自分が自分でいられる場所があればいい
私は小さいころから、人をじっと観察する(見る)クセがついている。
一人っ子として育ったせいなのか、常に怒られていたせいなのか、自分を守るためになのか、怒られないためになのか、相手を観察し、次にどんなことを言い、どんな行動にでるのか、察知して準備する。
たぶん、そんな感じだったのかもしれない。
学生の時も、おとなになってからも、人間観察はつづく。
少し離れた場所から、行き交う人を見るともなく見ている。
いろんなことを想う。
あの人元気ないな。
あの人、笑ってる。楽しそうだな。
あの人、肩が下がっている。疲れてるんじゃないかな。
コンビニで何を買うのかな。
誰と何を食べるのかな。
イヤホンで何かを聴きながら、微笑んでいる。
足早に歩きながら、腕時計を見ている。
素敵なウェアで走っている。
誰かを待っているのか、落ち着かないでいる。
ずっとスマホを見ながら固まっている。
コンビニや駅に人が吸い込まれていく。
無表情でスマホに何を打ち込んでるの?
楽しい?
スーツの人、作業着の人、ヒールの人、制服の高校性、
髪を結んでる人、帽子をかぶっている人、めがねの人、
ランドセルを背負って走っている小学生
行き交う車、バス、タクシー、自転車。
みんなどこかに帰っていく。
温かく迎えてくれる誰かがいる人は、どれくらいいるのだろう。
家族がいても、「お帰り」がない場所もある。
ひとりでいても、「ただいま」を言う場所もある。
しあわせの感じかたは、ひとそれぞれ。
誰も「お帰り」を言ってくれなくても、自分が自分で居られる場所があればいい。
ありがとうございます。優しさに触れられて嬉しいです。頑張って生きていきます。