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舞台に立つ事こそ禊〜Le Grand Escalier〜

ご縁を頂いて初日を見る事となった。

幕が開いた瞬間の芹香斗亜さんを見て胸が詰まる思いがした。

おおよそ、舞台に立つトップスターらしからぬ硬い表情をされていたように見受けられた。

私が知る限りのトップスター・芹香斗亜さんとは違った。眩いオーラや笑顔や全身から溢れ出す舞台に立つ喜びと言ったものを感じず、華やかなお衣装にトリコロールカラーのセット。その煌びやかさに反して、ご本人の表情はそう言った華々しいものとはかけ離れていた。

今日、この舞台に立つまでにどれだけの思いがあったか察するに余る。

こんな状況で出て大丈夫なのだろうか...と思ったが、ショーが進むにつれて、徐々に私の知っている「トップスター芹香斗亜」を取り戻していかれた。空間を支配する圧倒的な歌声。あれだって長年の積み重ねだよねと花組時代の若かりし日を思い返す。子供みたいないらずらっぽい無邪気な顔、艶っぽい流し目、真ん中に立つと言う説得力。

私の知ってる芹香斗亜さんで、圧倒的なトップスター芹香斗亜だった。

ただ、終演後の挨拶は神妙な面持ちで言葉が少なかった。いつものニコニコしながら時に軽口を述べる、あのキキちゃんからは程遠かった。鳴り止まない拍手に、大羽根で腰が折れるんじゃないかと言う位深く頭を下げていた。

芹香斗亜と言う人は、どれだけの想いを背負ってこの日を迎えたのだろうか。手放しに良かったねー!おめでとう!とは言えなかった。

この公演のニュースの見出しには「追悼の言葉は無かった」お悔やみの一言くらい無かったのか、と疑問を呈する人達の声も目にする。確かに、公演中止のお詫びだけで、故人を悼む言葉や想いを寄せるメッセージは無かった。個人的には黙祷までは無くても、もうちょっと何か触れられへんかったかなとは思っている。理事長とか理事長とか理事長とか。

世の中に向けては、トップスターを退くみたいなインパクトある「禊」があった方が納得されやすいだろう。社会で今回と同じ事がハラスメントが起きたら、配置転換や降格みたいなペナルティを科されるだろうし、場合によっては籍を外される。劇団も厳正に処分しましたよ!と世間に向けてアピールした方が「企業」としては格好がつくはずだ。

それをしなかった、と言う劇団の判断に手放しで賛成する訳ではないが、そうしなかった事による意味があると私は感じた。

初舞台を踏んで以降、こんなにも舞台に立つ事を不安に感じる事はなかったと思う。芹香さんも、上級生達も、全ての宙組生達にも言える。

舞台に立つ事こそ禊で、宙組を進める事が寄り添う事。あの子だって本来ならこの場にいて欲しかった。その思いを改めて感じた。その悲しさや重さを受け止めながらも、それでも進んでいくのだと言う覚悟を感じ取れた。

今回のショーは、齋藤吉正先生の演出が憎らしいくらいに秀逸だった。

愛、と言う言葉は余り好きではない。時としてエゴで「愛があるから」の免罪符で人を傷つける事もある。でも、このショーに相応しい言葉はやっぱり「愛」だと思う。

何一つの忖度なく、その人の持つ舞台人としての素質を活かしてくれていた。週刊誌等で汚名を着せられたから、イメージを良くしよう、みたいな忖度は全く無かった。場を与え思い切って舞台に立っておいで!と背中を押してくれる。そんなメッセージを感じる。

これこそエンターテイメント。底抜けの明るさから壮大な場面。通常のショーより長い構成。目まぐるしく移り変わる構成に救われたのは、ファンだけでなく生徒さん達もだろう。

私は娘役さんが好きなので、長年観て来た宙組の「宙組娘役イズム」を感じられて嬉しかった。宙組を見始めた頃はまだ下級生で垢抜けないヒヨコちゃんだった子達が、それぞれ立派な娘役になり後輩達を牽引している。その筆頭にいたのがトップ娘役の春乃さくらさんで、あの華奢なさーちゃんの中に秘めた「胆力」に驚かされるばかり。その力強さこそ、私の大好きな「スタイリッシュで強くてかっこいいお姉さん達=スゴツヨ姉さん」達だ。下級生達もそのイズムを受け継いでいて胸が熱かった。

改めて言いたい。

この素晴らしい芸が、芸の厳しさとは違う部分で人を傷つけずに継承されて欲しい。純粋に芸に打ち込める環境を、過重労働に繋がらない改革を、舞台人として以前に人としての尊厳を守られる職場環境となる事を。

舞台に立つ事こそ禊。

言葉には尽くせぬ様々な想いを受け取りながら、それでも見守っていこうと思う。