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さよなら、エトワール。-続・86歳のエトワール-


コロナ禍で制限された生活が一年近く続く。

高齢者相手の職業は日常生活から気を遣う。

最初の自粛要請は、手袋やマスク・消毒薬のの在庫を気にしながら仕事していた。衛生上節約しようがない。世間がStay Homeやウチで過ごそう♪などとイベントごとのように騒いでいたのを横目に出勤していた。

二度目の自粛要請が出た頃、地域内の施設や病院でクラスターが発生しては「次はうちじゃないか」と不安になった。ガイドラインはあれど、意識の差は人それぞれで、

「ジム危なくない?」「里帰りはしていいのか?」「飲みにいくべきではないか」「こんな時に旅行するのか」「一人で温泉くらいは行ってもいいんじゃないか」

何処までプライベートを優先していいか?スタッフ同士でも価値観の違いでぶつかり合う日々だった。

私の場合、高齢者相手の仕事をしているのに、人の多い劇場に足を運ぶのか?と言う罪悪感が付きまとっていた。

もちろん、最大限の対策をした上で観劇に行っていた。寄り道せずに直行直帰し人の集まる場所は極力避ける。出会った知り合いとはフロアで挨拶を交わす程度。観劇前後に語り合ったり飲みに行ったりはしない。それでも、罹ったら、観劇に行ったせいでと思われるのではないか?と思うと、心から楽しめない。そんなのは贅沢で「観劇が出来るだけでもありがたい」と思わなければいけない。と言い聞かせていたが、一方的に舞台を観るだけでなく、前後の時間を誰とどう過ごすのかが大切だと言う事を痛感した。

誰かとこの感動を分かち合いたい。喋りたい。

あんなに楽しみで、嬉しくて、日々の活力だったはずの宝塚が楽しめなくなっていった。観劇しても、今までのようにストーリーが頭に入ってこない。普段なら受け流せるだろう事、観劇仲間と喋っているうちに解消されるようなモヤモヤもずっと残る。文字だけの情報に頼るしかなく、直接会って話せない事がこんなにもストレスなのだと痛感した。

どうしていいのか分からなかった。

利用者さん達もそうだ。

コロナ禍である事が理解出来ず、毎日来ていた家族が来なくなったと不穏になる。コンビニまで散歩が楽しみだった方は、何故連れて行ってくれないのか!と泣いて頼まれても「ごめんね」としか言えなかった。家族との別れに立ち会えず、葬儀にも行けないと泣いている人に掛ける言葉が無かった。

面会自粛から、パソコンのオンライン面会に切り替えたが、耳の遠い利用者さんには難しい。言葉が出なくても/聞こえなくても、顔を見て手を握る。それが何よりのコミュニケーションだったと言う事に気づかされた。

ずっと長く先の見えないトンネルの中に居るようだった。

それでも、宝塚歌劇団の舞台の幕が上がるし、私達は宝塚歌劇に救われている。


アナスタシアの公演中、ある娘役さんの四つ切りスチール写真を購入した。

ふと、四つ切りサイズなら大きくて老眼でも見やすいだろう。「いにしえのヅカ乙女たち」との話のネタになるだろうと職場に持参した。

90代からアラフォーの私まで、小夜福子さんから真風涼帆さんと幅広い「いにしえのヅカ乙女」と「現役の宝塚ファン」が、時々宝塚ファンミーティングなるものを開いている。

キャトルレーヴの袋から写真を取り出すと、わー!宝塚やね!と誰かから声が上がった。「今の娘役さんはこんなに綺麗なんやね!」四つ切写真を回し見ては、目を細めるいにしえのヅカ乙女たち。

「この飾りはナンボするんやろか?高いやろねー」さすが関西人、アクセサリーの値段が気になる様子。「これ私のお葬式の遺影にしたらあかんやろか」「あかんあかん!」「バレるがなー!」際どいネタにもボケツッコミで笑いが起きる。

新しい90代後半の利用者さん。兄が宝塚ファンで「男1人で観にいくのは恥ずかしいから」と毎回連れていかれてた。宝塚なんて全然興味ないから座ってずっと寝てたけどね。兄が付いて来いって言うからね…と、嬉しそうに話してくれた。そんなに昔から「ヅカ男子」がいたんだね。当時の方が男性が観劇するハードルは高かったのかな?なんて話をした。

出会いがあれば別れがあるのが人生、特にこの仕事は出会いも別れも多い。

あの日、一緒にスチール写真を見ながら笑い合った数人とは、あの後すぐにお別れが来た。別の施設に移る人もいれば、人生の終わりを迎える人もいた。

お1人は別の施設に移る日の朝、夜勤明けで帰ろうとする私を呼び止め「お姉ちゃん宝塚の話楽しかったわ。ビデオ見せてくれてありがとう、やっぱり大地真央は最高やね」とあいさつしてくれた。2人で夜中にYoutubeで大地真央さんの動画を見ていた事を覚えていてくれた。

そして、もうお1人。OG有志の「すみれの花咲く頃」の動画を見ながら一緒に歌ってくれた「86歳のエトワール」ことBさん。あの時以来、私の顔を見ると「宝塚行ったか?」と聞いてくる。「観て来たよ」と返すと「楽しかったやろね」と言い♪すみれのはーなー、と鼻歌交じりで歌ってくれる。最後は施設でお看取りする形を取った。殆ど意識が無い中、耳元で♪すみれのはーなーと歌ってみたら「宝塚行ってきたか。良かったな」と、続きを歌ってくれているような気がした。

この仕事を始めて10年目。

「最後になるかもしれない人生で ”出会えて良かったな” と思える何かを残せたらな」と言う思いを抱いて仕事をしているが、宝塚歌劇団に出会い、ファンになったからこそ実現できていると思う。

さっき食べた食事は忘れても、宝塚のスターの名前は忘れない。

100年以上続く伝統の中で、時代・世代を超えてそれぞれの中の宝塚歌劇が生きている。その歴史の一端に自分もいる事を実感している今日この頃だ。

色々あるけど、やっぱり宝塚が好きなのだ。