トレーニング・デイズ in 利賀
鈴木利賀演劇塾2023年3月プログラムに参加してきた。
利賀村から麓へ降りるバスを待ちながらこの文章を書いている。
とても贅沢な時間だった。
この素晴らしい時間をできるだけ長く自分の中にとどめておくため、この二週間の記録と、考えたこと・感じたことを書き記しておきたい。
〇はじめに
まず、鈴木忠志とSCOT、利賀村を知らない人はぜひ一度SCOTのHPを読んでみてほしい。
ネット上で全編見られるSCOT作品の映像はこちら。
・『トロイアの女』(1982年)
・『エレクトラ』(2021年)
・『「からたち日記」由来』(2022年)
〇生活の記録
3月11日夜、夜行バスで東京を出る。12日、富山駅周辺をぶらぶらしてから午後のバスで利賀へ。事務局の重政さんに歓待してもらい、今回の講師である佐藤ジョンソンあきさんと竹森陽一さんの紹介を受ける。参加者は22人で、うち5人が日本人、17人が外国人だった。
以降、午前と午後で2時間ずつの訓練が始まる。スズキメソッドはかなり厳しく辛いものというイメージがあったが、講師のお二人が一つ一つのエクササイズを分解しながら丁寧に教えてくれることもあり、許容量を遥かに超える難しいことをせねばならないとか、理不尽な指導を受けるというようなことは全くなかった。同時に、お二人に示してもらう手本のおかげで目指すところと現状の差分もはっきりわかるので、気が緩むこともなかった。そして何よりお二人の気合というか、訓練の賜物であるところの鋭い眼光が毎日の訓練の質を大きく高めていたように思われる。
夜は、ハンガリーで開催されるシアターオリンピックスに向けた『エレクトラ』と『トロイアの女たち』の稽古を見せてもらったり、鈴木さんが指定した映画(今回は『欲望という名の電車』とバレエ映画の『ロメオとジュリエット』)を見たりした。
7日目はオフで、他の訓練生とともに近くの温泉に歩いて行き、湯に浸かりながら海外でのスズキメソッド受容やその他のメソッドについて話した。夜には訓練生とSCOT劇団員、鈴木さんとともに夕食をとった。劇団員のみなさんには非常に暖かい雰囲気で迎えていただき、お手製の焼きそばをふるまってもらった。実のところ、舞台上での激しい緊張感とのギャップに少しどぎまぎさした。
2週目も同様の時間で訓練をし、最終日には『トロイアの女』の公開稽古をほかのお客さんと観劇した。『トロイアの女』は、僕が初めて感銘を受けた鈴木作品であり、それをライブで見られて感慨深かった。その後、鈴木さんも見守る中で最後の訓練を行ったのち、全員でのパーティーが催された。たくさんのごちそうをふるまってもらい、劇団員の方ともSCOTにたどり着くまでの来歴などをお話しできた。とても気さくに話していただいたのだが、やはり舞台上でのイメージが強くなかなか目を合わせるのがためらわれたりもした。このごちそうに限らず利賀での料理はすべてが美味しく、訓練の激しさをしのぐ勢いで食べてしまい1kgぐらい太った。
このキャンプでは、最初の自己紹介も名前と国籍を言うだけで時間をかけないし、交流のためのワークショップのようなものもの全くない。上に書いたレセプションの場以外では、コミュニケーションや交流の場などが特別に設けられることもなく、ただひたすらスズキメソッドとSCOTの理念を訓練生にインプットさせることに焦点が置かれており、潔く明快で心地よかった。かといって、ホスピタリティがないかというとそれは全く逆で、利賀での生活は参加者が最大限トレーニングに集中できるように設計されており、そのシステムがSCOTの劇団員・事務局の方・食事を作ってくださる方など、たくさんの利賀の人々によって支えられていたと思う。演劇人にとっては、どの高級ホテルに泊まるよりもはるかに贅沢なホスピタリティで満たされた時間だった。
〇スズキメソッドについて
メニューとしては2週間かけて以下のものを行った
・足踏み
・ベーシックNo.1~3
・スローテンテケテン
・プレスリー
・スタチュー(スタンディング&シッティング)
・ウォーキング(9種類)
スズキメソッドでは重心・呼吸・エネルギー・音声という四つの要素を重視してそれを扱う力を養う、と、鈴木さんが過去に書いた文章を通じてあらかじめ伝えられ、向かうべき方向がはっきりと示される。そしてそれは訓練の中で非常にビビッドだった。「これにはどういう意味があるんだろう」というような疑問が生じることはなく、むしろ続けるうちにどんどん意義を体感することができた。
スズキメソッドについては鈴木さんの文章を読む方が正確だし、2週間訓練しただけの人間が偉そうに語ることもできないのだが、特に僕が感じたことを二つ書き留めておきたい。
一つはその平等さだ。訓練には、身長180cm以上、体重も優に100kgを超えるだろう大柄な男性から、ごく小柄な女性まで、幅広い体格の参加者がいた。たとえばこれが総合格闘技であればこの二人は試合を開始することすらできないだろう。しかし、スズキメソッドというルールが開示する演劇的な空間では、あるいはもっと一般的に舞台上といっていいかもしれないが、その強さの基準は適応されない。このメソッドにおける達成の如何がその空間における個々の存在の強さに直結するので、この二人が同じ強さで空間に存在することが可能になる。さらにいえば、佐藤ジョンソンあきさんが教える稽古場において、その存在の強度が最も強いのは誰がどう見ても佐藤さんという中肉中背の女性だった。その訓練の到達点という意味の平等性もあるし、また、訓練の過程においても体格や体の柔軟性の影響を受けることがほとんどなく、多くの人が参加できる訓練である、という意味での平等性も感じた。
もう一つは、演劇的な想像力とのつながりだ。講師からは、いかなる訓練の間もフォーカスを持つことの重要性を説かれる。常に架空の相手を想像し、その対象に向かって自分の体が存在していることを意識する必要がある。そして、不思議なことにこれができているか否かは、スズキメソッドのエクササイズの中では如実に体に現れる。「対象に向かって演技をしているか」というのは、身体の動きを特に重要視して扱う演劇でなくとも注視されるべきことの一つであり、多くの場合養う方法が経験に任されるところが大きいように思うが、スズキメソッドはこれに非常に有効に寄与する訓練であるように思われる。さらにいえば、周知のとおりスズキメソッドでは下半身を徹底的に鍛え、ぶれない重心を持った体を作っていくのだが、それはその対象に向かって高いエネルギーを少ないノイズでぶつける訓練でもある。つまり、スズキメソッドは想像力をバネにして対象を造形し、それに自分の体全体で対峙することを要請する訓練だといえる。スズキメソッドの訓練映像を見た人は「これは鈴木忠志の演劇以外に役に立つのか」と思うことが多いだろうが、僕は少なくともこの点においては確実に役に立つと思われた。
〇利賀村について
上にも書いたが、利賀は贅沢な場所だ。最終日の公開稽古のアフタートークの中で、鈴木さんが利賀に拠点を移したのは「贅沢さは何かということを考え直したからだ」と言っていた。曰く、東京には金と娯楽と快適さはあるかもしれないが、演劇という芸術をやるうえで必要な、自由に使える空間と時間がない。利賀にはそれがあった、ということだ。これは非常にクリティカルな見方だと思う。
現状、東京で演劇を行う多くの劇団(特に人間の条件のような若い団体)は、多くの場合は固定の稽古場もなく、小屋代を抑えるために最低限の利用日数で小屋を借りるし、これが演劇を作るうえでのスタンダードな条件になっている。中堅以上の団体になるとアトリエを持っている団体もいるが、時間・空間・金銭的制約はいずれにせよつきまとう。それは、そこで生まれる作品を強力に条件づけるだろう。そのような演劇環境下では、「より短い期間で」「より安いスペースで(≒広さを必要としない)」演劇を作る経済効率性が重視されざるを得ず、知らないうちに僕らが作る作品の質を規定する。だから別の地方に行くことが最適解である、ということにはもちろんならないものの、僕たち若い演劇人は、自分が本当にやりたい演劇・芸術というのはこの東京という条件のもとで実現されうるのか、東京にいることが自分が目指す到達点に対してむしろ遠回りになっているのではないか、とその条件を相対化して考える必要があるのは確かだろう。もちろん地方に行くと今度はまた別の金銭的・人材的な条件が頭をもたげてくるのだろうが…
地域というファクターは強力に「創造の過程と作品の性質(≒演劇という営み)」を規定する。あえて極めて傍若無人に書くならば、つまり、2週間利賀創造交流館に宿泊しただけの東京の演劇人である僕の目線に特権性を与えるのであれば、利賀には演劇以外に何もないといえるし、それゆえにそこでの訓練は禅寺で座禅を組むのにも似ていた、といえる。もちろんこれは「鈴木利賀演劇塾」という、寝食を保証されたうえで、創造性を求められずにただひたすらスズキメソッドの訓練を行う、という管理された体験について語っているにすぎないが、東京都心においてその体験をすることが不可能であるのは明白だろう。都心の(あるかわからないが)きわめて静かな宿泊設備と稽古設備が整ったどこかの施設に合宿したとしても、やはりそこには街灯があり、コンビニがあり、人がいるだろう。これもまた無意識のうちに作品の条件となっている。「雪とSCOTしかない」という条件が禅寺のような演劇体験を生むのと同様に、各地方の条件が、無意識のうちに演劇という営みを規定する。したがって、そこで価値のある演劇を作るには、地域おこし的に安易に地域の題材を取り込むことではなく、その土地という条件、精神性を深く自覚しそこにどのような態度で臨むのかについてのポジションをとることが重要になるだろう。と、いうようなことを考えた。
俳優にとってスズキメソッドが自身の身体感覚を映す鏡であるように、演劇人にとって利賀は自身の活動を映す鏡であると思う。もしこれを読んでいる演劇人がいれば、自身のかかわる作品の性質にかかわらず、鈴木利賀演劇塾に参加してみることを強くおすすめする。少なくとも僕にとっては、10万円と交通費を遥かに超える価値があった。夏の募集も、もう始まっている。
人間の条件 ZR
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