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宝塚歌劇は何歳でも乙女に戻れる-99歳のヅカ友達の話。

私の最高齢で最高の宝塚ファン仲間を紹介したい。

Aさん99歳とする。

Aさんは耳が遠く殆どコミュニケーションが取れない。内向的で食事以外ずっと部屋に籠っている。時々出てきたと思えば「私は除け者や!」「家に帰るんや!」「死にたい」と言って泣きわめく。宥めすかすのに一苦労する。

コミュニケーションどころではない。どうしたもんだか...と頭を悩ませていたある日、Aさんのベッド周りを掃除をしていたら一枚の紙が出てきた。ご家族の方がパソコンからプリントしたであろう、小夜福子、葦原邦子、天津乙女etc...昔の宝塚のスターの写真だった。

最低限の会話以外何も話すきっかけが掴めなくて困っていた。干渉するな!と言わんばかりに、自分の殻に閉じこもっていた。話しかけると嫌がるし、鬱陶しそうな顔をするAさんに対し 「Aさんは宝塚歌劇団が好きなんですか?」耳元でゆっくりと話しかけてみた。

「そうやねん!宝塚好きやねん!あんたも好きなんか?」

俯いた顔をパッと上げ、目を輝かせて、堰を切ったように話し始めた。

私が慣れ親しんでいる宝塚ファンの友人たちのような明るい顔のようで、この瞬間から、私達は世代を超えた「ヅカ友達」になったのだ。

観劇に行くたびに、公演チラシを持って帰ってはAさんの部屋に置いた。Aさんは嬉しそうにベッド上にチラシと往年のスターの写真を並べていつまでも眺めていた。渡すタイミングを間違えるとチラシに夢中になり食事に出て来てくれないから注意が必要だった。

ついでに、フロアにもチラシを置いた。いやー、宝塚!昔はよく行ったわぁと他の方も懐かしんだ。八千草薫、朝丘雪路、寿美花代、汀夏子に鳳蘭。それぞれの世代のスターの名前で盛り上がった。「寿美花代と高島忠夫のデートしてる所見た事あるねん」「バイト先の仕出し弁当屋さんで、スターさんの差し入れのお弁当を作ってた」次から次へと出てくるエピソード。宝塚歌劇を見に行く事は、今の若い子がUSJに行くような感覚みたいだ。

Aさんは宝塚の話以外では相変わらず引きこもっていたが、宝塚の話となるととにかく楽しそうだった。仕事の合間を見ながら、新しいチラシやパンフレットを持ってAさんとヅカトークをするのが楽しかった。

「今は券はどうやって取るんや?」
「今はなー、電話や」
「そうかー!ほなもう、花のみち走らんでいいんかぁ」

 ある時は、昭和の始めのチケット事情と、平成の終わりのチケット事情を語り合った。

 「始発の阪急電車に乗ってな、花のみちを走って大劇場のチケット売り場を目指すねん。前の席で見たいからな、みんな走るねん。2回ある日は2回見るねんで!」

車椅子の上で、着物の裾をめくる仕草をし花のみちを走る再現をしてくれた。着物姿の女性達が、駅から大劇場まで我先にダッシュする姿があの当時はあったらしい。平成の今、インターネットやスマートフォンなるものがある事も知らないであろうAさんに「電話」と説明したが、電話で取れる事に驚かれていた。(今でも当日券があるし、当日券並びの為に走る事もあるけど)

 「2回ある日は2回見たいし、いい席で見たいもんな!」

いつの時代も、ファンの言う事は変わっていない。電話で取れるようになってもチケットを取るのは大変さは同じ。宝塚って券を取るのはホンマに大変やなぁ〜と笑い合った。

 「元気になったらな、宝塚行こうな!あんた連れて行ってな。一緒に行こな!」

フロアに出て来るのも億劫なAさんから、こんな前向きな発言が出た。面会に来たご家族も「おばあちゃん耳聞こえへんのに行けるん?」と、びっくりしていた。

スタッフとしてでなく、宝塚ファンとして。ヅカ友達として、実現すべく、大劇場のチケットカウンターで問い合わせ、阪急交通社にも問い合わせた。宝塚大劇場のバリアフリー対応はとても行き届いている事を知った。これならばAさんと一緒に行ける。

そこまでしたのに実現出来なかった。

阪急交通社から貰った資料と、企画書まで書いたにも関わらず、上司に言い出せなかったのだ。目立つような事を嫌う周りの目に勝てなかった。「利用者を宝塚に連れて行く」なんて、当時の職場ではとんでも無かった。Aさんの最後の夢より、またあいつが変な事企んでる。職場で浮いてしまう事、周りの目が怖かった。

躊躇していた矢先、Aさんは体調を崩した。

99歳と言うご高齢ゆえ、一度体調を崩したらあっと言う間に寝たきりになってしまった。せっかく、宝塚をきっかけに打ち解けたのに「宝塚行こうな!」と目を輝かせていたのに、もうチラシを手にする元気もなく呼吸器をつけて眠っている日々。長年過ごしたこの施設で看取る事が決まり、いよいよ、今夜がヤマであろうと言う日に、私は夜勤に当たった。

 大劇場に連れて行ってあげられなかった。ごめんね。

ヅカ友達として、せめてもの償いに、部屋のTVにDVDを繋げて「星逢一夜」を流した。問いかけに答えられないくらいの状態だったが、目線はテレビにあった。虚ろな目でテレビを見ていた。ラ・エスメラルダの軽快な音楽と、呼吸器を付けながら目の前の消え掛かった命のコントラストを見届けた。生命力溢れる楽曲に見送られようとしている消えかかる命。その光景を今でも忘れない。

DVDは夕方から2巡して、日付が変わる頃。

Aさんは呼吸をしていなかった。とても安らかな顔だった。

折しも、DVDはエンドロールに差し掛かっていた。

しばらくエンドロールと共にAさんの寝顔を眺めた。静かな部屋。無音、無機質の文字の羅列。目の前の穏やかな寝顔。つい数時間前、あんなにやかましい「ラ・エスメラルダ」の曲と、薄目を開けて眺めている姿を思い出すと胸がギュッとなった。

「Aさん最後まで見たんかな?宝塚ファンらしい終わり方やな。99年も生きていたら、小夜福子や天津乙女から始まり、早霧せいなで幕を閉じるんだなぁ。人生で何十人のスターを見てきたんかな」

そんな事を思いながらも「呼吸が止まってます」と、看護師に事務的に報告をした。医者と家族に電話をして、諸々の手続きをして、明け方に葬儀屋の迎えが来た。

元気になったら宝塚行こな!

Aさんの夢を叶えてあげられなかった事を、未だに悔やんでいる。

だけど、Aさんがきっかけで、顔色を伺うのは利用者さんであり、職員の顔色ではない。私が何を言われてもいいから利用者さんが最後の人生を少しでも楽しく生きてくれたらいい。少しでも楽しい何かを残したい。私の中の信念が生まれた。それが、Aさんから学ばせて貰った事。

 
宝塚歌劇団は凄い。

 
その時代時代にスターがいて、今のスターを知らなくても「宝塚」と言うだけで語り合える。99歳も一瞬にして乙女になれるし、年代を超えて同じ話が出来るのだから。

「今な、宙組って組があるねん」
「えっ、宙組なんて出来たんやなー」

今日もまた、誰かと宝塚の話をする。

さっきご飯を食べた事を忘れても宝塚と過ごした思い出は色褪せないでいる。 一生涯何歳でも一瞬で乙女に戻る。それが宝塚ファンなのだとAさんから教えてもらった。