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時間の間隔に関する感覚

正直なところ、私は時間にルーズだと言われるタイプの人間です。

時間を守れと言われることもあります。時間を守れと言われて守れるのならば苦労はしません。そこで、どうして時間を守れないのかを考えてみました。もちろん、ここに書くことのほとんどは、言い訳と愚痴になりますので、お目汚しご勘弁を。

そもそも感覚が違う

時間の長さをどのように感じるかは個人によります。同じ5分でも長く感じる人もいるし、短く感じる人もいます。人間関係やその後の予定にも左右されます。それは、決して計算できるものではありませんが、我々は感覚で把握します。どれくらいまでなら遅れても最悪の事態を免れるか。我々は最悪を想定して動きます。ただ、初手が限りなく最悪に近いというだけです。

例えば、午前10時開始の催しが、午前10時01分に開始されるのは、遅れたことになるのでしょうか。この疑問の本質は、時刻を示してはいるが、それは幅をもつ時間だということです。「午前10時」は幅のある時間です。多くの人がある一点を示しているように思っていたとしても、それには幅があります。現代の科学技術であれば、「1秒」はそれほど短い時間ではありません。もっと細かく時間を図ることができます。それは陸上の短距離種目の記録を見れば明らかです。

0.01秒の遅れを「遅刻」として扱うのでしょうか。0.05秒は? 0.1秒は? 0.5秒は? 1。0秒は? そこに明確な線引きはできません。これは主観によるものです。5分でも10分でも変わりません。線引きは主観によります。

待たせること、待たされることに対する感覚も違うかもしれません。待たせることに対する罪悪感が少ないです。待たせる人の多くはおそらく、待たされても怒ることはないでしょう。待たされることで、その次の行動に支障がでるような場合は、遅れません。

想像力

最悪の想定があります。最悪の事態を想定して動くことはきっと誰もが行っていることだと思います。ただし、これは個人の想像力によって、想定する最悪が大きく違います。電車やバスを一本遅らせても間に合うのか、走った場合、タクシーを使う場合などを考えます。そうならないように余裕を持って計画を立てます。待つことを苦と思わない我々は、かなり早く到着することを想定します。そして、初手から最悪を引きます。努力の結果、最悪を免れるわけですが、その結果は、多くの人にとって想定される最悪を超えるものである可能性があります。

フライングは時間にルーズだと言えないのか

行動が早すぎる人がいます。「午前10時から」と書いてあるのに、9時から始める人です。全体の計画を狂わせます。年配の方であれば、周囲にプレッシャーをかけます。10時になってから行動する予定の人が、まるで悪者です。これは時間を守れないのと同じです。「10時から」ならば、10時から動くようにすればよいのです。動き始めるのが5分や10分遅れても大した問題ではありません。と感じてしまいます。

どうしたら遅れないのか

決められた刻限に間に合わないことがどれほどの不利益なのかを説明すれば解決するでしょう。きっと理解はできません。価値観が違うからです。説明されたとして、それをどれほどの不利益だと感じるかは個人によって違います。もうそこまで価値観の違う人は放っておいていいです。時間にルーズでだらしない奴だと諦めてください。その人間関係に価値があると思うのなら、話を聞いてください。価値観を確かめるといいでしょう。知らないものを拒否するのではなく、話を聞いたうえで、どのような関係にするかを考えてください。

条件次第です。守れるものと守れないものがあります。1秒を大切にすることもあります。30分くらいなら前後してもいいと思うこともあります。条件次第です。その条件は、生まれてから培ってきたものです。価値観はそう簡単に変わりません。変えようとするのは大変です。条件次第なんです。

時間に操られている

時間を守るとはどういうことなのか、盲目的になっている人がいるように思います。

スマホゲームで時間限定の特典があったり、毎日ログインでボーナスがあったり、それによって、人間の行動が変わることがあります。遊んでいるようで、遊ばれているのです。生活がスマホゲームに支配されていると言えます。同じように、「時間」に支配されているように思います。世界がもっとのんびりとすればいいのにと思わざるをえません。

何度も書きますが、条件次第です。分単位で行動したいのであれば、その意義を説明してもらえれば、納得できるかもしれません。ちなみに、1刻は2時間、1時間は半刻です。いったい何に急かされているのでしょう。

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