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松岡正剛校長なる「編集大好きおじさん」が逝去されたので、なんか書いてみる。

前回の記事の続きを書こうと思ったのだが、なんか調子が出ない。
なので通常日曜に1本アップするルーティンだったが伸ばした。
と訝しがっていたらその数日後にニュースが飛び込んだのですね。


編集大好きおじさん

松岡正剛はどんな人か。
世間からみた肩書をWikipediaからひっぱってみると

【引用】
松岡 正剛(まつおか せいごう、1944年1月25日 - 2024年8月12日)は、日本の実業家、編集者、著述家。株式会社松岡正剛事務所代表取締役、編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長、連志連衆會理事、角川武蔵野ミュージアム館長。

東京都世田谷区赤堤にある松岡正剛事務所。編集工学研究所、ISIS編集学校本部も兼ねる。
京都市出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。

雑誌編集、書籍や映像の企画・構成など多方面で活躍。各界の研究者と交流し、情報文化の考察を深め、独自の日本文化論も展開する。著書に『知の編集術』『日本数寄』(2000年)、書評『千夜千冊』(2006年)など。

いろいろとごちゃごちゃ並べているんですが、そんな世間と無関係に珍ぬはこう呼んでおります。

編集大好きおじさん

これ以上でもこれ以下でもない。
ちなみにこの呼び方は「タングステンおじさん」をなぞっております。


もういっそ、松岡正剛やら校長やらの呼び方をやめて、今回はおじさんと呼ばせてもらいます。

まあ、おじさんには毀誉褒貶もあります。
noteにもこんな記事があってまとまっていてわかりやすい。

個人的には「ただのおじさんなんだから買い被りすぎなんだら、も〜」とぬるーく接しております。


おじさんの学校

おじさんは編集者なので、今まで培ってきた編集のあれこれがたまりにたまっている。
たまったものをこれまた編集して道具(ツール)としてつかえるようにしたあれこれを「編集工学」と呼んでいた。

で、これ誰でも使ってみたいなら伝える場を立ち上げようか、といって2000年に「ISIS編集学校」を設立する。
すごい大雑把に書いたので、正しいかどうかは知らん。

珍ぬもちょいとしたきっかけでおじさんの学校を知った。
その結果、片足は突っ込まず、肩肘突っ込んでサポーターつけてnoteでラリアートをかましまくっています。

あのね、編集なんて役に立てて使おうなんて思っとりませんわ。
おそらく学校出身者のなかで、おじさんの編集のあれこれを一番無駄使いしていると思います。


おじさんの千夜千冊1850夜

おじさんがネットで書いたもので、代表といっていいのが『千夜千冊』

本を1冊(原則な)とりあげて、その本のことやら著者のことやらおじさんのことやらそのまわりのことやら巻き込んで記事を1本一夜として仕立てる。
しかも、著者は絶対被らないルール付き。

おじさんの学校を立ち上げた時期とほぼ同じくしてはじめて、なんだかんだで予定の1000冊も超えて、重ねた夜が1850夜。

『中国人のトポス』三浦國雄

アップされたのが7月18日だが、その1ヶ月前のおじさんはこんな様子だった。

【引用】
ところで、この千夜千冊は築地のがんセンター中央病院の病室で書いた。6月12日、定期検診を受診した折、主治医の後藤悌先生から「ここのままでは肺炎が危い、すぐに入院しなさい」と言われて、そのまま入院した。幸いに肺炎には至らず、肺癌の進捗も少し抑えられているようだが、これでぼくの今後の日々が決まってしまった。

おじさんはスーパーヘビースモーカーなんで、肺とのつきあいというかどつきあいが長い。
肺についての固執を思うと1843夜の『息吹』テッド・チャン。

SF短編集だが、確かに表題作の「息吹」に対しての分量が他作品よりも多かった。

肺を瓢箪に重ねて、その瓢箪とおじさんのまわりの関係も重ねて、瓢箪を中国の「天地をひさご型にする壷」――壺中天と重ねる。

『中国人のトポス』の副題は「洞窟・風水・壺中天」です。


…………


しかしだねえ、おじさんとんでもないこと考えてますわ。

多分、1850夜は最後の夜になるのではないかと、おじさん腹くくっていると思うんです。
ところが、

【引用の続き】
千夜千冊にしても、他の執筆原稿にしても、思索や表現に挑むにしても、これからしばらくはそこでの日々になる。縮冊篇『中国人のトポス』はその先触れの第1弾となった。

「これ、はじまりだよー」と高らかに宣言してるんですわ。
しかも「縮冊」とコンパクトをうたっていながら、なぜ瓢箪なのか。

【引用】
瓢箪宇宙はクラインの壷めいている。
(中略)
もともと中国人の宇宙観には「上下四方を宇と曰い、往古来今を宙と曰う」という見方があって、これを荘子が「宇は実あれど処なきもの、宙は長さあれど本剽(はじめおわり)なきもの」とみなして以来、クラインの壺めいていた。

でっかく大風呂敷の大風呂敷。
積み重ねてきた1849夜も飲み込む目論見だったんだなあ、と。


本豪おじさん

おじさんは、とにかく本を読む。
刀使いの達人を剣豪とよび、大酒飲みを酒豪とよび、物書きの大家を文豪とよぶならば、浴びるような本の大食漢は本豪だ、と豪語している。

本豪おじさんに「本は何か?」と問うならば、こう答えそう。

そっと1850夜を差し出す

中国人の瓢箪宇宙とおなじく、本は「宇は実あれど処なきもの、宙は長さあれど本剽(はじめおわり)なきもの」というおじさんのトポスなのである。


締め

そんなかんじで、一気に思うまま書いてしまった。
ああどうしましょう。
推敲するのが怖いので、このままだしちゃいます。
おじさん、怒ると思うけどね。

久しぶりに東京行こうかしら。


今回はこんなかんじで。

では。

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