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岩盤浴に行ったら昔を思い出した話

宇多田ヒカルのPlay A Love Songにこんな歌詞がある。

傷ついた時僕は 一人静かに内省す
深読みをしてしまう君は 不安と戦う

私も不安と戦いたくないので内省することにした。
というのも、かっこよく言えば最近自分の原点と思しき記憶に当たったので忘れないうちに書いておこうと思った次第。

はじめてのがんばんよく

恋人に会いに新潟に行った時のこと。
彼は片道1時間半近くもハンドルを握り、山のふもとの温泉に連れて行ってくれた。(私が免許を持っていないせいでもある)
わざわざカーナビを無視して海辺の道を通ってくれたのが嬉しかった。

そこで人生初の岩盤浴に入った。
水を飲む→岩の上に寝る→冷房ガンガンの休憩スペース(外にも出れた)で涼むを繰り返すらしい。

13年習っていたバレエの先生はレッスン中に水分を取ると怒る人だったので、飲め!と言われるのはなんか新しいななどと思いつつも出入り口のおばちゃんと彼氏に促されるまま水を飲み、中に入った。

室内はぽかぽかくらいで、サウナっぽい熱気を想像していた私は少し安心した。
床だけはプールサイドくらい熱かった。これは温まれそうだ。

1人あたり1畳くらいのスペースに区切られており、ここにタオルを敷いて寝るらしい。
半筒状の硬い材質の枕があるのだが、後頭部が左右対称でないのでいい置き方を見つけるのに時間がかかった。

いざ寝ると5分くらいでめちゃくちゃに汗が出てきた。
鼻の穴が熱かったが、小さいタオルで顔を覆ったら大丈夫だった。
はたから見ると死んでしまった人みたいだったかもしれない。

程よくキマッたところで休憩スペースに行く。
11月の新潟とは思えない冷房の効きようだったが、これがすごく気持ちよかった。
「ととのう」ってこんな感じ?

木を描く人

休憩スペースのテレビでは木を描く人の番組をやっていた。
屋久島の超太い杉の木や、その地で崇められているご神木を旅しつつ描く人だった。
のぼせた頭で画面を見ていると、あることに気付いた。

私、こういう木の絵を描く人を知っているぞ?

父の弟、私から見ればおじにあたる人(祖母の意向であんくるさんと呼んでいる。父には妹もいるが彼女はあうんとさんではない)は、地元の特産である磁器の大学を出た後、絵付けの仕事と並行して油絵を描き続けている。

あんくるさんは木をそのまま描く人ではないが、異常に長く生きたり神格化されたりした樹木を画面越しながら見たことで、木のもつ生命力?畏怖?のようなものを描く彼の絵と、それらが生み出された風景を思い出した。

あんくるさんの部屋

私はもともと言葉を発するよりハサミを握る方が早かったなんて言われる子供で、紙があれば絵を描き、切り刻んで組み立てて、何かを作るのが大好きだった。

帰りの遅い両親に代わって祖母が面倒を見ていてくれたのだが、母屋の一室、あんくるさんの部屋に私は入り浸っていた。

何かを話したり、一緒に遊んだわけではない。
ただ油絵の具の匂いが立ち込める四畳半で、彼が絵を描く場所にいるのが好きだった。
部屋の半分が描きかけのキャンパスやらで埋め尽くされていたので、彼の黒いベッドに寝転がって、絵筆の先を見たり、投げられた雑誌を読んだりした。

お互いおしゃべりが得意ではなかったこともあり、沈黙と不干渉の雰囲気が流れるあの部屋はとても居心地がよかった。

ただいつからか私はあんくるさんの部屋に行くのをやめてしまった。
まずい理由があったわけではないが。
四畳半に二人置くには難しいサイズに私が成長してしまったからかもしれない。

というのを、地元から1200km離れた地の岩盤浴で思い出した。

君の名は。みたいな気持ちになった。
忘れたくない場所、忘れたくなかった空気、忘れちゃダメな感覚…!
的な。

愛すべき沈黙

帰り道。
Bluetoothの調子が悪くなり、私のスマホから曲を流せなくなってしまっていた。
私の愛するラテン圏のEDMを恋人も気に入ってくれていたので悔しい。

テレビを音声だけで流す。
月曜から夜ふかしの再放送が終わった後は日曜夜らしく道徳的な番組ばかりになってしまい、彼が頻繁にチャンネルを変える。

いちばんましだと思われた笑点が異常につまらない。
曲を流せないことが余計に悔やまれたが、私はこの沈黙をどこか懐かしく思っていた。

冬の日本海は暗い。
温まった人間の熱気のせいか、車内だけが隔離されたような気分だ。
またも運転してくれている綺麗な横顔に心の中で感謝を述べつつ、この静かな空間を次こそは過去のものにしたくないなと思った。



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