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年老いた親の役所手続き

都のコロナ感染者最多を迎えた4連休の初日。

親の介護保険関連の書類申請のため、かなり久しぶりに実家へ帰った。ふだん電車通勤をしている私は実家に帰ることをずっと遠慮していたのだが、この7月末で切り替わる保険証の手続き申請の必要があり、仕方がなかった。

昨年は、スムーズとは言わないものの、父は必要書類のコピーを準備し、母の住む施設までバスを乗り継いで申請ができていた。だが、今年は何度説明しても提出がされないと母担当のケアマネージャーから私に直電が入ったのだ。

父はもともと家事を含め、細々とした家庭のことはほとんどしたことのない昭和の男だ。なら頻繁に私たち娘は帰ったほうがいいのではないかと思うが、そうできていないのにはこれまでの経緯がある。

母が自宅で倒れた3年前、そこから入院、老健を経て、現在の特養に入った。自宅にひとり残された父は持病の腰痛や物忘れがひどいこともあり、私たちは父の日常を手助けしてくれる区のサービスの利用を勧めた。父を含め来ていただける方を面談をし、サービス開始の日時まで約束済みだったが、当日になって、父は勝手にキャンセルをしていた。「俺はまだ自分のことは自分でできるし、頼んだら人生終わりだ」という。私たちは、がっくりと肩を落とし、半ば諦めて、それぞれの夫に家や子どものことを頼み、1-2週に一度、時間をかけて実家に帰ろうということになった。

その1日目の帰りだった。父から怒りの電話が入った。ある物がなくなったという。私が捨てたか、隠したか、盗んだか?? まる1日、掃除をして疲れた身体にとどめを刺した。「そんなことするわけない」「いや、お前かどうかは定かではないが」。でも明らかに疑っている様子だ。結局、子どもたちがそれぞれ預かっていた自宅の合鍵は没収された。のちにわかったことだが、旧知の弁護士の友人に、相談をしていたという(弁護士の方は、このままだと家族を訴えかねないから断ったそう)。

日々の食事や郵便物でゴミは自然に溜まっていくし、洗濯や掃除もほとんどできない。でも、私たちが父に接近すると果ては事件になりかねないし、何より身近な親族に対して疑心暗鬼でいっぱいの父自身の精神状態が危うい。まあ、ゴミ屋敷になっても、風呂に入らなくても、死ぬことはないんだからと私たちは諦めることにした。

幸いなことに、父は母の施設に毎日通い、そこにいるプロの介護士たちが気にかけてくれるし、私たちもその頃、毎週末、母の施設に通っていたので、そこで顔合わせて会話をする分には父もいたって穏やかだった。

さて、最低1年以上ぶりの実家である。実家はパッと見、以前とは変わっておらずほっとしたのもつかの間、居間の食卓は郵便物で山が築かれていた。部屋の隅には、ベルトをつけたままの脱ぎっぱなしのスラックスが3つ4つある。また使えると思ったのか、捨てられない尋常でない数のストローや割りばしが出てきた。父のプライドを傷つけまいと、私は母のケアマネからチクリの連絡があったことは伏せる。「母の施設に介護保険証類を提出する時期でしょう?」と言う。「いやー、何度探してもないんだよ、区に再発行の手続きをしなければいけないけど、ママの身分証明書と印鑑の在りかがわからないし、でも今日は休日だから役所は開いてないし…」ときりがないほど何度も何度も同じことを言っている。

それから食卓の郵便物の仕分けや、未払いの請求書の整理も含めて3時間ほどで、すべて書類は揃った。あと驚いたことに、すでに受け取ったと聞いていた特別定額給付金も未申請であった。あんぐり。聞いたら、「お前を心配させたらいけないと思って」という。哀しいことに、申請書は記入がしてあって、一度、役所に持っていったのだが、役所の人に身分証明書が必要と言われて(その方の手書きのメモも入っていた)、帰って探したけれど見つからず。そのうちに探していることも忘れて記憶も書類も山の中、というわけだ。

給付金1割の人が未申請だという。こんな父みたいなことがあちこちで起こっているんじゃないかと思う。いわゆる情弱の人、本当にお金が必要な人に届いていないのではと思う。帰り際、玄関に新しく置いてあった杖を見て思った。

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