東大の学生さんのWAISにおけるディスクレパンシーと困りごとの傾向について

(口述筆記でまとめたので、誤字が散見されるかと思います。また、WAISの結果も厳密にデータをとったわけではなく、twitterなどで流れてくる情報からデータを集めたものなので、自ずから偏りがあると思います。)

 ディスクレパンシーと生きづらさの関係性についてちょっと考えてみました。まず最初に言っておかなくてはならないこととして、このディスクレパンシーの値の大きさと、生きづらさの間には相関関係があるわけではありません。例えばディスクレパンシーが70を超えていても特に困り事もなく日常生活を送れている人がいる一方、数値で見れば15以内に収まっており、発達障害に関してもせいぜいグレーゾーンにかかるかかからないかと言うような人であっても大きな生きづらさを抱え、二次障害的な様々な障害を抱えている方もいます。

 私の通っている東京大学では、無料でWAISを受けることができます。私は2017年に大学に入学し、その年の6月に駒場の保健センターにて受けました。それから私は5年くらいにわたって、同じWAISを受けた東大の学生さんのデータを調べていますが、もちろん個々の事情で困りごとは様々ですが、それでも大まかな傾向というのはあるので、ちょっと書いておきたいと思います。

 一口にディスクレパンシーの値がいくつとは言っても、どの項目が高いかあるいはどの項目が低いかによってその意味合いは変わってくると思います。知覚推理が高くて言語理解が低い30と、言語理解が高くて処理速度の低い30では、同じ30という値でも、その実情は全くの別物と言ってよいでしょう。
 東大の学生さんでWAISを受けた方のうち、ディスクレパンシーの値が大きい方に着目してみます。一番よく見るパターンは、言語理解及び知覚推理が高い水準、数値にして130から145と言う値になっており、一方処理速度が低く、100程度というものです。処理速度は下だと 80から90程度と言う例も見たことがあります。
つまりディスクレパンシーで言えば、大体30から50位と言う比較的大きな差が見られると言うことになります。
 ちなみに私の場合一番高い言語理解が138、最も低い知覚統合は81 (当時のWAIS IIIでは知覚統合と呼ばれており、知覚推理と言う呼び方に変わったのはWAIS IVの時です) と言う数値で、ディスクレパンシーの値から見れば大きく、そして一番低い項目が処理速度ではなく知覚統合であると言う点が典型例とは異なっている部分だと思います。

 つまり彼らと私とは言語理解が高く、数値的に見れば大体似たようなディスクレパンシーなのですが、凹項目の違いで、具体的な困り事がどこにあるかと言う点がかなり異なっています。

 処理速度が低い場合は、(私も処理速度100で、言語理解の138と比べればかなり大きく数値が低いので、ここにも該当するような気がします) 例えば板書を移すのに時間がかかると言うことが、これまでの学生生活では大きなネックとなっていると言う学生さんが多く見られます。しかし、大学の授業ではこの辺の板書と言うものがかなり少なくなり、そういった意味では処理速度に問題を抱えた学生さんの場合、学業面だけで言えば、高校よりも大学の方が比較的適応しやすいと言う面もあると思います。
 もちろん大学に入ることで新しく始まること、例えばアルバイトの事では、処理速度が強く求められる場面が多い職種もあり、そうした場所においては大きな問題を抱えるケースも少なくありません。処理速度凹の学生さんは、大学での学業というよりも、むしろ学外でネックを抱えているようなイメージがあります。

 一方、私のように知覚推理が低いと言う場合は、私が大学で観測した範囲では少ないように思います。その理由として、 処理速度は入試等においてはそこまで大きな影響を及ぼさないのに対して、知覚推理は主に理系学部例えば、幾何などの視覚情報からの処理が求められるような学科で必要なスキルであるということが関係しているのかもしれません。私はそれほど苦手ではありませんでしたが、図やグラフの読み取りが苦手というのも、知覚推理が低い人の特徴としてしばしば挙げられます。
 しかし、これは私がそうしてきたように苦手分野の多い理系科目を避けて、文系で受験する、共通テストなどの数学である幾何は選択問題なのでそもそも回避するということができます。また、東大文系の二次試験の数学は、幾何が出ることはほぼないので、その点においても知覚推理の低い私にとっては幸運でした。
 知覚推理と言うのは主に非言語的情報を処理する能力と呼ばれているので、目から入ってくる情報を処理し、どのような行動をとるべきか判断すると言うような働きを担っているのですが、これが低い私は、まず漠然とした指示に対してどのように動いていいかが全くわからず、 またいわゆる場の空気を読むと言うことがまるでできないので、そのあたりが大きな困りごとになっています。
 知覚推理が低い人の場合、大学入学後の方が大変なことが多いイメージがあります。そもそもゼミなどでうまく会話の流れを掴まなくてはいけない場面が増えること、授業の情報を入手するのに友達を作る上で、場の空気が読めないことが大きなネックになることなどが、私の体験からは挙げられます。
 
 東大で一番少ないのは、おそらく言語理解が1番低いという人だと思います。私はこれまでに1,2例ほどしか見たことがありません。こういう方はむしろ知覚推理が優れていて、文系科目は苦手でも理系科目が得意で合格することができたと言う人に多いようです。ちょうど私のような知覚推理が低い人の逆バージョンで、文系科目を避けて、理系科目に特化することで、入試をクリアできるケースがあります。
 しかし、 入学してからは茨の道です。これは私の想像ですが、処理速度が低い人、知覚推理が低い人に比べて、圧倒的に困難に突き当たる場面が多いと思います。
 そもそも東大では、一年次において第二外国語及び英語を始めとする第一外国語の授業がかなり多いのですが、言語理解が低いと言う人はそもそもこの段階でつまずいてしまいます。 入試までは、たとえ英語の成績が低くても、他の理系科目でカバーできると言うことが多かったのですが、大学ではそれぞれが別々で単位を取らなくてはならないので、苦手な外国語などに取り組まなくてはなりません。また外国語以外でもレポートなどで言語理解が関連するスキルを求められることも多く、 そうした意味でも、最も求められる能力の大部分が言語理解関連である大学生活は、かなりの苦難の連続であると想像します。

結論として、ディスクレパンシーの数値に着目するよりも、凹項目が何なのかを見極めた上で、それぞれに合った対策をそれぞれが作っていくしかなさそうです。


以下はちょっとした私語りです。まったくの蛇足ですから、読まなくて十分です。

 知覚統合の低い人にとって、最大のネックはやはり空気を読む、という非言語コミュニケーションの難しさにあるのではないでしょうか。私自身、第一には極力変なことを言わないように発言を避ける、そして第二にはそうした場に出向かないようにするなどの回避行動をとる癖がついてしまいました。 それで私は人と接する機会がほとんどない社会的引きこもりとなり、やがて鬱状態へと沈んでいったわけですが、最近は心境の変化があり、迷惑をかけまくったとしてもそれは別に私が悪意を持ってやっているわけでは無いのだから、空気を読めない発言を恐れて引きこもっているよりはマシだと言うところに落ち着きました。 
 どう足掻いたって、私は普通の人にはなれない。場の空気を読んで、場を盛り上げて、適切な受け応えをこなせる人間にはなれない。けれども私は、何も話さずに自分の殻に閉じこもるよりも、何か変なことを話している変な人でありたい。 それで私を嫌う人が99人いたとしても、誰か1人、私を認めてくれる人がいてくれるなら、それで良いんじゃないかな。

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