木の手仕事が残る町。かぬまオープンファクトリー(後編)
・伝統を受け継ぐ屋台大工、宇賀神工務店
下野工匠さんを後にして次に車で向かったのは、日光奈良部町にある屋台大工の宇賀神工務店さん。
かぬまオープンファクトリーのパンフレットを見ていて「屋台大工」という言葉がよく目についたのですが、最初はわからずに「屋台ってあのラーメンとかの?」と思ってました(本当にすいません!)。
鹿沼で言う「屋台」とはお祭りの道具としての屋台のことで、元々は歌舞伎の移動式舞台だったそうです。そこに木工彫刻がついたり、彫刻に金箔や彩色が施された派手なものもあったりします。
その屋台大工の伝統を受け継ぐ一人である宇賀神さんの工場に車で到着すると、そこにいた気さくなおばさまが駐車場を指さして教えてくれました。僕の車のナンバーをみて、「ずいぶん遠くから来たんだねー」とやさしいリアクション。
工房の中に入ると、職人らしき方が二人いらっしゃったのでとりあえず「工場見学にきました!」と挨拶。
挨拶後に工房の方だと思い話していた職人風の方は実は僕と同じ見学者ということが判明。その隣にいた優しそうないかにも職人という印象の方がそのタイミングでおもむろに名刺を差し出してくれ、ようやくこの方が宇賀神工務店の代表である宇賀神 久男(うがじん ひさお)さんだということが判明。
ちなみに後から知ったのですがこの宇賀神さんは鹿沼の名匠と言われる屋台大工で、「屋台大工」という言葉を作った方でもあるそうです。
僕が訪問した時にはちょうど工房内に青梅市内から修理を依頼された屋台があり、その作業の途中でした。その手前には製作中の屋台の縮小模型が飾ってありました。こちらは屋台好きの顧客からの注文品だとか。
修理中の屋台は江戸後期のものらしく、本体の木もかなり痛み、表面の黒漆もはげている様子。
また所々欠けたりしてはいますが見事な彩色の施された横障子部分の彫刻もあり、修理の為に取り外されて箱に入っていました。
その後は宇賀神さんに屋台の話を伺うことに。そもそも僕は「山車」と「屋台」の違いがわからなかったので質問してみました。
「神様が乗っているのが山車、お祭りの道具で元々は歌舞伎の移動舞台だったのが屋台」と宇賀神さん。
鹿沼市には現在各町ごとに26台の屋台があり、毎年10月の体育の日前後に行われる「鹿沼ぶっつけ秋祭り」などに使われるとのこと。ちなみに鹿沼今宮神社祭の屋台行事はユネスコ無形文化遺産にも登録されているそうです。
屋台修理の話に戻ると、痛んでいる本体の部分は新しい骨組みに交換しつつ、そのまま使える彫刻の部分などは分解して新しい本体に取り付けるとのこと。
古い物でも使える部分はできる限り残すという方針で修理をしていることが伝わってきます。
彫刻の部分は彩色が所々はげたり、木の造作自体も欠けていました。これを修復するのはかなり難しいとのこと。彫刻に色をつける彩色師さんもいまや数がかなり減ってしまっているそうです。
また興味深かったのが、使われている木の種類によっても使いやすさが違うという宇賀神さんの話。彫刻や一部のパーツにはトチやイチョウなどの広葉樹が使われているらしいのですが、広葉樹は虫にも食われやすく、湿度変化でゆがんだりねじれたりするそう。宇賀神さんは木のゆがみやねじれのことを「木が暴れる」と表現していました。
僕の他にもう一人来ていた年配の男性の見学者は最近引退した大工さんで、主に寺社仏閣などの修理などを生業としていたとか。鎌倉のお寺の修復などもよく請け負っていたらしく、尽きることのない職人話を宇賀神さんとしていました。
お二人の話からわかったのは、特に伝統的なものを扱う木工職人は後継者が少なく数が減っていること、また政府などからの補助金もバブル以前に比べて減っているため、伝統技術や文化的に価値の高いものをよい保存状態で後世に残していくのが難しくなっているということ。
この話を聞いていて、宇賀神さんのように屋台大工一筋で生きていく職人の貴重さを感じ、個人として何が出来るわけではありませんが、こういった現状を多くの人に知ってもらいたいと感じました。
・屋台彫刻の名工、黒崎孝雄さん
3つ目の見学は、宇賀神工務店と同じ日光奈良部町にある黒崎孝雄さんの工房へ。車で10分以内で到着。街道からはずれた細い道の先にひっそりと一軒家がたっていました。
工房らしき場所に足を踏みいれると、その畳の間には黒崎さんとそのお弟子さん、あとは見学の方が3名ほど。黒崎さんの前には粗彫りの途中らしき獅子と牡丹のモチーフの屋台彫刻とその下書きが上下にならんでいます。
さっそく黒崎さんの説明がスタート。
「下絵は平面図であくまで『あたり』なので、屋台彫刻の職人はこの図を頭の中で立体化して彫っていきます」
上にある下絵は平面的な正面図でしかないのに、畳の上の彫刻は生き生きとした獅子がこちらをカッと睨んでいて、彫刻師の技術と想像力がすぐに伝わってきました。
彫刻の職人は、まず木にあたりを付けた後にハンマーで鑿を叩きながら粗彫りをするそう。その説明をする黒崎さんの横ではお弟子さんが黙々と彫刻を進めていました。
次に鑿(のみ)を叩かず手で押しながら面取りをする仕上げ彫りをします。おどろくことに粗彫りから仕上げ彫りまでの工程で100種類近くの鑿を使うとか。
たしかに黒崎さんの前にある鑿を見ると、幅の広いものや先の細いもの、先が曲がったものなどその形状はさまざま。
「彫刻職人の修行はまず道具作りからスタートするんです」
よい彫刻をするにはまず自分の道具からということなのか、まずは木を彫る前に鑿を自分で作るとのこと。
ひととおり屋台彫刻の説明が終わると、見学者から次々と質問が飛び交います。
見学者1「ひとつの作品を彫り上げるのにどの位の期間が必要ですか?」
黒崎さん「彫刻にも寄りますが、一体あたり約8ヶ月ほどはかかります。木の厚みが厚く立体的な彫刻になるほど時間がかかります」
見学者2「色をつけるのにはどのような素材をつかいますか?」
黒崎さん「目は金箔だったり、朱色の部分は鮮紅朱といわれる酸化化合物を使ったりします。その他は色によってさまざまな素材を使いますが、水銀系の材料や鉄系の材料など、少し毒性のあるものもつかったりすることで、彫刻を虫などから守る効果もあります」
見学者3「彫刻に使う木はどのような種類のものを使うのですか?」
黒崎さん「ヤナギやトチ、イチョウの木などを使います。木が生えている時から良い素材になりそうなものには目をつけておいて、伐採時には所有者や製材所から連絡をもらえるようにしておきます。ちなみに今彫っているこの木は近くの小学校に生えていた木です」
その後もとめどなく質問が続くほど屋台彫刻に対する見学者の興味はつきません。
その他にも黒崎さんからは屋台彫刻の歴史や関西と関東の彫りの違いなどの話もあり、いくらでも面白い話がでてきます。
その中でも最後に黒崎さんがしていた鹿沼市の彫刻屋台についての話が印象的でした。
「鹿沼ではそれほど景気のいい時代ではない今でも、彫刻屋台の製作の為の特別寄付がたくさん集まることも。鹿沼の人たちはそのくらい皆お祭りや屋台が好きなんです。そして彫刻屋台が一番映えるのはやっぱりお祭りの最中。ぜひ皆さんも鹿沼の祭りに訪れて彫刻屋台をみて欲しい」
もちろん鹿沼でこれだけ屋台彫刻の文化が受け継がれてきたのは日光から近いという地理的なものありますが、きっとそれだけではない鹿沼の人たちの思いがお祭りと彫刻屋台の文化を受け継いできたのではないでしょうか。
この話を聞いて僕もいつか鹿沼秋祭りに訪れてその中で鹿沼の人たちが大切に受け継いできた彫刻屋台を見てみたいと思いつつ、この場を後にしました。
ちなみに今年の鹿沼秋祭りは10月6日、7日の二日間の予定。もし彫刻屋台に興味が湧いた方はぜひ鹿沼市を訪問してみて下さい。
ものをつくるひとを応援するために、いろいろな現場を取材しています。ここで得たサポートは、その取材活動に活用させていただくことにしています。