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銀河の打ちしぶき

「どこへ行くと?」
阿蘇駅前からバスに乗り込んだわたしたちに、運転手のおじさんが振り返って聞く。
「唐笠松まで」
おじさんは呆気に取られた顔をした。切符を売ってくれた女性と同じように、目を瞬いて言う。
「押し戸石の丘に行くとね?」
「はい」
わたしは明るい声を出す。よかった、最寄りのバス停は合っていたようだ。あとは切符売り場でのやり取りの再現に近い。おじさんが、バス停からかなり歩かなければならないことを説明し、わたしが「がんばります」とありったけの若さを詰め込んだ声で言う。この子たちを連れて行っても大丈夫だと思われるように。バスがきちんと発車するように。

切符も買って乗車した客を止めるわけはなく、バスはわたしたちだけを乗せて発車した。10時25分。
「昼ごはんは持ってるね?」
おじさんは最後にそう聞いた。

乗る前は、唐笠松で降りるひといるかなぁ、などと言いあっていたが、そもそも阿蘇火口とは反対方面へ行く小さな路線バス、乗るひとがわたしたちだけだった。

わたしは、敬愛する友人Kと旅をしている。彼女の高校生以来の希望だった「押戸石の丘へ行く」を叶えるためならば、わたしはなんだってする......が、車の運転はできない。Kは免許を持っているが、運転に自信がない。

押し戸石の丘は、阿蘇のカルデラの少し北にある、巨石が配置された丘で、数千年前の古代遺跡とも考えられているという。車でのアクセスしか書かれていない。阿蘇駅から車で20分。しかしこの地球上、高速道路以外に車でなければ行けない場所というのはそうそう存在しないはずだ。思想強めな免許不保持者のわたしは、グーグル先生におつきあいいただき、車なしで行く方法を見つけ出した。

それが、阿蘇駅前→バスで唐笠松→徒歩1時間5分と表示されているルートだった。

これならいける、とわたしは思った。片道徒歩2時間までなら許容範囲に入る。しかしKはどうだろう。わたしは旅行初日、恐る恐る計画を告げた。まぁ、行けそうですね、というのがKの返答だった。じつはわたしたちは数日前に大学付近で道に迷い、1時間以上にわたる散歩をやり遂げていたのである。この旅の目標はもちろん、遭難しないこと、に尽きる。

バスから降りて歩き始める。道の脇に牛たちが列をなして歩いていたのを通り過ぎると、そのほかに生き物の気配はない。道路を挟んで群生する芒の白いカーテンを通り抜けて、わたしたちの笑い声が響く。たぶんふたりとも、普段の声に比して笑い声が大きい。

道は下りと上りを繰り返し、次第に上りばかりになる。車が通れるとは信じがたいが、しかし何台もがわたしたちを追い越してゆく細い砂利道。わたしたち旅をしている、と思う。振り返ると、あまりにも青くて広い空が眩しい。

1時間ほど歩いて、初めて石をいただく丘が見えると、わたしたちは思わず声を上げた。思ったより、だいぶとおいー。

そのときだった。道の脇に立つ石碑に気がついた。古いようで、掠れた文字はうまく読めない。わたしは苔のようなものが生えている表面に目を凝らす。Kが指で文字の溝をなぞる。

夜草喰む馬に銀河の打ちしぶき

銀河の打ちしぶき。わたしは思わず声に出していた。

まだ目にしていない丘の光景が、夏のものとして、瞳の上を流れ星のようにすべっていった。冷たく濡れた夜の空気が、馬の毛並みをつややかに光らせる。馬は何頭かいるが、点々と離れて草を食んでいる。さわさわと足元の草が揺れ、馬ははっとしたように空を見上げる。満天の星。白波が砕けて、ぱっと散らばったままそこへ固まったかのように見える無数の星は、ほんとうは夜空を見上げるどんな命よりも長く、静かな瞬きを繰り返してきた。

五七五で俳句になっている。作者の名前は、二文字目の、春、という字のみが読み取れた。なぜそこに碑があるのか、誰が建てたかは書かれていない。時にさらされてきたそれは、車で走っていたらまず気に留めないだろう。わざわざ見えづらいその文字を読むために、目的地の途中でブレーキを踏むひとはほとんどいない。

押し戸石の丘にたどり着いたのは、バスを降りてから1時間と20分あとのことだった。小高い丘を上ってゆくと、風が強くごうごうと鳴った。金色に乾いた冬の草原に埋もれる黒い巨石とその影が、いくらか近くにあるように感じる太陽の光と対照をなす。丘の上から、さらに向こう側へ、いくつも連なっている丘を眺める。いままで見た何よりも遠く広がる空は、山稜とのあわいをたしかに白く光らせていた。

ほかにも何組も観光客がいて散策していたが、わたしたちがたぶん、誰よりも長くそこにいた。誰よりも時間をかけてたどり着いたぶんだけ、この景色が特別なものに見えた。それに、次のバスは15時10分で、前にも後にもない。
わたしたちは丘の麓で高菜の小さなおにぎりを食べて、ようやく来た道を戻ることにした。

帰りは思ったよりも早く、バスを降りた場所までやって来られた。バスに乗るための停留所はもう少し先にある。しかし歩き通せた、戻ってこられた、という達成感が胸を満たしていた。すると、後ろからやって来た車が急にスピードを緩めた気配がした。

「どこ行くと?」

車の窓から女性が顔を出した。後部座席にふたりの女性、運転席と助手席に男性が乗っている。

「ずっと歩いて来たと??」

往復2時間半の道のりを完歩しかけているわたしたちに、おばさんは目を丸くしながら尋ねた。

「危ないから乗り、バス停まで連れてっちゃる」

こうしてわたしたちは、おばさんおじさん仲良し4人組の車に突然拾われた。

おばさんたちは、行きの車内でわたしたちを見かけ、さらに帰りにも見たものだから、思わず声をかけてしまったらしい。

「こんなとこ歩くひとなんていないから幽霊かと思った」が、幽霊がふたり連れ立って歩くことなどなかろうと思い直した、という話をこてこての博多弁で伝えられる。わたしたちは旅人ではなく彷徨う幽霊に見えていたらしい。

福岡から来たという4人は、しょっちゅう熊本や大分までドライブをしているそうで、今日も阿蘇にお蕎麦を食べに来たらしい。車内ではカーナビに流れる女子駅伝がゴールに差し掛かっていた。福岡は何位とね? 8位? よく上がってきた、と喜ぶ。わたしたちにチョコラスクを1枚ずつくれる。

「どっから来たの? 学生? 来年卒業?」
わたしは大学院、Kは留学に行くと伝える。

「はぁーお嬢さんとね。学生のうちにいっぱい遊ばなきゃ。彼氏は? いない? あらぁ、もったいない、九州に住みたくなったらおばさんの息子が独身でいるたいね」
おばさんはわはははは、と笑う。わたしたちの笑い声が重なる。車はこのまま阿蘇駅まで乗せてくれるという。なんてありがたい。

運転席からおじさんが言う。
「あんたたち、〇〇大学かね?」
そうです、と言うと口々に、いやぁ、頭いいね、東大とかわらへんよ(先ほど、おばさんの兄が東大だと聞いたばかりだった)、すごい、と持ち上げられる。

そこへおじさんがひとこと、
「そんなに頭いいのに、なんでこんなバカみたいなことしちょるがね?」

正面切ってお前たちはやばいと言われたことにふたりで爆笑してしまう。いや、薄々気づいてはいたけどね? 誰も歩いてないあたりからね? 丘に着いたとき、通りすがったカップルに、あのひとたち無事だった良かった、と言われたときもね? ただ、まぁ、歩けなくはないし、まぁ、そこまで変じゃないかな、なんて思っていた生ぬるい期待は、おじさんの清々しいひとことによってぶち壊された。

わたしたち、やっぱりちょっと、やばかったらしいです。

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