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【日記】スプラ3の大会は盛り上がってないのか・XPのインフレとはなんだ?・上位勢による、マスを交えた議論おこなわる【スプラトゥーン3】


はじめに

身辺雑記

おひさしぶりです。ズンダです。暇なので文章をかきました。

※なお、誤字脱字衍字や論理の誤り、また言いたいことや修正をしたくなった場合は訂正する事を先におことわりしておく。

※この記事をかいている今日、この8月17日に於いて、メロン君が中心となりTwitterのスペース上でXPに関する議論が行われていたが、上位勢を中心とし、無名の人々がコメントで話し合いに参加する。
これこそ私ズンダが下記の記事で望んでいたものであり、本懐を遂げた気持ちである。


↓今日行われた議論のまとめ



六月末頃から身辺まわりが忙しくなり、note更新もできなくなってしまった。

Twitterのスペース機能を利用することがなくなり、自身の考えを吐き出す相手もいないので書く意欲がでてこないというのもある。

そんな私のやる気とは異なり、世間には気炎を揚げる人々が多くいる。

スプラ界隈でもとりあげてみたいことはいくらもあったが、
私の物事への関心は6月以降、別のことへ向かっており、

今までが観念的なものだとすれば現在は実務的な方面を好んでいる。

この傾向は人生のなかで何度かおとずれており、抽象的か実務かで
常に揺れていることが大事だと思っている。

それは現代の学習法でもそうだし、福沢諭吉などもいっていたが
やはり実践的でなければ身につかないし、考えもしないし、事の実態が
掴めないのである。

頭の中でもやくやしたものを金の貸し借りのように清算しようとしてもうまくいかない。

金について考えたければ金を動かした方がわかりやすいし、それと同時に簿記のような実務試験の勉強でもしたほうがいい。

物事を抽象化する意味

いっぽうで全体的な把握や統括を考えるとどうしても哲学的な思考が要る。

哲学書などを読んでいると哲学者がやっていることは「自分の世界解釈を示す」にあるとしかおもえないが、これは独見のようで然にあらず、

他人との《ちょうどいい接点》を彼等はもっており、そこから見落としている要素を指摘する藝に長けているのだ。

いってしまうと、彼等の言説は集合を上からみおろし、そこに一滴の水を垂らし、要素を一つ一つ追加していく作業である。

それによって見落としていた点が浮かび上がる、あるいは、創作される。
全体の要素が増え、その新しい点が全体に影響を与え、そしてまた誰かが上から見下ろし全体を考えることの繰り返しである。

この点に真理があるか否かは論証の巧拙や他人が理解してくれるかによる。
時代を経て、その意義が適当に解されることもあるだろう。

人文系が古典を読み、現代に復活させることがあるが、それはこの営みを指す。

古典は古典のままでもいいが、現代の才覚ある人間が読むことで活性化する。

よって、哲学者などがアウトサイダーになりがちなのは故がないことではない。

離れていなければ全体を見渡すことができないからなのである。

そのために彼等は実務が弱くなる。実務は集合内で行われる行為だからだ。

どうにか均衡、塩梅をよくしなければならない。

さて、前振りが長くなったが、ともかくまとまって何かを考える時間が今のところはない。

将来の自分のためにこの時期にはこのことを気に掛けていた、という自分宛の遺誡の如きものを少しかいておく。

note更新はこういう思いつき、浮想が多くなる。

これを読んだ人にいっておきたいが、あくまで、こういう視点もあるかという目線でよんでもらいたい。

スプラ3の不満点あれこれ—経験不足—

私は、スプラ3については今までも色々かいてきたし、動画もつくってきた。

興味のある人は適当に私のyoutubeやnoteなどを漁ってもらうといい。またスプラ2に関する記事はズンダのブログにある。

根本的に私ズンダの考えは「スプラ3しかやることないの?」で終わっている。

不満も嘆きも、別のことをやれば終わりである。ゲームをしたいのであればスプラ以外のゲームなど山ほどあるのでそっちへうつればいい。

心配すべきはスプラではなくて、自分の興味対象がスプラ以外にはないことである。

以前、ブログでも書いたようにスプラで悩んでいる人間は「視野狭窄」なのだ。

また、スプラ3がつまらない、ということを頻繁に書いている人間にたりないのはナンバリングタイトルを今まで観たことがない、もしくは知らないのではないか。

たとえば
ゲームであれば、DQにせよFFせよテイルズにせよ、映画であれば「STAR WARS」や「Back to the Future」や「Terminator」にしても、ナンバリングごとに作の出来不出来、もしくは受け取り側の好き好きがある。

もちろん、共通した評価「駄作だろ、これ」というのもある。

しかし、作品とはそんなものなのだ。毎回、面白いだとか名作だとか、そんなことはありえない。

小姑の如くうるさく騒いでいる人間は、もっと長期的に作品をみる癖をつけたほうがいい。

焦って未来を見据えたいほどの暮歯でもあるまい。
春秋に富んだ若者のほうが多いだろうに。

だがこれも「視野狭窄」、つまり、スプラ以外の作品を享受することを捨ててしまった人たちの欠点なのかもしれない

Natyu氏について—大会頻度をへらせ—


方今、話題になっているのは
Natyu氏による

「スプラトゥーンのエリア杯が多すぎるのでその価値が毀損され、誰も彼もがスプラの大会にでたり結果を残したりすることに興味がなくなっている。だから大会の回数をへらせ」

という提案である。
この提案の妥当性はわからない。

第一、スプラ3の大会はもりあがってないのだろうか?
第二にスプラ3の大会が盛り上がらないのは大会開催者達のせいなのだろうか?

減らせ、というのは
けっこうな暴論だとは思うが、希少価値をなくさぬように数を減らすというのはHermesなどのメゾンブランドが自社商品の生産数をしぼり、一定以上の顧客以外には見せぬようにしているのと同じである。

またBURBERRYがやったように売れなかった服をロハで配るわけでもなく、42億円相当の商品を廃棄処分にし話題になったが、これも希少価値を守るためである。


減らす、は有効な対策なのだろうか

これに対しての反発も当然ある。

各人が好き勝手やっている非公式大会の頻度を価値を高めるためにどうして減らさなければならないのか、というものだ。

正当な反論だろう。

大会開催者は、別にスプラ界隈全体のことなど考えてないだろうし、その必要もない。

仮に考えていたとしても「大会でスプラの魅力は増すのだろうか?」と私などはおもってしまう。。

ゲームの魅力はゲームそのものにあり、プレイヤーによって引き出されるものはゲームの魅力以上ではないと捉えているからだ。

スプラトゥーンが面白くないから大会も面白くない、それだけではないだろうか。
ちなみに私ズンダは前からいっているようにスプラ2よりはスプラ3のほうが好きであり、今までのゲーム人生からすれば、スプラトゥーンは特別おもしろいわけではないと思っている人間である。更に言うと、スプラはパチンコと同じだと思っている。

各々が自分たちの目的や楽しみのためにやっているのであり、
「界隈全体を考えろ」などというのは全体主義に等しい。

そのスプラ界隈とやらに貢献していったい何の旨みがえられるのだろう?

お金でも貰えるのだろうか。

だが、スプラにはそんなものはない。
「ほしがりません、勝つまでは」「贅沢は敵だ」といった国策標語では
やっていけないのである。

※私ズンダが思うに、それこそスプラトゥーンの上位勢やプロは
任天堂に対して償金を出すことを要求すべきである。
 以下の記事にあるように徒党を組むことでかわっていくこともある。


eスポーツ元年」と呼ばれた2018年にeスポーツが大きく飛躍した理由のひとつに、それまで曖昧だった法律が多少整備されたことが挙げられます。

特に賞金問題によって、日本で高額賞金のeスポーツ大会が開催できないのではないか、それにより日本ではeスポーツが根付かないのではないかと懸念されていました。eスポーツに関わる法律としては、「景品表示法」、「風俗営業適正化法」、「刑法賭博罪」が中心で、「著作権法」なども絡んできます。

他にもeスポーツ施設の運営問題や動画配信における著作権問題など、さまざまな法律に関わる問題が山積し、その多くはJeSU(一般社団法人日本eスポーツ連合)や各省庁、弁護士、メーカーなどの働きかけにより、クリアにされてきました

日本のeスポーツと「高額賞金問題」の法的課題 〜eスポーツと法律より


Natyu氏の提案とはどういうことなのか?—スプラトゥーンにおける《インフレ》と《デフレ》—


この話は「インフレ」「デフレ」ということではないか。


インフレとは「需要>供給」
デフレとは 「供給>需要」

ということである。

つまり、
Natyu氏の認識では、スプラの大会は「デフレ」の状態にあるということになる。

Natyu氏が望んだのは「大会を減らすことで希少価値をうみだし、スプラの大会に権威性をもたらしたい」ということだろう。

すると、「供給を減らすことで、需要が上回るようにする→需要>供給」を意図しており、

デフレ対策(=デフレを退治し、インフレ傾向にすること)」を求めていることが判明する。

また、この話における需要と供給とは
「需要は大会に興味をもつ人間であり、供給は大会数」であるといえる。

問題はこの「デフレ対策」は正しいのかということになる。

さきほど「需要>供給」がインフレと述べた。

「需要>供給」になりさえすれば「インフレ」になるのだ。

だとすればやり方は色々あるということがわかるだろう。

経済学の世界だとデフレ対策は

・大きな政府
・積極財政
・減税
・金融緩和


などとなっている。


だが、これはスプラトゥーンである。

政府日銀など存在しない。
金融緩和もできなければ機能的財政主義もとれないのである。

そこでとれる案が「大会をへらせ」であった。

ただし、これは現実社会でいうと

「シャーペンが多すぎて、どれを選んでも同じに感じる。
種類がやたらに多く、それぞれの価値に差を感じない。均質化してしまった。そのためシャープペンの数を減らしたい。そうだ、シャープペン作りをしている工場を破壊して、数を減らし、価値を高めよう」


という話であり、戦争で敵軍に供給設備を破壊された結果、戦後インフレの一要因になってしまうのと同じである。

シャープペンの種類や生産数を減らせばシャープペンの価値はあがり、値段も向上するだろう。

しかし、そこで生活している人々の暮らしは不便になるだろう。

これはシャープペンに限った話ではない。

供給があるということは我々は好きなときに値段を安く、それを楽しむことができるのだ。

スプラにおいて大会が多いということは、多くの人間がそれに参加できる、もしくは視聴する機会を得られる。

単純に供給力を減らせばインフレになるというだけでは、スプラトゥーンは盛り上がらない。

需要10:供給50→需要10:供給5⇒インフレ

この考えは需要を増やすのではなく、供給力を削って、見かけだけインフレにしただけだからである。じり貧に陥り、スプラ界隈は衰退するだろう。
需要を増やさなければ意味がない。


私ズンダは以前、スプラトゥーンについての「インフレ」「デフレ」とは何をさすのかと思ったことがある。
数年前の動画でも述べたことがあるが、この言葉、スプラ3においてたびたびみかけた。

使用例としては「スプラ3はXPがあがりやすくなった、インフレしてる」

だが、この使い方は実はおかしい。インフレとデフレとはAとBとの比較によって成り立つからである。

インフレ、デフレは日常的な使い方では

「ある国の物価が上がり(=インフレ)、お金の価値が下がっている」
「ある国の物価が下がり(=デフレ)、お金の価値が上がる」

ことをいう。

ところがスプラ界隈では「XPがあがった=インフレ」として使われることが多い。

そのXPが上がって、いったい「何が下がったのか」までをいわねばならない。

もしいいたいのであれば、「XPが上がって、プレイヤーの価値が下がった」というべきだろう。

あとばる氏について~上位勢がみんな引退したらどうか?~


この記事には基本的に同意している。

だが、解決策がXマッチの有無になっており、
これには納得できない。

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