「私のnotte stellata」-3月11日、劇場で今を生きる。

3月11日、宝塚大劇場の地で小さな美しい星を見る事が出来た。

とても有難い事に、宙組公演の初日の公演チケットのご縁があり、真風涼帆さんの最後の公演の始まりをこの目で見届ける事が出来た。「この大劇場で大きな羽を背負っての最後の挨拶」に、あれ?まだ貸切公演とか千秋楽とかあるよね?と思っていたら「芹香さんにデマを教えられた」とニヤリと笑うトップスターの姿。斜め後ろでいたずらっぽくジェスチャーをする芹香さんの図に、ほっこりとしんみりのどちらの感情を持てばいいのやら…。こうやって2人で掛け合う時間も限られているのだなと思いながら眺めていた。

貴重な退団公演の初日であると同じぐらいに、大切な掛け替えのない時間を過ごす事が出来た。

3月11日、宮城県仙台市出身の美星帆那さんが舞台に立つ。

12年前まさにあの場に居たであろう彼女。(すみれコードだが)恐らく小学生だっただろう。小柄な彼女がもっともっと小さくて、本当に子供だった彼女はあの日をどんな思いで過ごしたのだろうか。タカラジェンヌとして公の場で話した事は無いので、あの日に対してどんな思いでいるかは想像でしかないけれども。きっと、あの日に対しては何かしらの思いがあるはずだ。

小悪魔的なダンサーで登場したかと思えば、シックなモスグリーンのドレスに身を包んだ舞踏会の女。しっとり淑女設定かと思えば所狭しと踊りまくる。かなりアグレッシブな淑女だった。ロシア伝統のドレス(神々の土地やアナスタシアにたびたび出てくるアレ)では今までとは違う雰囲気を感じた。黒っぽいつなぎ服に身を包んだネオ・ロマノフの兵士。パーマがかったショートカットに血色悪いメイクが不気味だった。ツヴァインシュタインのコミカルなナンバーで歌い踊りながら銃を向ける場面もある(秒で撃たれる)こんなに小さな子まで兵士として洗脳してしまうル・シッフルが不気味とさえ思えた。

全身黒い衣装に包まれた、と思っていたら下がオレンジっぽいグラデーション。とにかく素敵なドレスの娘役ナンバーでは、今までに見た事のない大人の色気。黒は彼女の持つ艶っぽさを引き立たせた。「美星帆那=小さくて可愛い」と思いながら見ていたので(笑)びっくりしたし心拍数が上がった。可愛いだけじゃなく大人っぽい表現も出来る子なのは知っていたが、見ていて息が止まるかと思う位に美しい横顔だった。普段GARMINのスマートウォッチを愛用している私、観劇中は外しているけど異常を察知されるレベルの心拍数だったはず。これからは「大人っぽい」ではなく「大人の女性」として舞台に立つ事もあるのだ、今後心して見なければと思いながら必死に息を整えた。いやしかし、ついこないだまで初舞台ロケットで小さい身体で元気で踊ってた子がねぇ~と目を細めてしまった。親戚のおばちゃんかよ(笑)

同じ日に、宮城県で羽生結弦さんがアイスショーを開催された。

終演後の帰り道、いくつかのネットニュースや動画で見た中に、儚く美しい姿と共に「宮城県民としての」羽生さんの言葉を目にした。震災当日の夜の星が美しかった事からショーのタイトルが付けられた事、会場が遺体の安置場所として使われて来た事。その上で滑っていいのか葛藤があった事。この公演を通じて震災で苦しんで来た人達への希望になればいいと思う強い想い。その中で特に胸を打たれて文章だけでも涙が出て来た言葉があった。

今日ある命は明日もあるとは限りません。
今日の今の幸せは明日もあるとは限りません。
そうやって地震は起きました。
だから、みんな真剣に今ある命を今の時間を幸せに生きてください。

28年前の1月17日、私も運よく生きる事が出来た。3月11日、彼女だって運良く生きる事が出来た。お互いに今日まで生きる事が出来た。運命の巡り合わせで私達は宝塚歌劇団と言う場所で出会えて、今日この日を迎えられている。

舞台に立つ事、客席から見守る事。

初日の緊張感はあったにせよ、3月11日だからと言って特別何があったと言う訳ではない。いつも通りの美星帆那を全うされたと思っているし、客席でその姿を見届けたに過ぎない。それがどんなに幸せであるか。羽生結弦さんの言葉を反芻しながら、舞台上で輝く私のnotte stellataへ思いを馳せながら一日を終えたのであった。