくらいの首痛と頭痛に襲われた。とはいえ、「病院に駆け込まなければ」と感じるほどの痛みでもない。ちょっと働きすぎたかな…と思う程度の痛みだ。
けれど、いくら寝ても状態が良くならない。4日目の朝になっても痛みが続き足に力が入りにくくなったため、「何かがおかしい」と思い、ようやく脳神経外科の病院へと急いだ。
MRIを撮影し、小脳に梗塞があることが判明。
診断結果は「脳梗塞」だった。
医師の言葉にしばし絶句した後、「余命はあと何ヶ月ですか?」「いつ死ぬんですか?」と必死に問う。幸い、今すぐ命に関わるという状態ではなく、動脈が詰まらないよう薬を投与し、二週間入院をして様子を見ることになった。
脳梗塞と診断された帰り道、考えていたのは家族と会社のみんな、期待してくれていた方々のこと。脳梗塞だと伝えたら、どう思うだろうか。もし本当は余命が3ヶ月だったらどうしよう……僕を信頼して一緒にやってくれているみんなに、残された時間で報いることができるだろうか。
※脳梗塞という病気について
大学・大学院時代に小脳梗塞等で平衡感覚を失調した方向けのリハビリシステムを開発していたにも関わらず、小脳梗塞という病気について恥ずかしながら全く知識がなかったが、主治医に聞いたり、自分で調べたところによると、小脳梗塞自体で寿命が縮まることはないとのことだった。ただ、一度失われた脳の細胞はもう元には戻らないとのこと。
生まれて初めて死をすぐそこに感じながら過ごした入院中、ひたすら考えていたことは大きく2つ。
「笑って死ねるか?」ということと、
「残りの人生でなにを遺したいか?」ということだった。
「笑って死ねるか?」の問いで見つけた答え
入院期間中、何もしていないと不安になるので、頭を空っぽにするためにNetflixで『ONE PIECE』を第一話から観ることにした。
名シーンは数え切れないほどあるが、今の自分にとって作中最も心に残ったのは「笑って死を受ける」というシーン。
ルフィがグランドラインに挑戦する直前に立ち寄った街で、処刑台送りにされた時も、Dr.ヒルルクが雪山の上で「まったく!!!!いい人生だった!!!!」と銃撃された時も、ゴール・D・ロジャーが処刑された時も。彼らは、死を目前に笑って見せた。
実際に大病を患って、死ぬことに対して後悔や恐怖は思ったよりも抱いていない自分が居た。「これまでの人生を全力で駆け抜けてきたか?」という問いに対しては、確実にYesと言い切れるからだろう。「もっとこうしておけば」「あの時こうしておけば」という感情が全くないと言えば嘘になるが、「その時々の最大瞬間風速で駆け抜けてきた」という自信はあった。
後悔はない。だけど、「笑って死ねるかどうか」は別だ。
何度シミュレーションしても、死ぬ直前に笑える確信は持てなかった。
なぜ、彼らは笑えたのだろう。
「笑って死ねる状態」とは、どんな状態のことを指すのだろう?
入院期間中ずっと考えて思ったのは、一番最初にやりたいと思ったことに対して「挑戦しきれた」と心の底から思えなければ、きっと僕は笑って死ねないということだった。
「残りの人生でなにを遺したいか?」の問いで見つけた答え
この問いに対して大きな影響を与えたのが、「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり」という言葉だ。
東北楽天ゴールデンイーグルスや、東京ヤクルトスワローズなどで監督を務めた名将・野村克也氏が、よく引用していた言葉だそう。
入院10日目の2月11日は野村氏の命日で、彼の生涯について綴られた記事のなかでこの言葉と出会った。まさに、自分が死を意識したときに思い至った考えに近い。財よりも事業よりも、人を遺すために命を使いたい。
この入院期間を経て、会社のビジョンを「新しい価値基準を創造する」から「What a life it was!!!!」へ更新した。
Dr.ヒルルクの名言、「まったく!!!!いい人生だった!!!!」という意味だ。
自分自身が病気を経験し、毎日病気の悪化に怯えて過ごしている患者さんや、消灯時間を過ぎると恨み言を叫び続ける患者さんと同じ場所で時間を共にしたことで、「一人ひとりが『いい人生だった』と思えるように手助けをしよう」という覚悟が決まった。
Sケアデザイン研究所はこれまで様々な事業を展開してきたけれど、すべてのサービスは、先端技術を用いて「場所を問わず働くことができ、死ぬまで健康に生きる人」をひとりでも増やすために生まれたものだ。
「残りの人生でなにを遺したいか?」の答えは、やっぱりここに帰結した。
これから挑戦していくこと
まずは「死ぬまで健康に生きる」を実現するために、Sケアデザイン研究所が運営するオンラインパーソナルトレーニングサービス『ZENNA』で、トレーニング中の顧客の体温や血圧、心拍数、モーションデータなど詳細な健康データを自動的に測定し続けられるようにする。
入院中1日に何度も体温や血圧を測ってもらう日々を経て、自分の体が24時間で想像以上に変化していることを実感した。既存の健康管理ツールは、食事のカロリーや体重を手動で入力するものがほとんど。能動性が求められるため、危機感が低いユーザーにとっては長期的な継続が難しい。
以前から僕自身がジムに通っていたのもあり、もしトレーニング中に心拍や血圧を定期的に測ることが出来ていたら、もっと早く変化に気付けたのではないか?と感じるようになった。
僕の場合は発症したのが深夜であったことと、我慢できる程度の頭痛であったために、自己判断で医師に相談せずにいた。幸い後遺症などは残らなかったものの、治療自体は遅れてしまっていたのだ。年齢に関係なく、健康データ計測による早期診断と即座に専門家に相談・診断可能な環境が必要ではないだろうか。
ZENNAでトレーニングを受けてる時だけでも詳細データが自動測定できるように改良し、ゆくゆくは顧客に対して、パーソナライズされた食事や、質の高い遠隔医療サービスを提供したいと思っている。
また、「誰でもどこでも働ける」を実現するために、ZENNAのトレーナーは完全オンラインで場所に囚われず働ける環境を実現している。
「生まれ育った地元に帰っても仕事を続けたい」「色んな都市を旅行しながら働きたい」といった、一人ひとりの自己実現を手厚くサポートできるよう、時間や場所、年齢などの既定の枠にとらわれずに、スキルや体力のある人が好きな場所で好きな時間に働けるシステムを構築中だ。
このシステムは様々な業界・業種に適用可能だと考えていて、今後業界・業種を超えて展開していきたい。
おわりに
「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり」の後には、「されど、財なさずんば事業保ち難く、事業なさずんば人育ち難し」という言葉が続く。
つまるところは、「人を遺す」という理想ばかりを掲げていてもだめで、まずは「財をなす」=「会社で自由に投資できるお金を増やす」ことが重要であるということになる。
ここまで含めて、非常に奥の深い言葉だ。
人を遺すためにはまず、この事業を実現し成長させ続けなければいけない。
これまでの人生で「自分の限界は自分で決めたところが限界(つまり限界はない)」と思って生きてきた。ただ、それ一辺倒では持続性がないことは痛いほど理解した。これからは「遺すべきこと」に意識を向けて、生きていこうと思っている。
Voice:中川純希(Twitter / Facebook / Instagram)
Writing:ほしゆき(Twitter / Instagram)
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