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【読書感想文】戦争との邂逅、被害者としての意識【同志少女】

『同士少女よ、敵を撃て』を読んだ。考えたことがいくつかあるので、1つくらい書き残しておこうと思っている。

主人公が戦争と出会う。物語は悲惨なものだった。まずは平凡な生活。田舎だから世間知らず。よく言えば純朴。外の世界に希望を持ちつつ、狭い世界のなかで完結する人生。その予定だった。

平穏な生活は突如として崩れる。侵略者が現れる。その場に居合わせない幸運を主人公は持ち合わせている。そして生き残る。ただ一人生き残ってしまう。絶体絶命の危機を救われる。感情がぐちゃぐちゃである。命の恩人と母の仇に対する憎悪が主人公を生かす。そうしなければ正気を保っていられない。それを正気と言っていいのかはわからないが、ぎりぎり壊れていないようには見える。

そこから戦士へと育っていく主人公。被害者から戦士へと変身するわけだ。ここから物語が展開されるわけだが、似たような序章について考えてみた。

まずは、一家が惨殺された『NARUTO』のサスケ。命を救ってくれた兄を恨み、その憎悪によって生き延びていた。境遇としては似ているような気がする。命の恩人が憎悪の対象になってからは、身近な存在ではなくなっているので、そこは大きな違い。どんでん返しもあるし。

被害者から戦士へと変わるといえば、『ガンダムSEEDdestiny』のシン・アスカ。平和なはずの国に住んでいたのに、戦争に巻き込まれて家族を失う。憎悪を持って戦士として成長する。ただ、これもまた、憎悪の対象が身近ではない。というか、身近にはいるのだけれど和解しない。悲しい結末になる。

ちょっと他に似ている人物を思い浮かばない。憎悪の対象とともに生きなければならず、その憎悪が少しずつ解れていく様は、どこか既視感があるような気もするのだけれど、ぱっとは出てこない。天涯孤独、憎悪のために生きるという境遇は、主人公にはなりにくい気もする。それに近いのは、ライバルキャラっだたりするのではなかろうか。憎悪を抱いたまま、その対象の下について戦うなら、知的なキャラクターっぽいのだけれどね。ダークヒーローな感じ。でもそうではないので、胸が苦しくなる作品になっている。

おわり。


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