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わたしの地図に新しいピンを打つ

コロナ禍では新しい人との出会いが強制的に減らされている。人が集うことを誰もが止め、家に引きこもっていれば偶然の出会いは、なかなか訪れない。

そんななか、知り合いの呼びかけで、新しいプロジェクトに参加することになった。参加資格は40代以上。期間限定で、ある企業の悩みを皆で協力して解決していくというもの。40代ともなれば、様々なキャリアを築いてきていてる。皆、何らかのプロやコンサルになっている。参加者の自己紹介を聞いているだけでとても楽しい。プロジェクトでは、自らの持てる頭と身体を動員する、いわゆるプロボノってやつだ。

初めての世界で、自分のチカラをどんな風に生かすことができるのか。これは興味深い。マーケティングをしている人は、マーケティング。人事をしている人事…生かせる能力は単純にそれだけではない。職場のように、序列があったり、給料をもらっているわけではないのだから、良いも悪いも”組織に流される”必要はない。もはや文化もないまっさらな状態なので、”忖度”や”お約束”もほぼない。関係はフラットだ。司会者になってもいいし。多数決で答えを出したっていいのだろう。自ら進んで「これやります!」と言ってもいいし、和を重んじて(?)口を慎んだっていい。仕事を均等に割ってもいいし、得意ジャンルで分けてもいい。ルールはない。だって、誰かに強制されたわけでもなく、みんな自主的に0円で仕事します!と集まってきた人たちなのだから。ちょっと考えてみたら、不思議な集合体だ。

毎回セッションが終わるごとに、私は反省と次はこうしようという思いで、頭のなかが処理中のPCのように、ぐるぐるとまわって落としどころを得るのに時間がかかる。「前に出すぎちゃったかしら」「遠慮してやる気がなさそうに見えるかしら」…。そして仕事のやり方についても。本業の思考のクセ(長年の思い込み)が露見したりして、時折ハッとなる。(こうやっとけば平均点。嫌われないように)…ああいやだ。そんな思いも忘れないようにすぐにメモをしておく。

あと、もっと原始的な、自らの性格や人間性を振り返ることも出てくる。〇〇さんに配慮が足りない発言だったのではないか、とか。落ち着いた現状分析ができている〇〇さんのようになりたいな、とか。段々とそれぞれのパーソナリティをつかみつつ、親しくなるのはちょっとうれしい。

そして、考えれば考えるほど、似たような過去の経験が、どんどん思い出され、洪水のように押し寄せる。子どものときのこと、若かった頃のこと、いまの職場のことなどなど。自分の”あるある体験”に強く印象付けられる。だからちょっと恐ろしい。意識と無意識、自分が知っている他人、他人が知っている自分、という4つの部屋を行ったり来たりする。頭はパニックになる。

あれ、このプロジェクトの目的は、「副業でも生きていけるチカラをつける」だった。だが、思わぬところで深いところの自分のトビラを開けてしまっているのだ。

こういう訓練を何度か経れば、メディアで見かける、感じのよい人に自分も人格が練れて、そう成っていくのではないかという期待すらしている。世界は広がった気がした。

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